雨月物語映画・俳優

溝口健二『雨月物語』をめぐって

その役は朽木屋敷に棲まう死霊であり、 話のなかで、そこだけしか登場しないにもかかわらず その存在感たるや、かなりインパクトの強い役柄である。 能面のようなメイクと艶やかなで陰影ある魔性の女。 相手が森雅之演じる陶工源十郎で 命からがら屋敷から逃げ帰るシーンが圧巻だ。 藤十郎が過ちを悔い、家に帰らせて欲しいと懇願するところへ、 老女と姫が狼狽し、クライマックスを迎える。 織田信長に滅ぼされた朽木屋敷の若い姫君の 哀しい思いを背負いながら、無念とともに消え去っていく情念。 老女毛利菊枝とのコンビにおける怨讐の恐ろしさは 昨今のホラーにはない、独自のムード、美意識を漂わせている。 まさに魔に憑かれた男の無常感がそこはかとなく漂う中 奇気たるまぐわいの宴の余韻が残る

映画・俳優

スタンリー・キューブリック『シャイニング』をめぐって

いやはや、知覚の恐怖に費やす言葉はかように、 いかようにも豊富にあふれていて目が離せないのだが、 この恐ろしい映画の主役ジャック・ニコルソンが、 最初から最後まで、ひたすら、何か恐ろしいものに突き動かされ いわばあらゆる憎しみと怨念を背負った格好で、 妻や子をオノ片手に追い回す、 いわば狂気の沙汰を十二分に見せつけられているうちに、 単に映画は狂人譚の様相に支配されてゆく。 だが、『シャイニング』というのは、元は息子ダニーや特殊な能力のことであり、 その出所は、ジョンレノンによる「Instant Karma!」と言う曲の一説にある 「Well we all shine on Like the moon and the stars and the sun」 からだと原作者スティーブン・キング自身が語っている。

ろぐでなし VOL3映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】VOL3.

昔から怪談話といやあ夏の風物詩、と相場は決まってはいるのだが じゃあ、幽霊ってのは冬になればなったで冬眠する、 なんて話は一度だって聞いたことがないし、 ゾッとすると言う意味ではむしろ、真冬に聞く怪談ほど 臨場感というかなんというか、そそるものもあるまい。 凍えんばかりにガタガタ身を震わせ、血の気が引くなんてのは これがホントのゾッとする話と言わずしてなんであろうか? そんなくだらない話の枕はこのくらいにしておくとして、 『ろぐでなし』プログラムVOL3.では、一つホラー映画についての特集を 組んでみようと言うわけである。

[門戸無用]MUSIQ音楽

[門戸無用]MUSIQ VOL.2

いやあこのところずっと映画ばかりみていたもので ちょっと肩が凝りまして、っていうのはでまかせで、 いくらでも映画に浸かっていたい気分ではありますが、 映画を観て、記事をアウトプットするのはそれなりに労力がいるものです、はい。 そこでやはり息抜きに音楽は必須。 そんな時には好きな音楽を流しつつ、頭をほぐす、リラックスする、 合わせてティータイムで一服したい気分なのであります。 音楽のいいところは、言葉が不要なところ。 ただそこで鳴っているだけで幸せな気分に浸れるわけで・・・ 秋は味覚に、そして芸術に心を駆り立ててくれるシーズンなので、 そこはもうマテリアルには困りません。

快楽の漸進的横滑り文学・作家・本

アラン・ロブ=グリエ『快楽の漸進的横滑り』について

1953年に『消しゴム』でデビューして以来 『覗く人』『嫉妬』など次々と文学的問題作を発表してきた作家ではあるが、 幸い、ロブ=グリエという人は生涯9本の映画を撮っており、 アラン・レネの『去年マリエンバートで』の脚本をも手がけているぐらいだから 映画というジャンルにも並並ならぬ意欲を示してきた作家と言える。 実はその作品の一つ『快楽の漸進的横滑り』について 何か書けるかというところから 長々と前振りを書いてきたのである。

「秋のソナタ」1978 イングマール・ベルイマン映画・俳優

ベルイマン『秋のソナタ』をめぐって

寄り添うをとすればするほど交わりはしない不毛な関係だが それでも母と娘であることは避けることのできない現実である。 娘は娘として、母は母として、 互いの空白を埋めることができるのか? ラストシーン、娘は母を許すことができたのか? 何もかも失いつつある現実の前で、 過去を清算して、娘に寄り添えるのか? 観客は各々感性にヒリヒリと問題を突きつけられるのだが、 『秋のソナタ』はそんな生易しいヒューマンドラマではない。 人間の根源、深層にまで及ぶ芸術家ベべルイマンの魂が 隅々にまで昇華された映画である。 スヴェン・ニクヴィストの冷徹なるカメラワークが冴え渡る。

森村泰昌 セルフポートレイト・ドヌーブとしての私3アート・デザイン・写真

森村泰昌『全女優』をめぐって

今、手元にある一冊の写真集を眺めている。 森村泰昌による『全女優』というタイトルの それこそ、究極の女装写真集である。 ドヌーブ、ヘップバーン、モンロー、ガルボ ・・・ そんじょそこらにいる佳人とは比べようのないオーラを放つ美の化身達。 大胆にそんな美のアイコン達になりすましてしまう氏の技は もはや芸術を超えた忍術の域である。 よって、当然趣味の世界という偏狭な枠組みのみで語るつもりはない。 また、芸術という高みにわざわざ同行する意思もない。 ここに、わざわざ美を見出すかどうかはさておき、 眺めていると不思議な高揚感が湧いてくる。 自分ができないことを、目の前のアーティストが一人、 可能な限りのアプローチで個々の女優に近づこうとする行為。 その行為は実に圧巻であり、神々しい。 審美を超えた、何物かであり 言葉より先に、網膜がひたすら圧倒される。 なんだろうか、このエネルギーは。