ロピュマガジン【ろぐでなし】VOL.4
僕は絵の可能性、一枚の絵の魅力に取り憑かれた人間というだけだ。 絵描きという存在の復権を願って、ここに美術史の中から なんの脈略もなく、心に留まった画家を拾い集め 個人的な思入れを書いてみよう。 あえて、絵というものに終始固執した画家たちについて取り上げてみよう。 僕にとってはそうした絵描きは憧れであり、同志であり、夢先案内人だ。
僕は絵の可能性、一枚の絵の魅力に取り憑かれた人間というだけだ。 絵描きという存在の復権を願って、ここに美術史の中から なんの脈略もなく、心に留まった画家を拾い集め 個人的な思入れを書いてみよう。 あえて、絵というものに終始固執した画家たちについて取り上げてみよう。 僕にとってはそうした絵描きは憧れであり、同志であり、夢先案内人だ。
そんな折にも音楽はいつだってそばにある。 なきゃ困る。 音楽というものに支えられ、励まされ、そして癒されてきた。 ありがとうミュージック。 ミュージックありがとう。 そのスタンスはこれからも変わらない。
やれ師走だ、やれクリスマスだ、やれお正月だ ってな喧騒と人ごみにもまれながらも、 耳もとで鳴っている音楽に癒される。 この季節はタフじゃないとつとまりませんぞ。 音楽はどこまでも寒さ知らず。 いや、今こそ音で暖をとることを覚えよう。 そう、暖をとるためのセレクション。
ひとまず、 こたつやストーブの準備をしながら のんびり、ほっこりと 気分をあたためて、 きたるべき冬将軍の到来に備えるといたしましょう。
ホラー特集のトリを飾るのは、やはり、これしかない。 泣く子も黙る『エクソシスト』だ。 いわずもがない、ホラー映画の金字塔、である。 昨今、様々なホラーアプローチはあるが、 自分にとっては、最初に出会ったホラーであり、 この怖さは、いまだ記憶の袖を離さない。
いうまでもないことだが、スティーブン・キングは実に偉大な作家だ。 モダンホラーというジャンルにおいての地位を確立し、 その原作を元にした映画化があとを絶たないことからも、 映画界においても貢献度というものは実に計り知れないものがあり、 また、一定の水準以上のクオリティを誇っている作品が多いのも、 そのことを証明している一端だといえるのかもしれない。 もっとも、自分は原作の熱心な読者でもなく、 あくまでも映画化されたごく一部のスティーブン・キング作品のファン、 というだけのことであるが、 そのまさに第一歩が全てデ・パルマによる『キャリー』に始まっており 記念すべき、この第一章について、語らぬわけにはいかない
さて、本題の『羊たちの沈黙』に入ろう。 賞を総なめにしたぐらい、傑作ホラーサスペンス作品としての 呼び声が高い本作であるが、 公開当時は、ホラーというジャンルのせいもあって、 ちょっと距離を置いていた映画である。 その後、DVDで観て、確かにショックを受けた。 この映画は実によくできているなあ、というのが第一印象で サイコパスの恐ろしさ、猟奇的な犯罪者の心理が 実にうまく描かれていて、 まさに傑作の名に恥じない映画として、 世間の認識に、ようやくこちらが追いついたと安堵したものだった。
高橋洋という作家はまず、 脚本家として『リング』『女優霊』で Jホラーというジャンルを確立した第一人者だが、 まだ、そう詳しく語れるほど知る映画人ではない。 しかし、『霊的ボリシェヴィキ』というタイトルの響きからして 単なるエンターテイメントを超えた何ものかを 想起させるには十分のインパクトがあったし、 この先、日本の映画土壌、このジャンルにおいて 可能性を感じる作家である事は間違いないところである。
『CURE』という映画の感想は 一言で言えば人間の深層を考えさせられる映画、ということである。 オカルティズムやスピリチュアリズムとは違って 人間そのものに潜む心理の綾を巡って そんじょそこらの話題性だけのホラー映画よりも はるかに怖い話が終始展開されているのだ。
そんな中で、『ローズマリーの赤ちゃん』は ホラー映画の古典的傑作として名高いのは言うまでもないが なんでもない日常からふと悪の手が伸びてくる恐怖を マタニティーブルーにつけこんで、悪魔崇拝といったオカルトテーマを 見事に結びつけた作品に仕上がっている。