ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.31
詩は言語でありながら、絶えず魂という肉体をもっている。 意思をもち、世界を変えることさえできる。 それは映像のなかにも、音楽のなかにも入り込んでいる。 むろん、生活、人生、人間のなかにある。 文学者や作家はもとより、真の詩人たちは言葉でそのことを伝えてきた。 そうした言葉の力に今一度、寄り添ってみたいと思うのだ。 僕の好きな文学者たちは、多かれ少なかれポエジーに貫かれた 地上の星たちなのだ。
詩は言語でありながら、絶えず魂という肉体をもっている。 意思をもち、世界を変えることさえできる。 それは映像のなかにも、音楽のなかにも入り込んでいる。 むろん、生活、人生、人間のなかにある。 文学者や作家はもとより、真の詩人たちは言葉でそのことを伝えてきた。 そうした言葉の力に今一度、寄り添ってみたいと思うのだ。 僕の好きな文学者たちは、多かれ少なかれポエジーに貫かれた 地上の星たちなのだ。
うたかたのアウトサイダーは、弾ける男根少女たちの夢を見る 自分にはいつもどこか漠然とした孤独感というものがあり、それ自体に苛まれることは、時々あるにせよ、きっと永遠に消えないひとつの傷痕なのかな、と思っている。いうなれば...
筆さばき、精巧さ、あのイキイキとした色や形。 何よりもあの多産な作品群。 そして、時代を超えたイマジネーション若冲ワールド。 何度見てもウットリする。 なにしろ、描くことが大好きで、 短命だった当時の平均寿命からすると、 八十五歳まで生きのびて、 その証を残した、というのも驚きだけど、 好きな絵にしか関心を示さなかった、 根っからの絵描きマニア、というのだから、 これぞ天分という他あるまい。 好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもので、 それこそ、家業の青果商にはほとんど関心を示さず弟に譲り、 自らは芸事や酒に溺れることもなく、生涯独身で通したという。
そんな波乱万丈の生涯を送った芦雪だが、 残された絵の腕前には唸らされる。 とりわけ270点にもおよぶ作品を残した 南紀滞在での充実期の、 その代表が「虎図」であり「龍図」である。 中には晩年「山姥」のようなグロテスクな作風もあれば 大の犬好きであったこともあって 「白象黒牛図屏風」の横たわる大きな牛のふところに ちょこんと佇むミニュチュアの子犬をはじめ、 現代でも人気を博すようなかわいい犬の絵も散見している。 そんな芦雪のことを想像すると、必ずも悪い人間だと思えなくなってくるし 憎めずふと愛おしさが募ってくる、そんな不思議な魅力があるのである。
EI-Qこと瑛九という、ちょっと変わったペンネームの画家がおりましたとさ。 主に抽象画から版画、印画紙の特性を生かしたフォトグラムまで まるで光のごとくわずか48年の生涯を駆け巡ったアーティストである。 いわゆるフォトモンタージュというという マン・レイが試みた前衛的手法を新たに再構築したような世界を垣間見れば 瑛九もまた“光”に魅了された男であったことを理解するだろう。 もっとも、その作風を見ていると、 思わず影絵の男と言っていいのかもしれない。 どこかで観た風景ともいうべき物語が展開されている。
エロティシズムって何? その定義に時間を費やすのもいいが 例えばスワーンベリ(スワンベルグ )という画家の画業を 素直に眺め入るだけでいい。 それをうっとりとして受け入れるような資質のなかに 真のエロティシズムが懐胎されているのだから。
その名もヴィフレド・オスカー・ドゥ・ラ・コンセプシィオン・ラム・イ・カスチーヤ。 キューバが共和国宣言をした年に生まれたのが このヴィフレド・ラムという画家の始まりである。 母親がコンゴ人とスペイン人との混血、父親が中国人という混血児であった。 (ちなみに、Wilfredo(ヴィルフレド)という名前だったらしく、 行政上のミスで「l」の一文字欠けた、「ヴィフレド」という名前になったらしい)
話は変わって、フランスのラヴァル出身の画家アンリ・ルソーの話をしよう。 晩年の「夢」と題された傑作のことを思い出した。 ジャングルの中に、ポーランド王妃の名前であるヤドヴィカ (ルソーがかつて恋していた女性らしい)という女性が 裸体で横たわっている不思議で幻想的な絵である。 ルソーの十八番といえば、なんといってもこのジャングルである。 密林こそがルソーが求めた楽園だったのだろう。 市中の景観や、人物画と並んで、このジャングルの絵は 遠近感や立体感といった視覚上現実を忘れることで、 自在に夢と戯れることのできるルソーの庭たる空間なのだ。 とりわけ、植物、葉っぱなどの造形には並々ならぬこだわりをみせ そのエキゾチックなムードは、幻想的であり のちのシュルレアリスムの予兆とよんでもさしつかえないほどに、 独創的な作風をすでに懐胎していたのである。
もっとも、ジャコメッティといえば、 あの病的なまでの細身の像を作り続けた彫刻家としてのイメージから、 ややもすれば、気難しく、命をすり減らすかのように、 探究心あふれる孤高の芸術家として生きたような錯覚を、どこかで持っていた。 確かに、完成することよりも、完成しようとする意志に貫かれて、 創造と破壊を繰り返した“完全主義”という一面こそ持ち合わせていたが、 生涯において、他人を寄せ付けず、 孤独なうちに野心ついえたようなタイプの芸術家とは、 根本的に違っていたのである。
フェルナン・レジェという画家の名前をだしてきて いまどき、どのくらいの共感がえられるのかはわからないが レジェの絵から受ける躍動感はさすがだと思うし、 現代でも通用するポップな精神性が脈々と宿っている。 けして古めかしくもないし、わるくないものだ。
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