映画・俳優

㊙︎色情めす市場 1973 田中登映画・俳優

芹明香スタイル『㊙︎色情めす市場』の場合

その芹明香演じる十九ピチピチの若く蓮っ葉な娼婦が、 日夜たちんぼうをしながら、男を漁り渡り歩くわけだが、 ギラギラ夏の太陽が照りつける大阪のドヤ街の片隅で 「うちなぁ何か逆らいたいんや」 そう呟くオープニングシーンのふてぶてしくも、 たくましさと気だるさとともに、思わず視線に緊張が走る。 けれども一時間強のドラマを観終わった後には そんな彼女が実に愛おしくなってくるのだ。

しゃぼん玉 2017 東伸児映画・俳優

市原悦子スタイル『しゃぼん玉』の場合

市原悦子というと一連の「家政婦を見た」で つとに名前が通っているのだが、 長谷川和彦『青春の殺人者』で見せたあの狂気の母親像をはじめ、 独特の存在感をもつ女優として この映画を通してもっと評価されるべき姿を 純粋に突きつけられた気がしている。 同時に、そんな女優がこの映画を後に この世から去ってしまった現実に一抹の寂しさが募る。

青春の殺人者 1976 長谷川和彦 ATG映画・俳優

水谷豊スタイル『青春の殺人者』の場合

確か、「傷天」のプロデューサーだった清水欣也は ショーケンにジェームス・ディーン像を重ね合わせてみていたけれど、 この『青春の殺人者』を見れば それはむしろ水谷豊の方だったのかもしれない そう思わせるものがここにはある。 現に、長谷川和彦はその『理由なき反抗』のジェームス・ディーンを 当時の水谷豊に託したかったのだ。 そういって『傷天』の乾亨が抜擢された青春の一頁なのである。

高峰秀子映画・俳優

高峰秀子スタイル

かくいう自分も高峰秀子、通称デコちゃんの大ファンである。 好きな女優さんは他にたくさんいるけれど、 やはり、ちょっと格が違うのだ。 もの凄い美人でもないが、凛とした気品がある。 そのくせ、銀幕を離れると、意外にも家庭的、庶民的。 そのギャップもまた素敵だ。 いうなれば、飾らない、至ってナチュラルな女性像。 もちろん、会ったこともなければ、なんの繋がりもない。 数々の映画と残されたエッセイなどからの請負、 イメージだけの妄想にすぎない。 いや、妄想なんかじゃなくて、実際そういう人らしい。 それはエッセイなんかを読めばよくわかる。

『めし』1951 成瀬巳喜男 東映映画・俳優

原節子スタイル「めし」の場合

東京の実家に舞い戻った原節子を訪ねてくる上原謙と ふとしたきっかけで仲直りをし、 再び大阪へ帰阪する車中のシーンだ。 三千代は初之輔に書いた手紙を結局窓から破り捨てる。 その横で、夫はまた以前のような姿で疲れ惚けて眠っているが、 妻はその時すでに、覚悟を決めて、生活そのものを受け入れるだけである。 不本意ではあるが、それはそれで、女の幸せとは 所詮そんなものだという諦めの境地が、 この大女優のくたびれ顔に 一筋の光を照らすなんとも感慨深いシーンなのである。

『生きる』1952年 黒澤明 東宝映画・俳優

志村喬スタイル「生きる」の場合

なんといっても雪の中ブランコにのっての、「ゴンドラの唄」のシーン ぐっとくるはずだけど、 むしろ、今回はずっと微笑ましく観れた。 でも、いいんですよ、たらこくちびるの志村喬は。 決して上手とか、うなるとかっていう演技じゃないんですよ、 でも、なんかほわんと伝わってくるんです。 その人間の味というのか、演技を超えた何かが。 志村喬といえば、七人の侍の「勘兵衛」もいいんですが やっぱり「生きる」にはかないません。

呪いの館 血を吸う眼 1971 山本 迪夫映画・俳優

岸田森スタイル『血を吸う』シリーズの場合

岸田森という俳優を覚えているだろうか? 実相寺昭雄監督による円谷プロの空想特撮シリーズをはじめ、 岡本喜八作品などで知られる 知る人ぞ知る、“怪優”と呼ばれるにふさわしい、 昭和を代表する個性的な俳優のひとりである。 ご多分に漏れず、そんな岸田森が大好きだった。 従姉にあの岸田今日子、元妻が樹木希林・・・ そういうと、その個性の輪郭が少しは縁どられるかもしれない。

映画・俳優

森雅之スタイル

森雅之は昭和の俳優のなかでも どちらかといえば玄人からの評価の高い俳優であった。 溝口健二『雨月物語』のワンシーンで 遠く、行商に出ていた主が家にもどってきて 落ち武者にとっくに命を奪われてしまっている妻が 幽霊として主を迎えるシーンがある。 クライマックスと言っていいシーンである。 そのシーンの撮影が終わったとき、 俳優陣、スタッフはぐったりしていたという。