映画・俳優

ブリキの太鼓 1978 フォルカー・シュレンドルフ映画・俳優

フォルカー・シュレンドルフ『ブリキの太鼓』をめぐって

もとはギュンター・グラスによる戦後ドイツ文学の頂点を極める 傑作小説の映画化である。 映画版では、父親の死、葬儀の際に 「なすべきか、なさざるべきか」この葛藤の末に ふたたび成長への意志を決意しブリキの太鼓をも埋葬し、 二十一までの実にいびつな“少年期”の歩みに終わりを告げる格好で終わる。 個人的には成長を宣言した後の十年の物語を含め さらに続きを見たいところだったが、 ここまでの波乱万丈の人生だけでも 十分に魂を揺すぶられる思いがした。

Je t'aime moi non plus 1976 Serge Gainsbourg映画・俳優

セルジュ・ゲンスブール『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』をめぐって

ここにはゲンスブールの屈折した美学が色濃く支配している。 つまり、ジュテーム(愛している)に対するモワノンプリュ(俺はちがう) という、なんとも逆説的な愛こそが、この禁断の三角関係に割って入るのだ。 いうなれば、波のように押し寄せる詩的な刺激である。 これこそがゲンスブール流アイロニー、ダンディズムである。

『痴人の愛』増村保造 1967文学・作家・本

増村保造『痴人の愛』をめぐって

それにしても、安田道代があられもなく、 被写体となってさらしたヌードのカットが、スタイリッシュに並べられ、 あたかもグラビアの一枚を飾ってしかるべきものが、 スクリーンを占拠するモダンさで、かくも大胆に痴情の小道具として晒されると、 小説の醸し出すエロティシズムは、逆にどこか薄らいでしまって、 女のしたたかさ、男の哀れみだけを扇情的に浮かび上がってくるのである。

『「エロ事師たち」より 人類学入門 』1966 今村昌平文学・作家・本

今村昌平『エロ事師たちより 人類学入門』をめぐって

ちなみに主人公スブやんとは酢豚の略で、 原作では「豚のように肥ってはいても、 どこやらははかなく悲しげな風情に由来するあだ名であった」 と記されているから、とすれば、小沢昭一ではなく、 当時なら、フランキー堺あたりが適任だったのでは、とは思うけれど、 このすすけたような小沢昭一の哀愁は、どことなくはかなくも十分に熱演であった。 ちょっとした性的倒錯を抱えた喜劇的中年エロ男を演じさせると、 この俳優は天下一品であると思う。

『昼顔』1967 ルイス・ブニュエル文学・作家・本

ルイス・ブニュエルの『昼顔』をめぐって

『昼顔』では、まさにそんなドヌーブの艶を 単なるエロティシズム以上のものとして漂わせている。 美しい肉体と品のある眼差し、そしてモード。 この時ドヌーブ24歳。 すでにロジェ・ヴァディムとの恋、そして出産、 そして姉フランソワーズの死を実生活で受け止めながら、 まさに女としての艶が開花してゆくドヌーブは すでにこの映画的な官能のムードを ナチュラルに作り上げているのは素晴らしい。