アレハンドロ・ホドロフスキー『エル・トポ』をめぐって
ちなみに、エルトポとは、モグラのことである。 「モグラは穴を掘って太陽を探し、 時に地上へたどり着くが、 太陽を見たとたん目は光を失う」という冒頭の詩句で始まるが モグラとは、いうなれば愚かさの象徴の意味をもつが、 エル・トポは様々な体験を通じ、 ここではその愚かさを乗り越えてゆく神そのものなのである。
ちなみに、エルトポとは、モグラのことである。 「モグラは穴を掘って太陽を探し、 時に地上へたどり着くが、 太陽を見たとたん目は光を失う」という冒頭の詩句で始まるが モグラとは、いうなれば愚かさの象徴の意味をもつが、 エル・トポは様々な体験を通じ、 ここではその愚かさを乗り越えてゆく神そのものなのである。
これは傑作だとか幻のムービーだとかいった 安直な言葉で片付けられない映画として記憶されるべきだ。 映画というものに、ひいては文明や資本主義社会への挑戦でもある。 その意味で、『ラストムービー』は 『イージー★ライダー』以上に重要な作品であり 以後デニスの運命を、よくもわるくも狂わせた作品として はっきり刻印しなければならない。 デニス・ホッパーにしか撮れない映画として。
冒頭、映画史を紐解いても、これ以上ないというほどの 実に蠱惑的なロングショットで幕を開ける、 オーソン・ウエルズの『黒い罠』は、掛け値無しで傑作だと思う。 だが、単なる傑作として終わらないのがオーソン・ウエルズの オーソン・ウエルズたる所以である。
かくして、ブコウスキー文学の不思議な清々しさ、 胸のすくような猥雑なざわめきが、 この『つめたく冷えた月』にも程よく溶け出しており、 どこか憎みきれない二人の中年男の哀愁の サイテーながらも、サイコーの幻影とともに酔いしれ そんな弛緩した瞬間に、ふと心地よさを覚えたりするのを 自覚するのである。
それにしても、いくら実際の体験から生まれているとはいえ、 ポランスキーのこうした強迫観念めいた演出は 実に恐ろしく、見事に引き込まれてしまう。 それは『反撥』『ローズマリーの赤ちゃん』にも十二分に発揮されていたが 『テナント』ではそれを見事に当人が演じることで よりリアルで逼迫した空気が張り詰めている。
最近とんと噂のないヴィンセント・ギャロのことを 朴訥に考えていた。 処女作『バファロー66』は三度観た。 はじめて観たとき、そのオフビートな笑いのセンスに ぼくは思わずニタニタしてしまった。 ギャロという男のなんともいえない哀愁と茶目っ気に 心を掴まれたからだった。
けれども、この映画のテーマは 実を言うと正義などと言う安っぽい、 と言うと語弊があるけれど、 そんな大義名分はさておき、 孤高に生きていてきた退役軍人としての心の傷、 人生の痛みや重みが 人種も年代も違う人間への真の友情として描かれ 奮い立って自身の天寿を全うしたこの老アメリカンの生き様に、 心打たれるのであった。
かくして、勝新の贅の極みが尽くされた『新座頭市物語 折れた杖』は 傑作、かどうかは別にして、 マニアにはたまらない作風となって語りつがれている。 こんな作り手も現れないだろうし、またそれを許す配給会社もないこの時勢、 実に、貴重で、実に勝新らしい一本として、 ファンならずとも、ひとりでも多くの映画ファンに知って欲しい作品である。
石井聰互(改め現岳龍)による 夢野久作原作のオムニバス小説『少女地獄』のなかの一編 「殺人リレー」の映画化である『ユメノ銀河』は、 全編モノクロームトーンで、まるで夢のなかのようなできごとが、 淡く甘美に綴られ、不思議な空気感を孕んだ作品として構成されている。 甘美とはいえ、終始謎めいており、 結論から言えば、それは最後まで一貫して晴れることはない。 まさに夢野久作ワールドの世界観そのものである。
間違い無く言えることは、この石立鉄男が出ていた70年代のドラマは 掛け値なく面白かったということであり、 個性あふれる俳優と腕を持ったスタッフたちの奇跡的な共同作業が 時代の良き空気感をそこなわず、素朴でありながらも 同時に濃密にかつ熱く繰り広げられていたからだろう。 まさに良き昭和の風景がそこにあった。