アラン・ロブ=グリエ『快楽の漸進的横滑り』について
1953年に『消しゴム』でデビューして以来 『覗く人』『嫉妬』など次々と文学的問題作を発表してきた作家ではあるが、 幸い、ロブ=グリエという人は生涯9本の映画を撮っており、 アラン・レネの『去年マリエンバートで』の脚本をも手がけているぐらいだから 映画というジャンルにも並並ならぬ意欲を示してきた作家と言える。 実はその作品の一つ『快楽の漸進的横滑り』について 何か書けるかというところから 長々と前振りを書いてきたのである。
1953年に『消しゴム』でデビューして以来 『覗く人』『嫉妬』など次々と文学的問題作を発表してきた作家ではあるが、 幸い、ロブ=グリエという人は生涯9本の映画を撮っており、 アラン・レネの『去年マリエンバートで』の脚本をも手がけているぐらいだから 映画というジャンルにも並並ならぬ意欲を示してきた作家と言える。 実はその作品の一つ『快楽の漸進的横滑り』について 何か書けるかというところから 長々と前振りを書いてきたのである。
コクトー24才の処女小説『ポトマック』。 小説というにはあまりも骨の透き通ったような ゼラチン質の散文である『ポトマック』は、 「鯨と腔腸動物の合の子」という 架空の生き物=怪物をめぐるコクトー流の寓話だ。
地上で生きるためには流行を追わねばならぬ。が、心はもはやそれには従わぬ。 『大股びらき』ジャン・コクトー 目新しい文学にとんと触れていないし、決して熱心な読書家というわけでもない。手元の書架も整理してしまった今となって...
人であれ、ペットであれ、物であれ、ひとはなぜゆえにあれほどまでにその対象を偏愛してしまうのだろう? 通常の眼差しをわけもなく凌駕し、その対象へとのめり込むことの情熱。対象を語るということで滲み出してしまう偏愛への序章は、そのまま主体側の個としての資質、いわば重要な側面をすでに表出させているように思える。