セロニアス・モンクの話

Thelonius Monk 1917- 1982
Thelonius Monk 1917- 1982

世論に押された文句より、魂に響くモンクのほうに耳を傾けていこう

このコロナ騒動に乗じて丸一年、
どこか人同士が憎しみ合うようなギスギスした感じが横行している。
そして充満するのは疲弊と不満ばかり・・・
まったくもっていやになってくる。
第一に、他人のアラをさがしてばかりで、
本当の意味での思いやりってことからはかけ離れた
偽の思いやりを声高に主張する、いうなれば自称警察、
歪んだモラリストたちがあふれかえっているから、全く生きにくい。
文句のひとつやふたついったところで、どうなるものでもないが
黙って卑しがられてばかりもシャクではある。
しかし、その文句をじっとこらえる、というかをいったん飲み込んで、
素敵なものにふれていると、気分がよくなってくるってもんだ。

さて、ぼくの大好きなモダンジャズ・ピアニストの話をしよう。
セロニアス・モンクというひとは唯一無二なジャズミュージシャンであるが、
随分変わり種だったといわれている。
たとえば同じくモンク好きなJJこと
これまた大好きな植草甚一氏のジャズエッセイには、
「セロニアス・モンクをめぐるエピソード」
として,そのあたりのことがいろいろ綴られている。
が、どれも「変人」というほどのものではない。
「不器用な」というニュアンスのエピソードであって
例えば、途中で演奏を止める,だとか、
いなくなてしまう、だとか
あがって演奏を間違える、だとか
「突飛」で「つかみづらい」という印象は理解できるよ、
確かに性格的にちょっとだけ変わっているのだろう。
だからといって、モンクの音楽を嫌いにならないし、
むしろ、かえってぐっと親しみがわくっていうもんだよ。

こんな風にモンクのことを書き始めたのは、
ぼくの知り合いに、モンクについて、真剣に「つまらない」音楽家だと
考えている人がいるってことを知ったからだ。
しかもその人は音楽関連の仕事を生業としているときてる。
「変人」そして「エリントンのコピー」だとか
そんな愚かな定義づけで、何を斬ろうっていうのか。
まったく、冗談じゃないっ、
と、怒りだしたくなる気分だったんだけど
それって、いわゆる生前のモンクが受けていた境遇そのものだな、
そう思ってグッとこらえた。
でも、モンクの偉大さは今じゃ十分に知れ渡っているし
彼自身生前その無理解ぶりには随分落ち込んだに違いない。
でもそれはモンクの責任じゃない。
単純に人々がモンクを理解できなかったからさ。
ちょっと時代が早すぎただけだよ。

ときは流れ、今日ではモンクを悪くいう人間を
ぼくはいままで聞いたことことがなかった。
当然のように、ミュージシャンズチューンというか
多くの人がモンクの曲を演奏している。
JJ風にいえばモンクを知らない人がいると
「なんとなく気の毒になる」というものだよ。

そんなことで、その無知な人に「文句」をいってやろうか
と考えたが、モンクのことで文句をいうなんてーのは
邪道というか,ばかばかしいのでやめにした。
ぼくは確かに音楽理論のことはよくわからないけれど
モンクの音楽が、他のジャズとは全然違うのはすぐわかるし
なにより、理屈抜きで自由な感性を刺激してくれるからで
なにもわざわざ、小難しいジャズ理論なんかをもちださなくってもいいからだ。
モンクの音楽にはずいぶんウキウキさせられてきた。
それはジャズだから、ってことではまったくない。
少なくともぼくのちょっといかれた感覚なら
モンクのフィーリングを十二分に楽しめるってわけだから。

そんなわけで,以前から思うことだが
「音楽」を知ったかぶりする人よりも
全く知らない人の方がまだ救われるということだ。
まして、これだけ情報量の多い時代になると
音楽のボキャブラリー自体で
その人の器が決まってしまうことだってあるのだ。
それって恐ろしいことだと思いませんかねえ?
モンクを知らない人は「気の毒」だけど、
モンクを否定する人はまさに「毒」そのものだと思う。
もちろん、音楽だから、好き嫌いはあっても構わないし
万人に支持されるものにはむしろ構えてしまうけど
やっぱり、その言っている内容が単なる偏見だとしたら
やはり、この人は音楽を聞く耳を持ってないんだな、
と考えてしまう。
そんなわけで、ぼくは不当な評価に対しては
やっぱり声をあらげたいと思っている。

植草甚一によれば,大のボクシング好きと一方がピンポン好き
モンクとマイルスが「バッグス・グルーヴ」で意見が衝突して
どうしてケンカしたのかと聞かれたモンク先生曰く,

喧嘩なんてしていないよ。だいいちマイルスのような小男を相手に喧嘩したら、むこうが殴り殺されてただろう。

『ジャズエッセイ1』植草甚一 より河出書房新社

エラい。
ははは。でもマイルスってそんな柔な人なんだっけ?
ま、ケンカってものは馬鹿馬鹿しい。
ケンカなんてつまんないことはやめようよ。
ただし、ぼくのほうもいわゆる“チビ“側なんですけどね。

で、植草先生の偉いことばを思い出した。
「モダンジャズは皮膚芸術」ってこと。
つまり、モンクがわからないというのは
その人とはたんに肌が合わなかったと言うべきなのよね。
おあとがよろしいようで。

ぼくが親しみをもってモンクなしのモンクを推奨できるアルバム

Solo Monk

モンク入門にはもってこいの『ソロ・モンク』
モンクのピアノだけしか入っていないからとても聴きやすいと思う。
知らない人ならここから聞いてみるのもいいかもしれない。
きっと愛さずにはいられなくなる音楽ってことがわかってもらえると思う。

Monk’s Music

これはリバーサイド時代のモンクを代表する一枚。
ベテランのコールマン・ホーキンズと若手コルトレーンのテナー共演も聴きどころ。
モンクがコルトレーンを自分のバンドに誘った歴史的な名盤でもある。
Well, You Needn’t」での「コルトレーン、コルトレーン!」と叫ぶモンクの声が聞こえてくるあたり、
ふたりの関係性も伝わってくる。

Thelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall

モンクとコルトレーンの歴史的共演をパッケージした名盤。
ふたりの共演は3枚のスタジオ・アルバムがのこっているけど
2005年に米国議会図書館で発見されたというこのライブ盤は
録音状態も素晴らしく、実にお宝だったといえる。
脂ののりきったモンクとそこで水をえたようにテナーを吹くコルトレーン。
ライブの空気感は、スタジオ盤にはない雰囲気で、モンクのなかでも
かなり最高レベルの録音物としての価値もあるんじゃないかな。
ジェケットも好きだな。

Misterioso

モダンジャズと抽象絵画、シュルレアリスムの相性は不思議にマッチする。
もちろん、そんな深い分析に基づいてはいないんだけれども、
少なくともこのキリコの絵のジャケットとモンクのカップリングは秀逸だ。
これは1957年の「ファイブ・スポット」でのライヴ・アルバム。
僕の大好きなモンクナンバー「misterioso」その名の響きどおりの雰囲気があって
モンクを楽しめる一枚じゃないかな。

Bag’s Groove 1954 MILES DAVIS

モンクのリーダーアルバムじゃないけど、名盤であることは間違いないし
メンツも錚々たるメンツだ。
モンク以外に、ソニー・ロリンズ、 ミルト・ジャクソン、
ホレス・シルヴァー、 パーシー・ヒース、ケニー・クラークだからね。
とくにミルト・ジャクソンのヴァイブがクールでかっこいいけど、
やっぱり、モンクのソロだよね。
心なしか、妙な緊張感がある。
やっぱりマイルスには気を使うだろうしね。

注)この喧嘩は『バグス・グルーヴ』ではなく、その対をなす『Miles Davis & the Modern Jazz Giants 』でのことだと思われる。1954年12月24日録音で、「クリスマス・セッション」ともいうべき、このアルバム1曲目 “The Man I Love” で、マイルスの、「俺のバックでピアノを弾くな」という言葉にモンクが怒って、この曲のソロの途中で弾くのを止めてしまった、という逸話のことだと思われる。

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