フランソワ・トリュフォー『突然炎のごとく』をめぐって

突然炎のごとく 1962 フランソワ・トリュフォー
突然炎のごとく 1962 フランソワ・トリュフォー

悪女に焦がれ身を焦がされ、つむじ風に弄ばれて

その昔「中ピ連(中絶禁止法に反対し、
ピルの全面解禁を要求する女性解放連合)」
というウーマンリブの団体があった。
今から半世紀近く前のことだ。
ピンクのヘルメットを被り、女性上位の主義主張を掲げて、
堂々男社会に切り込んだこのフェミニズム運動は
マスメディアでも大々的取り上げられ、
大いに世間の関心をさらったものだった。

中でも「男の不倫に泣き寝入りしない」という
強い女側のテーゼは、それまでの男尊女卑が横行する社会に
女は断じて男のおもちゃではない、という強いメッセージをもって
一石を投じたのは間違いない。
まだ、なにも知らない子供の身であった自分に
そんなことを理解できる知性はなかったけれども。

そんな記憶をうっすら思い返しながら、
フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』を
久しぶりにみた余韻に浸っている。
この映画は、その「中ピ連」立ち上げから遡ること
約12年も前の映画である。
60年代のカウンターカルチャーという、
世界的な文化革命において、多大な影響を与えたと言われているほどで
トリュフォーの名を世界に知らしめた傑作である。
つまりは、自立した女性像の確立を意味している。
多かれ少なかれ、中ピ連にも何がしかの影響は与えているはずであり、
その中身は中ピ連族を後押しするに十分な
女性上位のストーリーが実にドラマチックに描き出されているのだ。

ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌは
この主演によって女性解放運動の旗手として、
多くの女性からの共感を呼び、映画自体もヒットを記録。
まさに女性解放が叫ばれる映画にふさわしい、
時代の夜明けを象徴していると言っていいだろう。

とはいえ、原題は『Jules et Jim』であって、
文学青年同士の友情のもとに
奇妙な三角関係に発展してゆく恋愛映画になっている。
成人した男としては、なにやら複雑な思いがないでもない。
何しろ、貞操観念などどこにもない女が
あっけらかんと手の内で親友同士を手玉にとるのだから。
ジムに向かって子供を産みたいと切願するカトリーヌが、
「今なら誰の子供だかわからないわ」
なんていうセリフをあっけらかんと吐いてしまうのだから、
男ならぞっとしないわけにはゆかないのだ。
親友二人はこの魔性の女に翻弄されながらも
固くその友情の絆で結ばれている。
それゆえに、この映画が純粋な恋愛映画ではないということを、
肝に命じておく必要がある。

それにしても、ジャンヌ・モローという女優は
悪女が似合う女優だ。
それでいて、ドロドロした男女のイモラルな恋愛を
どこまでもアモラルに演じるモローは
映画の中で彼女が爽やかに歌ってみせる「つむじ風」のように、
どこまでも屈託無く、無邪気に恋愛を楽しんでいるのがいい。
いや、それは楽しみというよりは、
もっと激しい支配欲のようなものなのかもしれない。
まるで、虐げられた女たちの悲哀への復讐のように思える。
決して美貌で男を転がすタイプではないが、
その自由奔放な性格には、どこか悪魔的な魅力があるのだ。
決して進んで関わりたくない危険な女でありながら、
男としては、一度は出会ってみたい女、
これぞファムファタルそのものではなかろうか。

そんなジャンヌ・モローを前に、
掲げるべき我が国のフェミニズムを「中ピ連」に求めるよりは
「恋愛の自由と母性の確立があってこそ女性の自由と独立が意味を持つ」
と主張した平塚らいてうの方がより似つかわしいかもしれない。
明治生まれのこの元祖フェミニストと言っていい思想家は、
いみじくもこの『突然炎のごとく』の原作
アンリ=ピエールによる自伝的小説の舞台である
第一次世界大戦を挟んだ空気感を共有しているからだ。
「元始、女性は太陽であった」という表題を掲げた
我が国最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』を
立ち上げた彼女の元への反響は凄まじく
女性の読者からは手紙が殺到したのだという。
まさに、『突然炎のごとく』公開後のジャンヌ・モローのようではないか。

ラストシーン、すでに自らの手中から離れてしまった男ジムを伴って、
そのまま車ごと川にとびんこんでしまう炎の女。
どこまでも、突飛で、どこまでも自由な女の最後としては
あまりにも衝撃的である。
結果として、カトリーヌはジュールの手に帰るわけだが、
彼が背負う十字架は、死んでしまった親友以上のものであろう。
果たしてこれが恋愛劇だと言えるのだろうか?

ナポレオンに恋した女、
恋愛に代表される、あらゆる主導権を握りたいがための
女の革命家、と呼んで差し支えのないこの強い女こそは、
まさに突然の燃え盛る炎のようであり、
やわな男たちの心を燃やし続け男狩りをする魔女なのではなかろうか?
やはり、男と女の間には深くて暗い河があるものなのだろうと
思わずにはいられない。

男にとって、そんな恐ろしい映画にも関わらず、
ここには爽やかな一陣の風が吹いている。
男装したジャンヌ・モローが橋を疾走するシーン、
そしてコテージで、アルベールのギター伴奏で、
この「Le tourbillon(つむじ風)」を歌うシーン。
いずれも素晴らしいシーンとして、
この目にいまなお忘れがたく焼き付いている大好きなシーンだ。

On s’est connu, on s’est reconnu,
On s’est perdu de vue, on s’est r’perdu d’vue
On s’est retrouvé, on s’est réchauffé,
Puis on s’est séparé.
僕たちは出会い、そして知り合った
僕たちは離れ、そしてさらに離れた
そして僕たちはまた出会い、温もりを確かめ合った
そうしてまた別れた

『突然炎のごとく』挿入歌「Le tourbillonつむじ風」より

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