田園に現れたストレンジャーは、虚空を切り裂く光でもって記憶を刻みつけたという
レンズもまた肉眼のように、絶えず「未開の状態」で存在することを、ある日、いつかは思い知らねばならぬだろう。
鎌鼬、真空の巣へ 瀧口修造
手元に一冊の写真集を眺めている。
日本が誇る写真家細江英公と舞踏家土方巽によるコラボ
『鎌鼬ー田代の土方巽』は、まさに一つの神話のような
奇跡を刻印している。
土方は秋田県秋田、細江は山形県米沢と言う地に
それぞれ生まれ育っている。
まさに東北の、スレていない農村への眼差しを
もとより共有する二人の出会いは、
秋田県雄勝郡羽後町田代の農村を舞台に選ぶ。
日本の生めく原風景たる土地に降り立った
不世出の舞踏家を捉える写真家の眼は、
まさに何者による仕業かわからぬ鎌鼬現象を
とらえんがための呪術的な視線でもって
らんらんとして、事象を鋭く見据えている。
土方巽はそこで、身体性の動きのみに頼ることなく、
何かを語らんとする、魂の意思を
写真によって暴きだされんとそこに姿を晒す。
まさに、魂と魂の野放図なまでの対峙である。
衝突といっていいのかもしれない。
それが村全体を舞台として繰り広げられるのである。
なんと言うスリリングな写真劇であろうか。
しかし、そこには台詞もなく、設計もない。
まやかしもなければ、たわごともない。
ただ人間と人間の気が通底する物語が
土地の気配に見守られて展開してゆくのみである。
純朴な子供達、あるいは農民たちの眼差しは
被写体を受け入れる、と言うよりも
その場に同化することで、「鎌鼬」なるものを共有するに過ぎない。
とはいえ、この写真における驚異をなんと説明すればいいのか?
のどかな日常に突然現れたこの異物に対する違和感など
微塵もなく、まるで生き神のように
慣れ親しんだ存在として受け入れているのである。
笑顔を保ちながら、この異物を囲む農民たちとの写真には
あの成田闘争たけなわの三里塚に根を下ろして
その民衆の表情を撮り続けてきた小川プロのドキュメンタリーが頭をよぎる。
ここには、何人にも邪魔されない裸の魂の微笑みがある。
緊張を超えて咲く緩和の花が、美としてその画に浸透している風景である。
この写真を見ていると、ちょうどその小川紳介の映画『1000年刻みの日時計』で
金持ちの家に生まれながらも、放蕩の果てに乞食となった
「堀切観音物語」の与ぎを演じた姿が思い返される。
この土着性における身体の詩的表現こそは
土方巽の根源にある魂の波動なのだと。
この一つの事件、一つの現象は、
1986年土方の死去以後もその余韻を保つことになる。
1991年に、当時の突然の撮影への非礼を詫びようと
再び羽後町田代の村を訪れた細江を待ち構えていたのは
記憶からの歓待であったと言う。
当時の子供達にとっては、一人のストレンジャー、
異物への思いが忘れられない衝撃の記憶として
この年月のブランクをひたすらつなぎとめてきたのである。
そうして、この奇跡はこの地を「鎌鼬の里」として
残しておきたいとする機運とともに
「鎌鼬美術館」が設立されるに至ったのである。
毛むくじゃらの真空よ、血走り、噛み付く真空よ、おまえはただこの地上に生息し続けねばならぬ。
天空への無限の渇きは、それ自身、いよいよ地底への渇きを指し示さずにはいない。そして大いなる突起物は大空所へ、またはその逆へと向う、その現象の向う宇宙的変容こそは、まさにパタフィジックに、極限に具体的になしとげられるだろう。真窓の劇場もこの変容とともにある。
この恍惚の幽霊の源泉に到達するには、日を追って、いよいよ深く掘り進まねばならぬ。
その目撃者こそは、一瞬の閃光である。『鎌鼬ー田代の土方巽』 細江英公 鎌鼬美術館編 慶応義塾大学出版会
「鎌鼬、真空の巣へ」瀧口修造 より
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