石の上にも33年。石が愛に変わる時。
一本の映画に、感動した、凄いものをみせてもらったと、
簡単に言葉だけで片付けたくはない、そう思った。
ニルス・タヴェルニエによる『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』は
ひとりの男が成し遂げた軌跡を前に、
まずは、そうした陳腐な感想を回避するところから始めなければならない。
風の吹くフランス南東部、ドローム県オートリーヴ村に、
かつて、ひとりの郵便配達員が築いた奇跡がある。
その男とはフェルディナン・シュヴァルという、
十九世紀末、文字どおり“石を積む”ことで夢を現実に変えた男だ。
彼の建てた理想宮(Palais Idéal)が、建築である前に
いまも一篇の詩としてそびえ立っていることに驚きを禁じ得ない。
それは、彼の人生そのものが凝縮されたひとつの祈りとして、
愛、誠実さ、そして永遠への憧憬の結晶を打ち立てた物語である。
すべては、失うことから始まる。
シュヴァルは早くに妻を亡くし、
葬儀では人の顔さえまともに拝めず、涙すらも流せない男で
せっかく再婚できたあとに子供を授かっても
「子供の扱い方がわからない」と当惑するほどなのだ。
鈍感というよりも、そんな不器用きわまる男は
さらにその愛する子どもまで失ってしまう。
心の中の“空洞”だけが病のように広がっていく。
そんな残酷さに向き合うかのように、年月をかけて軌跡を描くストーリーに、
感動というより、言葉が見つからないと言った方が誠実にちがいない。
とはいえ、タヴェルニエは単に“夢を実現した男”を描く感動譚ではなく、
「芸術とは何か」「創造とはどこから始まるのか」という根源的な問いを、
われわれに地味で、着実な継続を伴って達成されるという、
詩的真実への翻訳を試みた。
彼は語らず、めげることなく石を拾い、手押しの白い一輪車を押しつづけた。
配達の途中で足を取られたひとつの石を手に取り、
その奇妙な形に、何かを見、何かを託しつづけたのだ。
私の意志と勇気がこの宮殿を築いた。時はこれを敬うだろう。
そうして始まった気の遠くなる33年の建築は、
失われた愛を形に戻すための無言の祈りが込められている。
オートリーヴ《理想宮》正面ファサードの刻字には「ひとりの男の仕事」とある。
石を積むたび、彼は亡き娘の声を聴き、
ひとつの石が、ひとつの記憶になって積み上げられてゆく。
それは“墓”ではなく、“愛の再生のモニュメント”と呼ぶべき重みの根を
この大地に下ろしている。
シュヴァルは、郵便配達員として毎日三十キロを歩いたのだという。
彼は一度として遅れず、欠勤せず、
気高き労働者として、その生涯を通して働き続けた。
その超人的肉体の頑健さと誠実さが、彼の人生の基礎であり、
やがて《理想宮》の礎にもなってゆく。
そして、この奇跡の始まりが43歳のとき。
1879年から1912年まで、1万日、9万3千時間、
33年の膨大な試練が積み上げられたシュヴァルの宮殿が、
アートと呼ぶにはどこか違和感があるのは、そのためである。
日々の配達は、風景との対話を兼る営みだ。
土の匂い、風の向き、石の手触り、あらゆる変化。
彼は自然を観察しながら、
夢は必ず築きうるのだと確信していたに違いない。
彼にとって働くことは、信じることへの推進力をもっていた。
誠実に働くこと、そして宮殿を作り続けることが同義語だったのだ。
労働こそは、その詩的行為の原型となって、彼に力を与え続けてきた。
そこに、われわれが揺さぶられるのは無理も無い。
夢はすべてに勝る
それは、シュヴァルの人生哲学であり、世界への素直な応答でもあった。
芸術は彼にとって特別なものではなく、
日々の誠実の延長線上にある自然な営みなのだ。
そこに感動と賞賛があるのはわかる。
そもそもが、シュヴァルには芸術家のおごりも野心もない。
とかく人間の命は短い。
愛も、記憶も、やがて風化する。
だが、彼はそれを受け入れられなかったのだ。
人生はすきま風が通るような早さだ。だが、思想は永遠に残る
こうして、彼の姿をみていると、その動機は、
願望というよりも、信仰に近いものとして描かれている。
それは「死者を蘇らせたい」という願いではなく、
「愛とともにあるべき姿をさがす」という希いだったのではないだろうか?
病気で子供を失い、その無力さの前に彼は言葉を見いだせない。
その想いが、やがて《理想宮》という永遠のホームを生んでゆく。
そこには東西の建築が混ざり、聖書も仏教も、
エジプトのピラミッドも、中国の塔も共存する知恵の塊だ。
世界のあらゆる文化が、彼の“永遠への想像力”の中でひとつに融合している。
奇跡と軌跡とが交わる宮殿の叡智。
それは、死を越えて魂が“つながる”ための建築であり、
孤独な人間が世界に返した、最も静かな愛の形だったのだ。
意志がどれほどのことを成し得るかを証明するために生き、そして死ぬ
そんな男を、彼をよく知らぬ人たちが理解できるわけもない。
大衆は「石拾いの気狂いだ」と特異な目で見る。
だが、彼は怒りを自身に向けた。
自分に出来ることは宮殿を完成させること、それだけなのだと。
村人の嘲笑も、世界の無理解も、彼にとっては風の音にすぎなかった。
なぜなら、彼が信じていたのは“他人の目”ではなく、
我が手と心の声だったからだ。
彼は信念の人であり、沈黙の詩人であり、
彼にとって、建築とは自己表現ではなく、
誠実を積み重ねる時間そのものだったのだ。
彼の息子と妻だけがシュヴァルの不器用な愛を知っていた。
そしてその愛に見守られながら
時間が、石を通して詩へと変わることが美しいのだと証明する。
愛する者の死を悲しみながら、なおも世界を信じ続けるという、
この「静かな信仰」が、彼を突き動かしたのだ。
しかし、返す返すも33年の月日はとてつもない時の集積である。
《理想宮》は、なにも天才の作品とはいわない。
それは、ひとりの誠実な男が、
世界と愛を信じ続けた結果として生まれた“信仰の重み”だからだ。
だからこそ、その場はいまなお、燦然とそびえ
後世の人々の心を打ち続けるのではあるまいか?
この宮殿に天井はない。
風が通り抜け、舞う鳥が臨める。
それはまるで、愛そのものが石に刻まれ呼吸しているように
自然に優しく対峙している。
はたして、こうまでして
このシュヴァルを突き動かしたものとはなんだったのか?
あらためて考えてしまうのだが、
それは、誰よりも強い「愛」と、誰よりも深い「誠実さ」につきるだろう。
その二つが出会ったとき、石が鼓動を刻み、夢は現実となるのだと。
人は、愛を失うたびに埋め合わせるために何かを築こうとする。
あるいは、別のなにかにすり替えるといった風に。
だが、シュヴァルには宮殿があった。
家を、言葉を、あるいはひとつの石でもってそれを成就させたのだ。
それは「忘れないための祈り」として、
魂が「生き続けるための構築」として、神の保護下にあったのだ、
そう解釈するのが自然であろう。
静寂と永遠の安らぎの墓
もう一度彼の名前を呼ぼう。
フェルディナン・シュヴァル。
彼の宮殿は、いまもドロームの風の中で、静かに語りかけてくる。
愛は消えない。
それは、石に触れればわかることだ。
そういっているように思えた。
無名の職人として、無垢の芸術家として、石と神に愛された男。
信念と魂と永遠を刻む男の所業を前に、
いつかこの理想宮をこの足で訪れ、その石に触れてみたいと思った。
シュヴァルの宮殿をめぐって、アンドレ・ブルトンが「宮殿」を称賛し献詩までしており、ピカソもまた、この地を訪れて絶賛し、シュヴァルに向け馬(フランス語でシュヴァルは馬を意味する)の絵を描いていることからも、これをある種のアウトサイダー・アートとして捉えることは十分理解できる。しかし、シュヴァル自身は石工や建築の知識を全く持ち合わせておらず、宮殿のインスピレーションを絵葉書から得ていたのだという。もしも配達時に、石につまづいていなければ、石の宮殿という発想にも至らなかったかもしれない。まさに、真のアウトサイダーでありながら、奇跡の郵便配達人なのである。
Stoned Love · The Supremes
フランスの田舎の片隅で三十三年の歳月をかけ、ひとりの郵便配達員が積み上げた奇跡《理想宮》。その石のひとつひとつは、失われた者たちへの祈りであり、世界をもう一度信じようとする、静かな意志のかけらだった。そんな宮殿に、新生シュープリームスの “Stoned Love” を捧げるのは、意外に思えるだろうか? この曲は1970年、傷ついたアメリカ社会のただ中に投げ込まれた、“石のように揺るがぬ愛”への讃歌である。フローレンス・バラード脱退後、ジーン・テレルを迎えた“新生シュープリームス”による再生の象徴として、ソングライターのケニー・トーマスが込めた意味は、単なる恋愛ではなく、「人類の一致と癒しのための愛」だった。恋の歌を超え、争いや不信を溶かすような、強く、ほとんど祈りにも似たメッセージが響いてくる。
シュヴァルが積んだ無数の石が、愛を忘れまいとする人間の手の記憶だとすれば、シュープリームスの歌声は、愛がまだ世界を動かすと信じたい心そのものである。時代も大陸も離れているけれど、ふたつの表現は同じ一点、つまりは「信じる力の尊さ」を語りかけてくるはずだ。石が愛となり、愛が歌となる。その循環のなかで、音楽と建築はひとつに重なり、シュヴァルの宮殿の空高く “Stoned Love” は雲のように流れるにちがいない。












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