「異端の奇才 ビアズリー展」のあとに

三菱一号館美術館「異端の奇才ビアズリー展」のあとに
三菱一号館美術館「異端の奇才ビアズリー展」のあとに

永遠の異端を嗅ぎ分けて

東京・丸の内、ビジネスマンたちが行き交う街の一角に、
ひっそりと時間の扉が開く場所がある。
三菱一号館美術館、赤煉瓦の壁にツタの影がのびるその建物に
僕は初めて足を踏み入れたのだ。
もともと明治27年にジョサイア・コンドルの設計で建てられた、
東京初の洋風オフィスビルだったが
解体され、そして忠実に復元されたその佇まいは、
過ぎた時代の“声”を聴かせてくれるようで、
まるで過去が息をひそめながら生き延びているような感触がある。

そんな場所に、黒い線の魔術師、オーブリー・ビアズリーが降り立っていた。
展示のタイトルは「異端の奇才ビアズリー展」。
異端、ビアズリーに冠する形容としては十分ではないだろうか。
たしかに、彼ほどこの言葉が似合う芸術家もいない。
実質の活動はたかが5年かそこらの25年の短い生涯。
結核に蝕まれながらも、彼の描いたものは妖しくも美しく、
禁忌と装飾の狭間で咲いた黒い花のようだった。

場に足を踏み入れると、
けして大きくもないサイズに納められた
まずその「線」の前に立ち尽くすことになる。
黒と白。ときにグロテスクなまでにしなやかで、
ときに異様な静けさを孕んだ線。
一筆一筆に宿るのは、色彩に溢れた画家にはない、
倒錯、エロス、死、沈黙、そして皮肉の美学が横たわっている。

代表作『サロメ』シリーズでは、オスカー・ワイルドの戯曲をもとに、
ファム・ファタールとしてのサロメが描かれている。
だがその視線は、どこか空虚で、欲望に満ちた口元さえも冷たい。
絵の中の人物は“見られている”のではない。
むしろこちらが“見返されている”ような、逆転したまなざしが空間に漂う。
このワイルドの『サロメ』という作品そのものが、文学史における異端だった。
聖書を題材としながら、欲望と死を反復する象徴主義の戯曲。
サロメの「私は彼の口づけが欲しい」というセリフは、
愛ではなく呪いのように響き、
宗教的秩序の転倒、美の頽廃を描き出していた。
それはまさに、ビアズリーが線で描いた世界と呼応しているのだ。
だがビアズリーの美は、単なる西洋的デカダンスでは終わらない。
彼の線には、どこか見覚えのあるしなやかさがある。
そう、これはまさに“日本の線”だ。浮世絵の線。
ビアズリーは北斎や広重、清長のような江戸の絵師たちに強く影響を受けていた。

輪郭だけで世界を描くということ。
色彩を捨て、余白に沈黙をたくわえるということ。
技法的にはそれに集約されるのだが、
髪の流れ、衣裳の文様、背景の省略、
それらは、日本の浮世絵が西洋に与えた“線の革命”だった。
ビアズリーはそれに毒を盛り込んだのだ。
装飾の中に死を埋め、余白に欲望を這わせ、線のリズムで倒錯を奏でた画家。
何より興味深いことに、その妖しげな黒い線は、
今度はまた日本へと舞い戻ってくる。
20世紀初頭の日本、明治末から大正へかけて、
ビアズリー的な感性は静かに浸透した。
たとえば、竹久夢二。
彼の描く女性たちは、細い首筋、うなだれたまなざし、ひそやかに長い指先。
線でエロスを語り、色を絞って哀愁を漂わせる様式は、
まさに“ビアズリーの夢を日本語で語り直した”かのようだ。
橋口五葉もまた、ビアズリーの霊感を受けた近代画家である。
挿絵や装丁でみせた静謐な装飾性、版面の呼吸を読むような構図の妙。
そこには、浮世絵から西洋へ渡り、再び“近代の日本画”として還元された、
線の往復運動がある。

また、異端には異端をということなら
日本のビアズリーと称された水島爾保布(みずしまにおう)という人がいる。
谷崎潤一郎『人魚の嘆き・魔術師』の挿絵と装幀を手がけたこともあり
まさに、ビアズリーとワイルドの関係をも想起させるところで、
ニオウは画家のみならず、文筆家でもあったからか
「日本語で描かれたサロメ」と呼びたくなるような女性画を得意としていた。
そんなニオウからは、ビアズリーの影響が、単なる“装飾の模倣”ではなく、
日本美術が自己を再発見するための触媒であったことが
浮かび上がってくる。

そしてさらに、時代は下って戦後。
米倉斉加年や佐伯俊男といった特異な画家・イラストレーターたちは、
より直接的にビアズリーの影を受け止めた。
米倉の絵本の挿絵には、無垢と倒錯がそのまま共存する。
黒一色で描かれた線は、あどけない顔に宿るエロティシズムをまとうのだ。
彼の線は語らない。だが、見ているうちに「何か言っている気がしてくる」。
そういう種類の絵だ。
これはまさしく、ビアズリーが得意とした“囁く線”の継承である。

一方の佐伯俊男は、さらに露骨に、ビアズリーの黒線を毒に変えた人である。
猥雑、変態、猟奇、性と暴力。
そのすべてを、滑らかな黒い線で包み込む。
ここにあるのは、倒錯の美を肯定する視線、そいつに射抜かれるのだ。
その視線の淵に、ビアズリーの白と黒がちらついている。

こうして、あの線は日本に根づいたのだ。
浮世絵が西洋に旅をし、ビアズリーという仮面をかぶって舞い戻り、
夢二や米倉の手を通じて、ふたたび日本の紙の上に蘇った。
この三菱一号館美術館の展示空間は、
その“往復の軌跡”をまるで黙って受け入れているかのようだった。
明治の西洋化の象徴であり、いままた日本文化の記憶を抱える場所で、
ビアズリーの線は、額縁からはみ出し、
赤煉瓦の壁にさえ染み込んで見えた。

展示の終盤、ふと、ガラス窓越しに外の光が差し込んだとき、
どこかの壁に、ビアズリーの描いた少女の横顔のような影が浮かんだ。
錯覚だったかもしれない。
でもそのとき僕は確かに、
あの黒い線が、まだ生きているのだと感じた。

改めて、残されたビアズリーの写真をみると、
どこか、退廃に浸る悪魔的な匂いがしてくる。
が、若くして自らの死を予感していたビアズリーは、
人生の終盤になってカトリックに改宗し、
死の間際では、ペンではなく十字架を握っていたのだという。
神の啓示からか、実際に後期の絵にはその毒気が抜け落ちてゆく。
とはいえ、禁じられた図像は語り続ける。
「芸術は死ぬが、死が芸術になるときがある」のだと。

出版者スミザーズと友人ポリット宛の手紙では
「すべての不道徳な作品を破棄してください」と懇願までしている。
死者の作品に触れること。
それは、何もただ過去をなぞることではない。
その線が、いま、われわれのこの時間に
どんな輪郭を描いているのかを感じることだ。
異端の画家ビアズリー。
そう呼ばれた青年の妖しい線は、
百年の時を経ても、まだこの世界で一線をはり続けている。

Roxy Music : Avalon

わずか25年の人生を駆け抜けたビアズリーの妖しい毒を放った絵に対峙して、湖の果て、アヴァロンの霧の中から、フェリーの声が聞こえてきた。バーンジョーンズ風のスタイルで『アーサー王の死』の挿絵を描たビアズリーとフェリーの邂逅が、あの黒い線をなぞるように、滅びと美を抱きしめながらささやくのだ。

“Now the party’s over
I’m so tired
Then I see you coming
Out of nowhere…”
 ――Roxy Music「Avalon」

この「Out of nowhere(どこからともなく君がやってくる)」という一節に、ふと、ビアズリーが描いたランスロットやモーガン・ル・フェイの横顔がよぎるのだ。剣と薔薇、罪と赦しの物語。
アーサー王伝説という神話を、ビアズリーは“線”で、ロキシーは“音”で再演した。『Avalon』のジャケットには、兜をかぶった女性(実はフェリーの恋人ルーシー)が描かれている。まるでアーサー王の騎士が昇天しようとしているかのような、美と死の中間地点に立つ者のようだ。

これは偶然だろうか? いや、20世紀の耽美派たちは、みなビアズリーの“毒の美”をどこかで受け継いでいるように思う。ビアズリーが描いたアーサー王の最後、湖へ還る剣の先に咲いた余白の美。音は線に変わり、線は音にほどける。ロキシー通算8作目で最後のスタジオ・アルバムとなった『Avalon』は、そんなビアズリーへの遅れて届いた鎮魂歌のように優しく響く名盤だ。彼の描いた“消えゆく英雄たち”に捧げられたレクイエムのように。