眼差しは一つ。ルドン、闇から光への変遷物語
ワインの産地で知られるフランスボルドー出身の画家オディロン・ルドンは
比較的裕福な家庭に生まれながらも、
生まれつき病弱だったこともあり、生後すぐに里子に出されている。
11歳になるまでの少年期を、こうした寂しい田舎の地で
親の愛情を受けることなく、ひとり孤独にすごしたルドン。
そうした環境下で、人生がどこまで左右されたかはわからないが、
少なくとも、その幻想的と称される絵画にはどこか暗い影を引きずっている。
内省的世界観ゆえに、どこか共感してしまう根深い何かがあるが、
それがいわゆる「黒い時代」として、50歳頃まで続くことになる。
一般的には、シュルレアリスムの先駆者たる幻想画家だが、
晩年になって至った新境地によって
パステルを使用した艶やかな色彩の絵画で、ようやく世間からもみとめられ、
ここ日本でも、比較的人気のある画家として、その扱いを受けてきた。
とりわけ、生涯にわたって描き続けた花のモティーフは
陽的なルドンの評価を決定づけるまでに人気がある。
だが、ルドンときけば、幻想画家の名に恥じないキャラクターも
数多く生み出してきた。
気球や花に潜んだあのキュクロプスや一つ目の怪物を
アートに持ち込んだ画家として認識しているが、
そんな、ぼくのような異端愛好家もいるはずだ。
一見おどろおどろしいイメージも、よくみると愛嬌を感じる。
凶暴なキュクロプスに親しみがわくのだ。
なんといっても、あの水木しげる先生の目玉親父のモティーフが
実はここから来ているという、ひとつの伝説にも背中を押されるところである。
ルドンにとってはひとつの側面、モティーフでしかないとはいえ、
それまで、長く木炭画やリトグラフの漆黒の世界の住人だったルドンが
郷里ボルドーを離れ、パリの凱旋門近くに居を構えるまでは
漆黒の闇の住人であったことは、紛れもない事実なのだ。
ルドンが描く一つ目のイメージは、
しばしば内面的な盲目性を表すものとして捉えられる。
目を一つしか持たない存在は、世界の本質を
完全に捉えることができない存在であり、その制限された視点は、
ルドンの作品における精神的な探求のテーマにも重なってくる。
ルドンは、この視覚の限界を通じて、
自分自身を超えた深い認識や、
内面的な解放を追い求めた画家でもあった。
一部の解釈では、その花のなかに、一つ目の起源を見る人もいる。
花が待つ魔力ともいうべき神秘が、
キュクロプス神話を借りて昇華されているのだと。
こうしてルドンが、科学的な見地にたどり着いた過程に
植物学者クラヴォーからの強い影響があるといわれる。
ルドンは、その影響で、顕微鏡の世界にも興味を示し、
その驚異なる宇宙に触発されたイマージュを「黒い世界」に押し込めた。
さらに文学的なインスピレーション(象徴主義的な詩や文学)を融合させることで、
二つの世界の橋渡しを試みた人でもあった。
彼の作品における幻想的な生物や植物、神話的なモチーフは、
こうして、自然界の美しさと神秘を詩的に表現してきたといえるだろう。
ルドンの作品における色彩や形態は、
目に見えるものの背後に潜む無意識の世界を呼び覚ます言葉であり、
絵画という枠組みを越えて、深い精神的な探求を促す詩的な表現に浸っている。
つまり、ルドンの絵は、言葉では表現しきれないものを
視覚的に具現化する試みであり、
要するに、文学者や詩人たちの探究に寄り添うかのように、
幻想的な風景や異形の生物、神話的な存在が彼の画布の中で動き出すとき、
それらは、詩的なイメージを伴って我々の心に届けられるのだ。
そんな絵画の中に、言葉や物語を孕むのは、
絵画がただの視覚的な表現にとどまらず、
一つの文学的な解釈を伴うからだろう。
こうして、僕にとってはオディロン・ルドンの絵画に、
ユイスマンスやリラダンを読みとくがごとく、
文学的な問いのように、長年にわたってひとつの難解なテーマを掲げてきた。
ユイスマンスが描くデカダンスに魅了された思いは
そのままルドンの絵に通じる
とりわけ、木炭画・銅版画・石版画といった黒の世界は
エドガー・アラン・ポーやボードレール、フローベールといった文学との相性もよく
その芸術性は、単なる視覚芸術にとどまらず、
ユイスマンスがルドンの芸術を世紀末のデカダンの象徴として紹介したように
文学的絵画の一形態であったと言えるのはそのためかもしれない。
人はなぜゆえに幻想を見るのか?
そこに夢を託すのか?
一方、後期のルドンが用いたこのパステルの柔らかな色合いは、
幻想的なテーマに対して、柔らかさと透明感を与え、
光の世界を描くための手段となった。
色彩を使い分けることによって、ルドンは異なる精神的な領域を視覚化し、
幻想的な世界と現実の狭間に漂うような
不安定な感覚を封印することに成功している。
ルドンは当時にしては、婚期も遅く
40歳でカミーユ・ファルテと結婚し、
46歳で第一子を授かったのが、わずか半年の命しかなかったが
そこから3年後に次男が誕生。
印象派展に参加し、ドニやボナールといった若手画家との交流を深め
人生に希望の光が射してくるの時期だが、
こうして、みるとルドンの絵画は、単なる絵ではなく、
一つの詩的な語り、魂の変遷として捉えることができる。
そして、このかけがえのない幸福な家庭生活が
それまでのルドンにはない希望や喜びを与えることになる。
彼の作品における幻想的なモチーフや神話的なキャラクターは、
言葉による表現に依存することなく、視覚的に詩的な物語を語り
ルドンの絵は、視覚的詩そのものであり、
その中で色や形態が、言葉で語られるような深い意味を持ち始める。
彼の闇は、その成長過程での熟成されていったのだ。
晩年の栄光は実に輝かしい。
65歳の時にはレジオンドヌール勲章を受賞し。
米国におけるヨーロッパ現代美術紹介の展覧会アーモリーショーで
彼の名声はいよいよ不動のものになる。
ルドンの絵にみるもの悲しさは
どこか、ルドンの人格に起因しているようにみえるが、
その性格は、純粋で、打算のない人物だったようだ。、
誠実さと優しさをもって、愛情にあふれたその性質は
彼が残した絵画の本質として、人や自然の存在を追究したにすぎない。
、モーリス・ドニが制作した『セザンヌ礼賛』という油絵作品では
当時のナビ派の画家たちからは
年長の人物として尊敬を集めていたのが見てとれる。
第一次世界大戦が激化する中で、
兵士として招集されていた最愛の息子アリを探して、
高齢のルドンが必死に各地を探し回ったという。
その無理が祟って、風邪を拗らせたルドンは83歳で生涯を閉じている。
なんとも、ルドンらしいエピソードである。
Miroque : Botanical Sunset
ルドンの銅版画に「夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)」 が残されている。これは、優しい生活のルソーにとって、クラヴォーの存在はとても大きく、彼の死は大いにルドンを悲しませたものだったいちがないことを示す作品である。クラヴォーを通して、その植物的な世界への目覚めを体験し、作品に反映していたルドン。そんなふたりに、贈りたいアルバムは、2001年に日本の360°RecordsからCDでリリースされた記念碑的なデビュー作『Botanical Sunset』。MIROQUEよる、その幻想的でガーリーなエレクトロニック・アンビエントは、手触りの良いシンセとピアノが織り成す、彩り豊かな音の森のような世界観が広がりをみせ、ルドンとクラヴォーに捧げるに相応しい、植物への愛情が感じられる。
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