アンドレ・ブルトンのこと

André Breton 1896-1966
André Breton 1896-1966

希望の始まりはいつだって狂気のポエジーを懐胎する

フランスの詩人、文筆家アンドレ・ブルトンのことを書くというのは、
それこそ実に気を遣う行為に思える。
それはおそらく生前のブルトンという人が実に気難しく、
多くの同胞たちを次々に追放したという
シュルレアリスムの法王として権威を振りかざしたというような逸話から
ただならぬ人物であったことを刷り込まれているからという
半分冗談のような事実から導かれた妄想だ。

ブルトンという人は、『シュルレアリスム宣言』を発表し、
文学史的にも、美術史的も
シュルレアリスムというとても重要な教義の主導者として
その名を轟かせてきた。
そのことはいかなる紛れなく重大な事実として、世に知られている。
ブルトン逝去の際には哲学者ミシェル・フーコーは
「フランスのゲーテ」と呼んで哀悼の意を示したほどだ。
やはり、相当なひとなのだ。

だが、フランスのゲーテ、
あるいは法王とまで呼ばれたこのブルトンほどの人間の評判が
必ずしも芳しくないのである。
これほどまでに周囲のものに嫌われている(恐れられている)文学者が
他にいるのだろうかと思わせるほどである。

義理の弟であるレイモン・クノーの
『オディール』という小説では、
そのクノーの『オディール』の登場人物アングラレスが
この義兄ブルトンへの当てこすりとして描き出されているのだが、
いわば身内の内紛を、そのまま文学にしたためたほどに
クノーは義兄憎しの感情が芽生えていたのである。
ただ、いわゆる鼻つまみ者、という意味ではなく
あまりにも権威を振りかざすがゆえに、
その教義に忠実であろうとするがゆえに
教義に参加した各々シュルレアリストたちは
こぞって反旗を翻したという黒い歴史を抱えているのは事実である。

そうした事実が一人歩きして
手に負えぬ暴君として恐れられ、敬遠されているのだとしたら、
いやいやちょっと待ってくださいと、
法王側にたって、そこは少し異を唱えたい気持ちにもなってくる。
というのも、ブルトンの詩そのものは人間の魂の解放を願った、
あくまで精神の自由を希求するプロパガンダであったからに他ならない。

内情は知らない。
もちろん、人格も何も知らないこの威厳ある文学者を
擁護できるほど自分は事実を理解しているとは言いがたい。
あくまでも、書かれたものを読み、
それを鵜呑みにせずとも、想像を巡らせて
この偉大なる人物像を勝手に思い巡らせているに過ぎない。
全ては“直感”だ。
とはいえ、スーポーとの仲違いをはじめ、
発起人であるエリュアール、アラゴン、デスノスなどは
ことごとく除名の運命を辿り、
ダリやエルンストなども同じく、袂をわかつことになる。
ブルトンの死によって運動そのものは解体されてしまったが、
シュルレアリスムの精神は二十世紀の様々なアートや文学に影響を与えてきた。
ブルトンの詩にはそうした諸々の事情を
はるか凌駕してしまうだけの絶対的な力が備わっていたのだ。
その絶対性が宿ったもっとも美しい詩、それこそは
これから書く『ナジャ』という小説ではないかと思う。

小説だか、散文だか、詩だか、メモだか、日記だか
文学的に定義するには少々難解な作品だが、
少なくともブルトンという人間を端的に示した崇高なテクスト
と呼びたくなってくる。
これこそがまさにシュルレアリスム、そのものなのではないか?
少なくとも、この本を初めて読んだ時の痺れるような感動こそは
我がシュルレアリスム体験そのものだと言っていい。

まず、この本は冒頭で
「私とは誰か?」という問いで始まり、最後には
「美とは痙攣的なものであろう。然もなくば存在しないだろう」と結ばれている。
この言葉に対峙した時、
僕はあらゆる言葉を失ってしまったほどだ。
なんと美しい指標なのだろうかと。

そのことを突き詰めていく先にナジャという
不思議な女性が現れるのだ。
それは1924年10月4日のことである。
まず、化粧を途中でやめてしまったみたいな目の縁だけが黒い
明らかにおかしな女がブルトンの前に現れる。
美容院へ行く途中だという。
そこで一撃を受けたブルトンが名前を聞くと、
「ナジャっていうの、私。ナジャって、ロシア語の希望ということばのはじまりの部分だから」
などとのたまう。

こうして法王はいわゆるストーカーのようにこのナジャに憑かれてしまう。
つまり一塊の徘徊者となりパリをさまようことになるのだ。
なんとかナジャの気を惹こうと、このシュルレアリスムの権威が
少年のように、あれやこれや手を尽くす。
自分の著書を見せたり、お金を都合したり、心配したり、ボードレールの詩を口ずさんでみたり・・・
そんなブルトンがだんだん愛おしくなってくるのだ。

彼女がいうには、それはぼくの考え方の中に、ぼくのことばつきの中に、ぼくの生き方のすみずみに見える単純さなのだという。そして実際ぼくはそこのところをくすぐられると一番弱いのだった。

そんな首ったけのブルトンに、
ナジャは容赦なく詩の霊感を与え続ける。
「あなたと知り合うずっと前から、
あなたに対しては一度も秘密を持ったことはないような気がする」
「わたしって鏡のない部屋の中で浴槽に浮いている思考なんだわ」
とかいったりして・・・
困った女である。
究極には「私の呼吸がとまるとき、それはあなたの呼吸がはじまりね」
なんて言われると
ブルトン先生は嬉しくてたまらないのだ。
おまけに「あなたは私のことを小説に書く。きっと書く」
なんて言われるものだから
そこで舞い上がらないほうがおかしいのだ。

詩的な言動と、狂気じみた言葉を交差させながら、
ブルトンを虜にしてゆく謎の女ナジャ。
そのインスピレーションの源泉たる女神を前に男は
彼女の綺麗な歯を見て接吻せずにはいられなくなる。
そして口付けを交わした後
ナジャはその行為を「聖体拝受は静かに行われる」というのである。
自分の歯が「聖体パンの代わり」なのだと。
とにもかくにもぶっ飛んだ女なのだ。

普通に考えれば、頭のイカレタ女であり、
最後は精神病院に収容されてしまうほどのホンモノなのである。
がしかし、ブルトンにとっては詩的直感を
限りなく揺り動かされ、シュルレアリスムの教義に直結するぐらいの刺激を受け、
夢中にさせられた宿命の女なのである。

この『ナジャ』が面白いのは、そのナジャとの邂逅からの出来事や資料が
写真や絵として本に挿入されていることだ。
二人の軌跡がそうした要素でよりリアルな臨場感を醸し出している。
オートマティスムやら無意識の領域やらを標榜してきたシュルレアリスムに
不思議でリアルなドキュメント感が滲んで
とてもスリリングで面白いのだ。
ナジャの描くデッサンは子供の落書きみたいなものだが
やっぱり只者じゃない雰囲気を漂わせている。

そんなナジャの肖像画を残そうと
あのエルンストに頼んだブルトンだったが
女の扱いにかけては百戦錬磨のダダイストは
「ナディアとかナターシャという名の女には気をつけなさい」
とすでにある人に警告されており、
残念ながら実現しなかった。
なんという不思議な霊感、直感の世界であることか。
さすがシュルレアリスム!恐れ入りました。

それはさておき、この本に出会った頃のぼくは
まさにそんなブルトン先生に首ったけになっていた。
それもこれもこの『ナジャ』というテクストに
心底心を奪われたからだ。
もちろん、ブルトンが忌み嫌われているというような
権威的な状況は理解できるし
クノーの『オディール』に描かれるアングラレスが
実に嫌なやつだというのも納得済みだったが
『ナジャ』を読んでしまって以来、
ブルトンという人の持つ魅力の前に抗えずに今日まで来てしまっている。
無謀にもペーパーバックの原文を買い求めて読んだこともあるが
解読するのに骨が折れ頓挫したのをよく覚えている。

今となってはシュルレアリスムそのものに対する関心も
随分薄らいでしまっているのだが
この『ナジャ』に関しては、ふとしたことで
まるで睡眠時における無意識のように
手を伸ばして読み耽ってしまう。
あたかも呪詛のような、霊感のような手引きがある本なのだ。
意外にもマルセル・デュシャンはそんなブルトンを称賛する一人だ。
デュシャンのことだから、どこまで信用していいかはわからないが
その言葉を引用しよう。

彼ほど愛に対して大きな能力をもっていた人間を私は知らない・・・・ブルトンは心臓が打つように愛した。売春を信じる世界で、彼は愛の愛人だった。これこそ彼の星なのだ。

あのクールなデュシャンをして
“愛の愛人”だと言わしめる器をもつ巨人。
ブルトンの死に直面するや、
「偉大ナ人間・詩人ノ死ニ深イ悲シミヲ・ヒトツノ星ガワレワレニトツテ永遠ニ封印サレマシタ」と
エリザ夫人にはるばる弔電を打ったのは
日本のシュルレアリスト瀧口修造。
ブルトンの影響を強く受けて
独自にシュルレアリスムを生きたこの詩人の言葉も引用しておく。

私がはじめてブルトンの名前を知ってから、もうおよそ四十年近い月日が経つ。アンドレ・ブルトンとは誰か? という問いは、あまりに個人的なものであり、学究とはまったく別に、私の内部でたえず反響されてきた。時には青春の自由と愛の謎にみち、ときには悪夢と屈辱感とに伴われ、ときにはイリュージョンとまぼろしの彼方の透明な核のような存在として。そしてその上に建てられたシュルレアリスムという大きな標識。それが今や多くの人々によって飴玉のようになめまわされ、はきだされてすらいるのだが・・・・
 ブルトンの死はひとつの円環を閉じたことになると同時に、その結晶のようなヴィジョンと、しばしばポレミックと考えられていた運動の起伏とがひとつの源泉からきていることがやがて明快に証明されるであろう。
追悼アンド・レブルトンの窓 

『コレクション瀧口修造9』より

ちなみに『ナジャ』の初版は 1962年稲田三吉訳で現代詩潮社から出ていて、
これはそれから14年後の同社からの
栗田勇訳の改訂版を読んで書いている。
そして「著者による全面改訂版」として
巖谷 國士訳で岩波文庫から2003年に出版されていて
自分はそちらにまだ触れてはいないが
今ではナジャに触れにはそちらが望ましいのかと思う。
自分はこのテクストを書くにあたって
1976年度版の栗田勇訳によってナジャの啓示を綴ったものである。
もちろん、訳によって、解釈によって
ニュアンスが微妙に変化するところではあるのだが
この『ナジャ』においては
その差はあまり関係はないと思っている。
ナジャがいて、ブルトンがいる。
ただ。自分にはそれだけで十分に詩的直感が満たされる永遠の書物なのである。

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