西部邁を偲んで

西部邁 1939ー2018
西部邁 1939ー2018

生涯一保守、今こそこの人を見よ

狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である

G・K・チェスタトン

今日で一月が終わる。
たしか、数日前、この東京にも雪がちらついたが、
結局は大したことにはならなかった。
が数年まえの大雪に見舞われたあの日のことをふと思い出す。
やはりこの寒い時期、一月だった。
手元のメモが残っている。
2018年1月21日、あの思想家西部邁氏が
底冷えしたであろう多摩川に身を投げたのだ。
早いもので三年の月日が流れてしまった。

あの時の衝撃が、しばらく自分の中に、
おおきな水紋を残して広がっていったのを、
昨日のことのようによく覚えている。
ぶらり、家を出てその大雪を踏みしめながら、
西部さんについて、自裁死について漠然と考えつつ、
深夜川沿いの散歩を敢行したとのメモがある。

改めて今偲ぶと、
愛する妻に先立たれ、日本という国に絶望し、
おまけに重度の頚椎症性脊髄症とやらで
身体的な負荷、不自由を抱えていたのもあり、
そのせいか、西部さんはかねがね自裁を公言して憚らなかった。
関係者同様、どこかで覚悟はしていたが、
真冬の河川入水は、あまりにも衝撃的すぎた。
のちに、協力した関係者が、自殺幇助の罪に問われているが、
皆、断腸の思いであったことは想像するに難くない。

自分には、昭和の保守派の論客として、
確か「朝まで生テレビ」だったかで、
この知識人の存在を知って以来、
ずっと気になっていた人物である。
なかなか舌鋒鋭く、
凡百のテレビコメンテイターとは一線を画す氏の論説に、
当時、新鮮な空気を感じとっていた記憶がある。

その後、テレビを放棄した自分が、
偶然みかけた『西部邁ゼミナール』いう番組の動画を
知らず知らず何度も再生しているうちに、
西部邁熱が可燃していくのを再認識していた折で、
なおさら、衝撃が大きかったのである。

とはいえ、思想の巨人、西部邁を語り
氏の思想に共鳴していると、声を大にできるほど
十分理解しているわけでもなんでもない人間として、
『西部邁ゼミナール』などで繰り広げられた、
興味深い論評に、ただ静かに聞き耳を立てていたに過ぎない。
その後、とってつけるかのように、
数冊の書籍に目を通したが、
とてもその思想の真髄を理解できたとは言い難い。

『友情 ある半チョッパリとの四十五年』という本がある。
氏の自伝的要素の強い書物で、もっとも印象に残った一冊である。
「チョッパリ」とは、日本人に対する差別用語なのだが、
戦前の貧しい郷里北海道で
その朝鮮人の父親を持つ友人
海野治夫というやくざ者の一代記でもある。
家庭の境遇が、一人の男を社会のはみ出しものへと追いやる、
その程度の単純な任侠がテーマではないが、
西部さんの青春期のなかで、その友人を介して育んだ思想、生き様が、
のちの保守思想に色濃く影響しているのは言うまでもない。
その友人が選んだ自裁への思いが、この思想の巨人の思いと
どこかで通底していた気がしているのである。
それは重くのしかかったであろう現実のなか、
氏が、懐に抱え込んでいたよりどころであったのかもしれない。

今でも、時折、西部さん関連の動画を見ることがある。
随分、老いさらばえた、晩年の巨人の姿がある。
しかし、その根本は何も変わってはいなかったのである。
だが、あの少年のような笑顔が好きだった。
難しいことを静かに、強く執拗に語りながらも、
随分、人懐こいところをのぞかせる愛すべき人間だと思っていた。
日本にはまだ、この人がいるではないか。
日本という国にたいする危惧のようなものと
それに抗う為の自己を、
なんとか確立せしめんと背中を伸ばす機会、
というと大袈裟だが、そんな時間がそこにはあったのだ。

こんな人と一緒に酒を酌み交わし
夜通し何時間でもしゃべっていたい、
話に耳を傾けていたい、
そんな思いでみていた。
しばらくして、あるとき、
西部さんに薫陶を受けた人たちが
事後、集まって追悼している動画を観た。

そのなかで、佐藤健志さんの発言に、
おもわず共鳴する自分がいた。
他のパネリストたちが、
いわば個人的な絆から故人を偲んでいたが、
ひとりこの佐藤さんだけは、
堂々西部氏の自裁をはっきり自殺だと断言し、
G・K・チェスタトンの言葉を引用して、
その師の死に意義を唱えたのである。

むろん、佐藤さんは西部邁に啓蒙され、
薫陶を受け、その偉大さや思慕の情を、
誰より意識しながら、
事の本質を情に流されず、ずばり指摘したのである。
あの勇姿はなかなか圧巻であったと思う。
むろん、その場はだれひとり、
自殺そのものをやみくもに賞賛しているわけではなく、
故人との関係性において、師を悼むなかで、
その心情、その一本の気概を肯定したにすぎない。

が、西部さんの自裁を考えるに、
その不在感をひしひしと感じるだけに、
いっそう納得いかぬ不条理な思いに駆られてやまない。
西部さんが、生前番組を通じ、
あらかじめ自裁する旨を公表して、
その弟子たる人間たちには、
暗黙の自裁だったともいえる行動に、
自分は軽々しく同意するというのも失礼であり、
むしろそんな西部氏だからこそ、
素直に疑問をなげかけたかったのである。

西部さん、本当に入水したのですか?
自裁という手段しかなかったのでしょうか?
あなたほどの人が、なぜ….?
自分にはどうしても、死というものを
いまも、この先も、自らの手で決定してしまうことが、
美徳には思えないのです、と。
自裁はいったい何を生むのでしょうか?

そんな思いが駆け巡っていた。
その意味での佐藤氏の発言が、
まさに雷に打たれたように、
直接的で純粋に心に響いたのであった。
その発言趣旨は、G・K・チェスタトンを以下のようにひいて、
真っ向からその死に疑問を呈するものであった。
少し長いが、ここに記しておく。

現代を背負って立つ大思想家連中は
われわれにこう説いて聞かせたものである、
誰かがピストルで自分の頭を撃ち抜いたからといって、
その男のことをうっかり
「かわいそうな奴」などと言ってはならぬ、
なぜなら、その男はうらやむべき人物であり、
頭を撃ち抜いたのは、
その頭が並外れて優れていたからにほかならない、と。
ここまで来ると、私はみずからリベラリストだとか
ヒューマニストだとか称する多くの人々が
どうにも許しがたいもののように思えてきた。
自殺は単に一つの罪であるばかりではない、
それこそ罪の最たるものである。
このうえない、そして全く酌量の余地なき罪であり、
生命そのものに感心を持とうとしない態度、
生命にたいする忠誠の誓いの拒否なのである。
自分を殺す者はすべての人間を殺す、というのは、
当人の側からすれば、眼前の全世界の抹殺になるからだ。
この宇宙のどんな小さな生き物一つ取っても、
自殺者の死によって嘲笑の痛手を受けぬものはない。

『正統とは何か』G・K・チェスタトン

その死に疑問を投げかけたとて、
別段西部氏の功績に泥を塗るものではないし、
その不在感は日に日に増してゆくだろう。
西部邁なき空虚感、この知の損失を、
そう簡単に埋められそうもない。
この国の現状がいま、
それぐらい閉塞しきっていることには、素直に同意できる。
「絶望することぐらいしか希望が見出せない」
そんな言葉をどこかで聴いた覚えもある。

だからこそ、その死にあえて挑むかたちで発言した
佐藤氏を支持できるし、
改めて、西部氏の思想や言動に触れられたことに、
感謝したいと思う。
なにより自分なりに時間をかけて、
その軌跡を追いながら、
ひとりの人間としての生き方を見直してみたいと思う。

西部さん、あなたはいま、
何処にいるのですか?
そして、そこから見える風景に
明日は見えますか?

まだまだあなたのような人が必要だったのです。
この絶望的な社会であれ、未来は我々の手の内にしかありません。
より良い未来にするために、ますますあなたの言葉は必要を増すでしょう。
少なくとも僕のような人間には。

絶望はたくさんです。

追伸

別に、思想家になりたいわけでも
政治家になりたいわけでもない。
理想に生きたいわけでもない。
何かを牛耳り、支配したいわけでもない。
全体主義などに組み込まれるなど、ゴメンだ。
こうして個を個として生きてきたし、
そう生きるしかないのは、時代や環境のせいでもなんでもない。
自分がそれを選ぶのだ。
自分のような人間が、ひとつの個体として、
この社会に存在する意味を考えるとき、
別段、思想などなくてもいいと思うし、
宗教だの、神だのを持ち出す気さえもない。

とはいえ、自分のなかには
たしかに個の神が宿り、信仰というものはある。
いみじくも、それが自分を突き動かしているものの実体であると確信し、
あえて、西部さんのような人を、
不遜にも批評できるのだとしたら、
この立場で、あえてポエジーの不在、その悲劇の前に、
ただ無力を訴えるしかない。

あれほど聡明だった氏に
唯一欠けていたものがあるとしたら、
あらゆる奇跡との親和性を兼ね備えた、
このポエジーそのものの力ではなかったか。
ポエジーとは、思想でも神でもない、
ましてや一遍の詩でもない。
空気なかにある、なにか啓示のようなものである。
それは人それぞれに個としてのポエジーが宿る。
不確かなものの中に確信を抱くなどということに
身をまかせることは、決して逃げではないだろう。
僕はあえてその必然を生きている。

コクトーの言葉を引用しておこう。

ポエジーが夢のメカニズムと混同することがあるにしても、ポエジーは夢想とか妄想とかを惹き起こさない。ポエジーはしばしば夢を鮮明にし、夢にはげしい批評的精神や、積み重ねた背景などをもたらす。夢の追憶が前夜の追憶とまじって、詩独特の精神的嘔吐をはげしくさせる。夢想だの、妄想だのは、ポエジーのない詩人のすることだ。なぜならポエジーは、詩人がとても信じられないほどの憂鬱さで、快活、子供らしさ、安っぽい玩具、冗談、馬鹿笑いなどに夢中になるのを、少しも妨げないからだ。

『わが青春記』堀口大学訳 より

絶えず死の真似事と戯れながら、
ポエジーの力をかりてまで、世を欺きながら、
生きるふりに従事したのが、詩人コクトーの生き様だった。

コクトーには政治も思想も持ちえなかった。
三島由紀夫も西部邁も
その点は純然たる日本人すぎたのだ。
ここに正義はない。
あえていうなら、日本という国家に根付く武士道精神
それすらも今更美化したくもない。
何ゆえに、死を持ってよしとするのか。
生きる権利と死ぬ権利を同じ次元で語ることは
自分には到底できぬことである。
それこそは、夢や妄想の類いで十分ではないか。

我々日本人のなかに、
そんな不確かなものが、
いまだ脈々と流れ続けているのだろうか。
いや、仮に確かなものであったにせよ、
自殺そのものは、何をも肯定しない。
暴力や憎しみがそうであるように・・・
生きてこそ、その果てに、
何人もあらがえぬその力を受け入れるしかないのだ。
死は、死として純然たる面持ちで、
我々を待ち受けているものではないのか。
それには、あえて、
超然として、向き合うしかないのではないか。
そこから何が始まるか?
生まれるか?

どうやら、言葉はあまりに無力である。
西部さんの膨大なボキャブラリー、
博学な言語への見識に、その限界を縫って、
あえて不毛な言葉を並べてみる。
我が書かざるを得ないもの、として。
ぼくは真冬の寒々とした河川敷を歩くたびに、
そんな思いに駆られて不自由に苛まれながらも、
でもまたいつもの自分にたち帰るのです。
そこには言葉がないのです。
ただただ美しい沈黙が広がっている、それだけなのです。

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