ヴィフレド・ラムという画家

Wilfredo Lam
Wilfredo Lam, The Jungle

ラムで酔いしれる、我がキューバ狂時代の幕開け

国内のプロスポーツ、サッカー然り、野球然り、
随分中〜南米の選手がわんさと日本にやってくるような時代になって
各チームには当たり前のように
スペイン語を繰る通訳が必須となっている。
オラ!と陽気なスパニッシュが
ここ日本にも日常に飛び交うような時代になっておるわけだな。
こんなことならスペイン語をもっと学んでおくべきだったかな?

カストロ、あるいはチェ・ゲバラで知られるキューバ。
長い間の国交断絶から、アメリカとキューバの国交も
やっとの事で開かれる時代。
同時に文化交流も活発になってきたのは記憶に新しい。
これまでスペイン植民地時代から強国に弄ばれしキューバが
いろんな意味で文化の宝庫であることは
今ようやく時代がそれを証明してくれている。

そんなキューバの文化といえば真っ先に思い出すのは
ヴェンダースのドキュメンタリー映画を発端に火がついた
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」である。
米国人ギタリスト、ライ・クーダーのキューバ訪問で
交流がはじまったこの音楽交流の興奮は
忘れがたい文化遺産となって
世界中の多くの人のハートをわしづかみにしたってわけだ。
コンパイ・セグンド、イブライム・フェレール、オマーラ・ポルトゥオンドetc。
この素晴らしきトロバドールたちのことは
永遠に忘れがたい記憶として語り継がれていくだろう。
この至福で豊穣なるキューバ音楽については、
いずれまた別の機に書いてみたい。

そんなキューバについて、それぐらいの知識で
我が物顔で語りつくそうとするのはおこがましすぎる。
が、せめてものという思いは
キューバ出身の画家、このヴィフレド・ラムという画家の、
その絵の魅力、魔力について書くことで
多少は満たされるものだと信じているのだ。

その名もヴィフレド・オスカー・ドゥ・ラ・コンセプシィオン・ラム・イ・カスチーヤ。
キューバが共和国宣言をした年に生まれたのが
このヴィフレド・ラムという画家の始まりである。
母親がコンゴ人とスペイン人との混血、父親が中国人という混血児であった。
(ちなみに、Wilfredo(ヴィルフレド)という名前だったらしく、
行政上のミスで「l」の一文字欠けた、「ヴィフレド」という名前になったらしい)

ラムの父がすでに84歳の高齢で
その八番目の末っ子として生まれたのがラムである。
このなんとも複雑な環境に生まれた画家は
早熟で7歳にして「画家に生まれついた」ことを疑わず
デッサンに没頭、その才能の頭角を現す。
以後、その運命に翻弄されながらも世界各地を流転し
その足で歩き、自らの運命そのものと対峙しながら
絵を通して自らが媒体となって発信してゆく。
そんなラムに影響を与え、賛辞を惜しまなかったのが天才ピカソである。
天才は天才をかぎ分けるのだ。
スペインではまずピカソのキュビズムに洗礼を浴びて、
亡命先のパリではブルトンが掲げるシュルレアリスム運動に参加することで
その抽象絵画に磨きがかかってゆくのだが
ラムの造形にはたえず独特のグラフィズムが見え隠れする。
そこにはトーテミズムやアフリカの彫刻、
はたまたブードゥーなどといった伝統形態からの影響が
色濃く現れている。

これは様々な国、様々な思想、人種の血が混じり合った
ラムという画家ならではの魂が
旅を重ね石のように磨かれながら宿っていった
詩的インスピレーションの源であり
戦争や国家権力に対する怒り、哀しみを乗り越えて
まさに人間讃歌と真理へと回帰していくための象徴として刻印されている。

極めて西洋的な知性と伝統文化の混交。
ラムの絵には神話の世界の抽象的側面が強調され
馬や鳥、生い茂る植物群が
キャンバスの上に記号的な祝祭が繰り広げている。
それは自由を謳歌する平和への祈り
一つの信仰をも感じさせるといっていい。

魅惑的なサルサのリズムに乗って
キューバ伝統のラム酒を使った
あのヘミングウェイが愛したことで有名なモヒートでも飲みながら
そんなラムを絵を眺めて酔いしれていたいそんな気分である。

Orlando Cachaito Lopez: Redencion

ここはやっぱり「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」でもレコーディングに参加したキューバ生まれのベーシスト、カチャイート・ロペスをの楽曲をとりあげておこう。初のリーダーアルバムとなった「Cachaito」にも収録された「Redencion」。このアルバムでは、ターンテーブルや音響なども駆使した現代的で野心的なアフロキューバンミュージックがきこえてくる。

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