小津安二郎『東京物語』をめぐって

東京物語 1953 小津安二郎

トウキョウモナムール

生まれ育った場所でもない東京の地にきて
すでに生涯の半分以上もの月日が流れた。
トウキョウへの思いもそれなりに失い難いものにはなっているが
骨をうずめうる覚悟ができているわけでもなく
そのあたりこだわりはない。
はて、この先どうなることやら。

小津安二郎の『東京物語』のリマスター版を改めて観た。
もう何度も観てはいるのだが、
語るまでもなく日本映画史を代表する傑作は
今見るとこれは随分恐ろしい映画に映った。
いわゆるお茶の間を飾るホームドラマなどではなかった。
というのも、最初観たのが二十歳そこそこで
当時のぼくはこの世界観を目の当たりにして、
絵に描いたような上品で奥ゆかしい日本映画の古典だととらえたが
時をへて、人生を重ねた今のぼくには
この『東京物語』が哀愁を帯びた作品で
しかも人間の孤独の裏をかいま見せる映画にも思えている。
この差はいったいなんなのだろう。

たしかに尾道から東京へ、
子供たちに会うために上京してきた老夫婦のけなげな姿、
それでいてほのぼのとする会話ややりとりに
気が和むのはわかる。
空気枕がない、といって妻を責めるも
自分の手元にあるといったなんでもない演出の妙、
気を使い合う身内の、なんともおかしみのある人間模様に
苦笑しながらも、未亡人たる原節子の
ただならぬ美しさに見蕩れてしまうこともある。

杉村春子演じる次女「しげ」のとげのある立ち振る舞いに、
思わず小憎らしさが芽生えてくる。
それほどおのおのが完璧なまでに
物語を構成しているにもかかわらず、なんだろうか、
最後妻に先立たれた夫、笠智衆の
あの何ともいえぬ虚脱感と諦観が
まるで汗ばむようにじっとしていて静かに心を打つ。

それにしても、小津の演出は厳格であって、
そのスタイル、構図をけっして崩したりしない。一部の隙もない。
ローアングル、人物の相似形の配置、
会話や人物の動きに置ける一定のテンポ、空ショットの多用。
これらは小津安二郎がトーキ作品上で
築きあげた厳格なスタイルである。
以前には、そんなスタイルにばかり目を奪われ、
とらわれていたような気がする。

で終始、この老夫婦に愛情を注ぐのは、
戦死した次男の嫁である原節子だけであるという、
かような厳格なドラマだとは、
はじめた観た二十歳そこそこのまなざしには
やはり、映りこんでいなかったようであった。
血を分けた兄弟たちが、おのおの現実の生活が中心で
実のところ、親の死に目などは
単なるセレモニーとしてかたづけてしまうだけで
その空々しさこそは、まごうかたなき現実そのものなのだと、
理解する事になるこの家族のありかたの提示そのものは、
皮肉でもあり、またどこか滑稽にも映るが
さして咎めうる事態、というわけではない。
だからこそ、夫は妻に先立たれた無常漂う空間に
居合わせる義理の娘の涙が、
いっそう、哀愁のハーモニーをかきたててくるのかもしれない。

いつまでも戦死した次男の嫁として貞操を守る原節子が、
「ええんじゃよ、忘れてくれて」という義理の父の言葉の前に
未亡人としての孤独を露呈しはする。
「わたし、ずるいんです」といいはなち
「近頃では忘れる事もあるんです」と自白しながらも
「わたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。
このままこうしてひとりでいたら、いったいどうなるんだろうなんて・・・」
そんな、正直で誠実な心根に心うたれる義理の父は
「妙なもんだ・・・自分が育てた子供より、
いわば他人のあんたの方が、よっぽどあたしたちによくしてくれた・・・。
いやあ、ありがとう」と返す。
それを聞いて嗚咽する義理の娘との関係性において、
なんともいえぬ人と人の温もり以上の、
言葉からはきこえてこない、心の交感を読み取る。
それは時代関係なく、人が絶えず失っては芽生え、
芽生えてはいつのまにか消えゆくような繰り返しのなかで、
人知れず分かち合っている秘密裏の行為、なのかもしれない。
この情緒のやりとりが、限りなく美しいもののようにも思え
この映画が「家族」をテーマにした
ホームドラマであることの虚構をとらえたショットとして
画面に投げ出された瞬間に、
こちらもまた擬似的に、またぞろ情を重ねてしまうのである。

何に対してなのか、わからない感情。
それはおそらく孤独を味わったことのあるものへの
共感なのかもしれない。
あるいは、物語に入れ込むことによるまなざしの同化であろうか、
失われたもの、失われつつあるものへの孤独な眼差し。
ひとりで生きてゆくことの厳格なたたずみに伏した涙を
そこでそっと胸にしまいなおす行為の美しさ。
ぼくは久しぶりに味わった新たな『東京物語』の哀愁の前に
自分が失ってきたものの幻影を重ねているのだろうか?

あのヴィム・ヴェンダース自身、
小津を下敷きに書いたと言われる『パリ、テキサス』への思いが
はるばる尾道〜東京から
そして鎌倉までを経由しての思いだったことを強く思いおこした。
旅は何も地続きである必要はないのだということなのだろう。
そしてぼくの旅も、心の中に永劫続いてゆくのだと思った。

ちなみに、何年か前にひとり尾道を旅したことがある。
この『東京物語』の郷愁を引きずっていたのだが、
そんな幻想はこっぱみじんに砕かれてしまったのだった・・・
いずれ、この自分自身の東京物語として培ってきた幻想は
脆く崩れ去ってしまうのかもしれない。
つくづく、映画の残酷さを見る思いがした。

PIZZICATO FIVE / 東京の合唱

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