あの頃、ニューウェイヴ(国内編・表)

YMO

分類上、わざわざ国内外に分けてはみたのだが、
正直、当時でさえ、
そんな意識を強く持って聴いていたわけではない。
ただ、国内にはYMOという絶対の存在が君臨し
そのムーブメントの影響下中心に回っていたのは否めないわけで
その意味で、国内においては
大きく分けて、YMO及びその周辺とその他
という大まかなくくりは紛れもなく存在していたといえる。
だから、ニューウェイヴと呼ばれるものは、
多かれ少なかれ、YMOの息がどこかでかかっているものばかりである。

要するに、絶対の中心がニューウェイヴそのものだったのだから
その他はせいぜい、歌謡曲やシティポップ、
ロックやフュージョンと言った従来の路線にあった、
なんらかのカテゴリーにすんなりと収まるものであり
むしろ、カテゴライズされえないものは、全て
このニューウェイヴの冠をいただくにやぶさかではなかったのだとも言えるのかもしれない。

YMOにしたところで、基本テクノポップを掲げてはいたが
歌謡曲にもクビをツッコミ、YMOを母体にして
ニューウェイヴ的な実験の場をおのおのソロ活動において
深く追求していたようにも思える。

いずれにしても、これはジャンル体型に無理やりに
当てはめてすんなり収まるようなものでもなく
テクニックを誇示するというよリは
曲調やアプローチにおいて日本語の可能性を追求しながら
自由に表現を求めて進化していったジャンルが
たまたまニューウェイヴの可能性そのものであった、
ということになるのではないだろうか。

Technopolis :Yellow Magic Orchestra

はじめにYMOありき。その創世記をリアルタイムで見聞できたことは、いまとなっては貴重な同時代体験であったと思う。ボコーダーを通した未来ボイスなTOKIO、TOKIOのフレーズにつづく一群のコンピュータフレーズと、それに負けずおとらぬ高性能の人力ミュージシャンたちとの共演が、このYMOのすごさであるといえるだろう。

Top secret man: Plastics

確かに、YMOは偉大すぎたが、プラスティックスもまたジャパニーズテクノポップの実力を世界に発信した意味で先駆け的存在である。そのファッション性は、音楽とともに、当時の流行の先端をいっていたように思う。ストリートから生まれ落ちたチープさでありながらも、キッチュさを兼ね備えた時代のテクノポップの神髄がここに読み取れる。

German Road :一風堂

パンク、ジャーマンテクノ、ロックといった、多様性をもっていた一風堂こそは、まさにジャパニーズニューウェイヴの代表バンドといっても過言でなかろう。トラウトロックの影響が顕著にうかがえる「German Road 」は、じつに分かりやすいほどNEU風で。クラフトワークエッセンスもはいっている曲だが、そのアンテナの確かさが、のちに土屋昌己は逆輸入的にジャパンのワールドツアーメンバーにも参加する道につながっていたのだろう。

H (THEME FROM CLUB FOOT):立花ハジメ

グラフィックデザイナーとミュージシャン、二足のわらじで活躍してきた立花ハジメもまた、ニューウェイヴの申し子のひとりだ。プラスティックス解散後、ソロ活動第一弾記念すべきアルバム「H」はロックでもテクノでもない、クラシックとジャズのエッセンスをとりこみながら、ギターからサックスへと持ち替えて、新たなラウンジモダンミュージックの方向性を歩き出した。ちなみに、このタイトル曲「H」では坂本龍一がドラムを叩いている。

20世紀の終わりにヒカシュー

「テクノ御三家」の一つに数えられる、巻上公一率いるヒカシューが、他のニューウェイヴバンドと違っていたのは、巻上の演劇的要素に加えて、ある時期からヴォーカリゼーションとインプロヴィゼーションを駆使したアフターニューウェイヴの道を辿っていったところにある。が、まだこの当時はリズムボックスを中心に、まさにニューウェイヴ然としたなかに、巻上の独特なボーカルスタイルで際だった個性を発揮していた。

美術館で会った人だろ:P-MODEL

三大テクノバンドのひとつ、草分け的存在である平沢進率いるP-MODELは、プログレからテクノへと発展して、人気をえたが、これまで、幾度もメンバーの入れ替わりを経て活動を続けてきた伝説のバンドだ。(2000年以降は実質的に活動休止状態)。結果的にみるとP-MODELというのは、まぎれもなく、平沢進のバンドで有り、=平沢進だったのだと思い知らされる。「美術館で会った人だろ」はPMODELとしての第一弾シングルで、ニューウェイヴ色の色濃い『IN A MODEL ROOM』からの代表曲だが、アルバムの醸す実験性に満ちた音は、まさにバンドとしての充実ぶりを見せつける傑作であり問題作でもある。プロデュースにはプラスティックスの佐久間正英。このあたりに当時の相関関係が読み取れる。

諦念プシガンガ:戸川純

この頃日本ではまだ女性アーティストの存在は少なかった。なかでも、戸川純はCMや女優としても、サブカル面においても、このユーウェイヴシーンをひっぱるまぶしいアイドル的存在だった。YENレーベルからリリースされた細野晴臣プロデュースのファースト「玉姫様」は、ニューウェイヴ的アプローチの見解からも、また戸川純というアーティストを語るにも、80年代における重要なアルバムに位置付けられるだろう。曲調も実に多様で、この「諦念プシガンガ」はアンデス民謡に触発されたちょっと歪んだ戸川流ラブソングだが、バンドの母体はハルメンズで、のちにヤプーズとして展開して行く。

銀輪は唄うゲルニカ

戸川純、上野耕路、太田螢一(作詞との3人による音楽ユニットゲルニカは、テクノ風の楽曲で、モボ・モガと言った昭和初期~戦前、戦後をめぐる雰囲気を
を醸したノスタルジックな擬似的世界を構築するニューウェイヴユニットである。ユニットコンセプトはイラストレーター太田螢一が主導の下、音楽的には作曲とキーボードを担当した上野耕路の世界であり、戸川純はレトロな銀幕の歌姫としてその異彩を発揮し、「銀輪は唄う」は李香蘭を意識した、昭和歌謡のレトロテクノを歌い上げた。

フェイド・アウト INU

文豪町田康が、まだ町蔵名義でパンク歌手を名乗っていた頃の問題作「メシ喰うな!」の一曲目「フェイド・アウト」。のっけから、パンク〜ニューウェイヴなソリッドでたたみかけるように繰り出されるカウンターパンチ。盟友北田昌宏の鋭いギターリフ、西川成子のゴリゴリのベースグルーブが格好いい。ボーカルスタイルをを顧みても、町蔵はPIL(ジョン・ライドン)を意識していたがうかがえる。

Do You Like Japan?: Melon

アフタープラスティックスであるメロンは、ポストテクノであり、当時集められる最強のミュージシャンたちが協力している。この『DO YOU LIKE JAPAN?』の目玉ベースのBRANDXのパーシー・ジョーンズの参加には驚いた。メロンはさらに、ウォーターメロンというユニットも進行させ、そこでみせたヒップホップ色への傾倒は、クラブミュージックへの流れとなってシーンを先導してゆくことになった。いわばポストニューウェイヴとしての影響力をすでに有していたのだ。

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