水道水を直接飲む機会なんて、いま、ほとんどない。
でも子供の頃は別に気にせず、蛇口から直接飲んでいたけど、
不思議におなかを壊した記憶なんて一度もないんだな。
体育の時間が終わると、早く早くとみんなならんで
蛇口の取り合いをした記憶が懐かしい。
その一口がどれだけ美味しかったことか。
フランスなんかのレストランでは、Carafe『カラフ』という壜に
水道水をいれて出してくれます。もちろんタダ。
アジア圏とちがい、生水でお腹を壊したという話はあまり聞きませんが、
別に美味いというわけじゃない。
まあ、水=ただ=当たり前、ではなく、
心配なら優雅にミネラルウオーターを頼めばいいだけのこと。
夏というのは水一杯がとてもありがたい季節。
水の恩恵にあずかる季節。
氷入りの冷たい水なんて、咽ごしに命の源だと実感しますもの。
例えば甲子園のかちわりは有名ですが、なんたって元は水ですからねえ。
でもそれが炎天下で飛ぶように売れるんだから、水ってすごいね。
命の源とはよくいったものです。
ちょっとカフェにはいっても、ありがたいことに、
あたりまえに水が出てくるのが我がニッポン国の常識。
その上、気の利いた店では、おいしい水だったり、
レモン水だったりして、これだけでもカフェに入るに
十二分な価値があったりしますね。
まあ、これぐらいのサービスを提供しなきゃ、生き残れないのかもしれないけど。
そのうち、水だけのカフェ、
っていうのができるかも知れないなあと思ったり。
流行る流行らないはさておき、ありなんじゃないかな?
究極のロハスカフェ誕生。
でもね、水がおいしいということは、
案外、贅沢なことだと思うんですがね。
水というのはある意味、生物の基本ですからね。
といって、人間なら、味覚というものがあり、
ただの水というだけでは満足しないところが
確かにありますけれども。
要するに物は考えようってやつだと思うんです。
ちなみに国語の本でも取り上げられていた記憶のある
梶井基次郎『檸檬』という短編では、
不安を抱えた主人公が、町を歩いていて
たまたま見かけた八百屋で一個の個体の檸檬を買って
いっときの幸福を噛みしめるわけですが、
レモンというものには、憂鬱を払拭する不思議な効能がある、
とまではいえないけれど、ある種の爽やかさを提供してくれることは
どうやら間違いない。
そんな紡錘形の黄色いレモンを輪切りに水に浮かべて、
ワンランク上の水をゴクリ。
そして頭を空にするというのも悪くはない。
記念すべき教授のファーストソロがコレ。
ジェケットを見て、カクトウギセッションときて
コレを当時買った人はすごくセンスがいいか
全く何もわかってなかったか、さあそれはわからないけれど
自分も長年聴きそびれてた口。
でも聞いてみるとやっぱり教授は教授だ。
キラリ光る以後の世界のサカモトメロディが随所に聞こえてくる。
参加メンバーもYMO周辺の拡張が半端なく
いろんなミュージシャンが参加してまさに“格闘技”をしている。
アッコちゃんの『SLEEP ON MY BABY』のアレンジがすごく良い。