サラ・ミッダのこと

おとなになること/GROWING UP AND OTHER VICDES サラ・ミッダ
おとなになること/GROWING UP AND OTHER VICDES サラ・ミッダ

こどももどきの大人たちへの贈り物

おとなは、自分もまたかつてこどもだったことをすっかり忘れてしまっている

サラ・ミッダ 『おとなになること』より

子供のとき「大人になること」をどこまで想像してたっけな?
してたとしても、ありゃ単なる現実逃避だったかもしれない。
それがどういうことかわからずにいただけで。
サラ・ミッダのすべて手描きの絵本には、
たえずいろんなできごとに直面して
とまどいながら成長してゆく子供ごころの微妙さが
実にみごとに表現されているなぁと思う。
タッチもかわいい。
神経質そうでいて、そのくせ無邪気で、
ちょっと手に負えない感じもあって
そこは所詮、こどもはこどもって感じの雰囲気を
うまく線のイラストに起こしている。
素敵だ。

続いて、毒と茶目気のある言葉に、ニヤっとする。
けれども、やはり自分はすっかり大人なのだ、
ということに、わざとらしくはっとしてしまう。
子供ってやつは物事をうまく説明できない。
説明しようとすればするほど混乱するものだ。
だから気分が露わになって感情が先立つってわけなのだ。

“おとなになること”をうまく説明できた時点で
子供ではなくなっている気がするのだが、
ずいぶん昔にそんな時期があったにも関わらず
そのことを曖昧なまま放置して生きてきてしまった・・・
無論、反省も後悔もないのだが、
あの頃にもどれないもどかしさよりも
あのころのもどかしさを、
いまもなお「こどものような気持ち」で
もどかしく思うことに今、気づいてしまった。

それでも、ふと自分が子供であった時のことを
今更ながら思い出すと笑えてくる。
ドジで、ガサツで、何にもまして不器用で、
いや、こういうべきかもしれない。
大人になっていまさら子供の頃のことを思い出そうとすると、
どこかで無理があるのだと。
べつに記憶から抹殺したいわけでもないのだが
忌まわしい出来事の前では
自らを閉じ込めようというほどでもないけれど、
ひたすら、曖昧で、ひたすら漠然としていることで
ほっとする自分がいるのだ。
結局は自分都合の思い込みだけで
世界が構成されていたなと思う。
それだけで毎日が過ぎて行ったことに、
ただただ驚くのだ。

その境界線を曖昧にしたまま引きずって生きてきたからこそ、
思い出は思い出として成立する。
子供であることの定義、というと大げさかもしれないが
それはあらゆるものを“未開の眼”で持ってみる、
ということ以外に、うまく説明できないのである。
が、それがなんとも幸せなカタチで継承されていることに感謝しよう。

感情というものを何らかの形で表出させるとしたら
水彩画の淡いタッチなんかがいい、
思わずそんな思いに駆られるイラストを
サラ・ミッダという人はさらりと描く。
水彩画は子供のときの記憶になんとなく結びついている。
生活そのものを水と絵の具で紙に写し取ること。
このイラストレーターが生み出す世界には
まさに子供の思いに寄り添うような優しさがある。
といって、生粋のイギリス人ということもあって、
クールな中に知的なユーモアセンスをのぞかせる。
まさにイギリス流のちょっとこ生意気なユーモアが満載だ。

「おとなっていうやつは、こどもの気持ちをみくびることにかけて、まったくたいしたものなのだ。」
と初っ端に書かれている。
思わず、コックリとうなづいてしまう。
ただし、『大人になること』という絵本は
子供のために描かれたというよりも
童心にまつわる大人に向けた絵本というべきスタイルで
子供の心の声を借りて、
童心を忘れた大人への皮肉のようにも読み取れる。
大人の女性に支持されるのもうなづけるが、
とりわけ子供を持ち始めた母親層に
向けられたメッセージのような気がする。

すこやかなる子供を育てる前に、
自身のこどもごころを思い返すべきなんだと。

Growing Up : Peter Gabriel

ピーター・ガブリエルの2002年リリースの7thアルバム「Up」から「Growing Up」。こちらは単に子供から大人になるというレベルの話から飛躍した世界。生命の誕生から、成長し、やがては死を迎えるという過程をスピリチュアルな視線で歌っている曲。

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