アッバス・キアロスタミ『友だちの家はどこ?』をめぐって

友だちのうちはどこ? 1987 アッバス・キアロスタミ
友だちのうちはどこ? 1987 アッバス・キアロスタミ

ジグザク気取りのない田舎の町なみを行く少年に微笑みを

ジグザク気取った都会の街並み。
その昔、水谷豊の『熱中時代』というTVドラマの主題歌で
歌われた歌詞の一部だ。
しかし、僕が今思い起こすジグザグとは
気取りなどとは全く無縁のジグザク道のことである。
そう、アッバス・キアロスタミ監督の映画『友だちの家はどこ?』で、
友達のノートを間違って持ってきてしまったアハマッド少年が
その友達にノートを返そうとして
お母さんの目を盗んでまで、隣村に繰り出して
必死に友達のうちを探すために
駆け抜けていったあのジグザク道のことだ。
(キアロスタミ映画にはしばしジグザグ道が出てくる)

この映画には特別の思いがある。
初めて見たイラン映画だったこともあるが、
これをパリの映画館で観た。
今から約三十年近くも前の話だ。
アラビア語なんて全然理解できないし
イランの映画事情など知る由もなかった。
字幕のフランス語を追うにも拙い気分で観たにも関わらず、
実に敏感に心に響いた映画だ。

なんといっていいのか、こんな映画があるのだという思い。
それも全く意識していなかったイランからの贈り物。
イランという国が急に身近になった。
キアロスタミはそれ以後、巨匠の風格を醸し
我が国でもそのスタイルに魅せられ、多くの人に支持された監督である。
残念ながら、3年前の2016年にすでに他界しているが
その残された作品は今尚みずみずしい輝きに満ちている。
キアロスタミでなければ撮れない映画ばかりが燦然と残されている。

この『友だちの家はどこ?』は、先にも書いた通り、
友達にノートを返そうとポシュテなる隣村で
必死になって友達の家を探すアハマッド少年が、
結局はわからずじまいに終わるそれだけの話である。
しかし、話にはちゃんと、始まりと終わりがあって
宿題をちゃんとノートに書かなかったことを
先生にこっぴどく叱られ、
次やったら退学だぞ、とまで言われて
怯え涙する友達のノートを
間違って持ってきてしまったことで、
その友達がまた、あのような大人からの責め苦に遭うことを危惧するがゆえに
なんとかその友達にノートを返さねば、
という優しい心を持った少年の純粋さがしみる話である。

しかし、この映画に出てくる大人たちは
皆、一堂に権威的で、やれ躾だ、やれ礼儀だと
子供たちを上から目線で尊大に扱う。
誰もその純粋な目に応えるものがいない。
子供たちは怯え、そして、その権力の前に
従うしかないというなんとも切ない構図の中に
ぽつねんとおかれている。
まるで何百年も変わらない風景の中に
カメラをおいてそのまま撮られたかのように
牧歌的であり、封建的であるイランの片田舎の話である。

それでも、この少年はあのクリクリとした目で
現実から目を背けず、ひたすら友達を思う。
だから、結局、ノートを返せなかったという罪滅ぼしに
遅刻してまでわざわざ友達の分まで宿題をし、
不安に覚え、先生に叱られることに甘んじなければいけない友達の前に
ほら、ここに君の分の宿題をやっておいたノートだよ
とさりげなく差し出し、ことなきを得る。
そこには一輪の白い花が押し花のように挟まれている。
少年が友達の住む村で、誰一人親切に世話を焼いて
友達探しに協力してくれなかったけれど
唯一優しく接してくれたその家具職人のおじいさんがくれた
希望の花がそこに挟まっているのだ。

胸がキュンとなる瞬間である。
なんと豊かな映画であろう。
これがイランという国の実力か。
初めて観たイラン映画の底力に打ちのめされた気分だった。
決して大作ではない。
なんてことはない話なのに、そこまで心を鷲掴みにされる
キアロスタミという監督がもつマジックに
目からウロコが落ちた。
それ以来気になってあとを追いかけた。
本当にすごい監督だ。

後日、この映画の演出法を何かで読んだ。
素人丸出しの子供たちのあの演技はどこからくるのか?
そこにはその秘密が載っていた。
少年にはこのノートを返さねば友達がどうなるか
というようなことを半ば脅迫めいてこんこんと吹き込むのだ。
純粋な少年は、正直これが映画であることなど
どうでもよかったに違いない。
友達にノートを返さねばどうなるか、
その思いだけが彼を突き動かしたのである。
正直、ちょっと残酷だな、と思った。
けれどもそれはそれで映画なのだ。
児童虐待、詐欺などではない、
純然たる映画作りのメソッドに感心した。
何よりこの映画は素晴らしいものだ。
それでいいのだ。

あの時の少年はとっくに成人しただろう。
結婚して、きっと子供の一人や二人、いておかしくはない。
今何をしているのか、気になるところだが
ひょっとすると、この映画に出てくる大人たちのように
子供たちに説教がましく、
子供は大人のいうことを聞くべし、
それが当たり前なのだ、それがしつけというものだ
などというようなことを、案外いっているのかもしれない。

何れにしても、あの目の動きだけで
全てを物語ってしまう少年の表情を収めたキアロスタミマジックを前に、
今また胸ときめかずにはいられないのだ。
映画の原点がここにある。

ちなみに、キアロスタミはその後成長したこの少年が出てくる映画を
このジグザグ三部作で撮っている。
これは記念すべき、第一作目なのである。

カリフォルニア・コネクション:水谷豊

小さいころ、テレビにかじりついて見ていた頃に耳にした懐かしいメロディ、曲だ。今聞いてもどこか胸キュンだ。なぜだろう? そう思っていたら、なんと作曲は平尾昌晃だけどアレンジがあの鈴木茂だったんだね。当然、この頃は鈴木茂もはっぴいえんども知らない頃だ。なるほど。水谷豊の直球な歌もいいけど、やっぱ曲が良いってことなんだろうな。『友だちの家はどこ?』とは一見なんの関係もないけど、あの少年の目の輝きのような、純粋なものがここにあるような気がしている。この頃の水谷豊も大好きだったな。

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