セルジュ・ゲンスブール『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』をめぐって

Je t'aime moi non plus 1976 Serge Gainsbourg
Je t'aime moi non plus 1976 Serge Gainsbourg

禁断の三つ巴による、A感覚に溺れて

近頃では、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー
それらの頭文字を順にとったLGBTという言い方が
主流になりつつある性的マイノリティーというものについて、
ぼく自身、そうした経験も趣向も持ちあわせてはいない人間であり、
ここで、詳しく得意げに言葉を連ねるほどに理解しているわけでもない。
けれど、偏見などもってないし、
必ずしも関心ごとの基準にセクシャリティを掲げるわけではないということだ。

実際に、ぼくが好きなアーティストには同性愛者
および、その傾向を持つ人間が多いのだ。
コクトーやランボー、ウォーホル、ホックニー・・・
これが、バイセクシャルとなるとさらに、増えてゆくわけだが、
そういえば、西鶴の『好色一代男』で知られる女たらし世之介などは
れっきとした両刀使いで
その五十四年の生涯で体験した五千近くの遍歴のうち、
七人に一人は男だった事実はあまり知られていないように思われる。

日本において、それよりさらに歴史を遡ってみても、
「稚児文化」なるものもあって、厳しい戒律の抜け道だったのか、
僧侶たちはしばし、若い稚児を男社会における女の代わりにおかれていた。
そんなことをいいはじめると、歴史は実に雄弁だが、
こうした男色嗜好は稲垣足穂の『少年愛の美学』をひもとくまでもなく、
近代文学における三島由紀夫あたりまでに浸透しており、
澁澤龍彦がセバスチャン・コンプレックスと呼ぶほどに、
その脳裏に深く焼き付いていたのを思い出す。
三島と言う人は、いうまでもなくナルシズムの強い作家であったが、
わざわざ『仮面の告白』を引き合いに出さなくとも、
その快楽を追求した極地の作家であり、
イタリア・バロック画家グイド・レーニによる《聖セバスチャンの殉教》を真似た
あのポートレイト写真などを思い起こせば片鱗は事足りるだろう。

同じく、そんなセバスチャン・コンプレックスに心奪われていたのが
あのセルジュ・ゲンスブールという人であった。
世之介のイメージを重ねるまでもないが、
ゲンスブールは、自らがその容姿にコンプレックスを抱えながらも、
数多くの女性遍歴を重ねた、いわばモテ男であったのだが、
その仮面の下で、セバスチャン・コンプレックスを抱えていたのである。
これはコンプレックスを裏返しとした、ナルシズムなのか、
はたまた、背徳への純粋な欲求によるものかはさておき、
決して、アジテーションとしての表現だけではなかったのである。

そこで、ゲンスブールの処女作にして上映禁止にまでなった問題作、
その思いがゲンスブールらしい挑発的発想で昇華された映画
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』を取りあげてみよう。
このスキャンダラスな作品が
世間で認知されるまでには随分と時間を要したのは無理もない。
母国で公然と評価したのはトリュフォーぐらいのもの、
もっとも、本当の理解という意味では、
やや曲解されたゲンスブール神話の一環として捉えられている気もするわけで、
ゲイカルチャー、トランジェンダー作品として、
このナイーブな感性を、どこまでフォローできているのかは見当がつかない。
ここでは、若きジェーン・バーキンと美男子ジョー・ダレッサンドロとが
目の離せない危険な関係をフォトジェニックにみせつけてくれる。
二人が繰り広げるこの挑発の前に、ゲンスブールはどんな快楽をもって、
みつめていたのだろうか?

この映画が単なる同性愛をテーマとしているわけではなく、
ゴミ回収を生業とするクラスキーとパドヴァンというゲイカップルの前に
ボーイッシュな女の子ジョニーが登場することによって、その関係に亀裂が生じる。
このビザールな三角関係にはロマンティックな色恋沙汰の甘美さとは無縁である。
ヒリヒリ、そしてハラハラさせる関係だ。
確かに、この頃の若きジェーン・バーキンにはジェンダーを超えた魅力があり、
ゲンスブールの想像をたくましく掻き立てたのは、みてのとおりよくわかる。
そのお相手が、これまたアンディ・ウォーホルの
息のかかった美男子ジョー・ダレッサンドロ。
その実験映画、アンダーグランド界で絶大な人気を誇り、
ゲイカルチャーのシンボルとして君臨した俳優である。
この間に立って、苦悩するちょっといじけたサル顔のユーグ・ケステルが
めめしいまでの嫉妬でこのいびつな三角関係を
より生々しく際立たせているのが面白い。
ちなみに、ローリング・ストーンズの『ステッキーフィーンガーズ』の
あのウォホールによる〝いちもつある〟アルバムジャケットのモデル、
あるいは、英国のバンド、ザ・スミスのファーストアルバムでは
『フレッシュ』出演時のダレッサンドロが使用され、
ゲイカルチャーのアイコンであった片鱗がここにも反映されている。

それにしても、ジェーンとジョーの性愛は刺激的、センセーショナルだ。
通常、男同士の場合はソドミーといわれるものだが、
ここでは男女間における肛門性愛、アナルセックスとして重ねられている。
その痛みに伴うジェーンの叫び声が、よりいっそうの背徳感をつのらせる。
フロイトの解釈によれば、幼児期のリビドーの発達段階である肛門期において、
肛門愛期のなごりとして性衝動、などといえなくもないが、
それはむしろ、足穂による「A感覚」になぞらえた方がいいのかもしれない。
この足穂による「A感覚」自体がフロイドのリビドー理論に
強く刺激されていることは紛れもない事実であるのだが、
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』において、
フロイトを経由してわざわざ足穂による「A感覚」までを
押し当ててみるのもちょっと違う。

ここにはゲンスブールの屈折した美学が色濃く支配している。
つまり、ジュテーム(愛している)に対するモワノンプリュ(俺はちがう)
という、なんとも逆説的な愛こそが、この禁断の三角関係に割って入るのだ。
いうなれば、波のように押し寄せる詩的な刺激である。
これこそがゲンスブール流アイロニー、ダンディズムである。

ちなみに、この映画では「Je T’Aime… Moi Non Plus」のインスト曲が
サンンドトラックとして流れるのだが、
ジェーン・バーキンとの生々しいデュエットで知られるこの曲は
内容の過激さゆえに、発売禁止、オンエア禁止となったにもかかわらず、
UKチャートのトップを獲得するにいたり、
まさに、ゲンスブールしてやったりの代表作は、
この半世紀を過ぎた現代においても色あせることなく、
官能の漂流を続ける名曲だ。

だが、この曲を最初に録音したのは、ブリジット・バルドーとである。
この恋多き女と不倫関係にあったこともあって、
バルドーの夫の逆鱗にふれお蔵入り。(そりゃそうだ)
結局二人の関係は終焉を迎えてしまうのだが、
そのあとに現れたこのジェーンが、恋の痛手に苦しむセルジュにとって
新しいミューズとなって、この曲を再録音することになったのであった。
そこから、二人は時のアイコニックなカップルとして蜜月期を重ねてゆく。
そんな時代の空気とふたりの関係が密に刻印された
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』には
まさに、セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンの
ゆるぎなくも屈折した愛の形が、
暴力的なまでに官能的なムードを高め、
アイロニカルでスキャンダラスなかにのぞかせる、
最高のロマンチシズムとして昇華されている。
その弁証法は、どこまでいってもニヒリスチックだ。

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