リブ・ウルマンスタイル『狼の時刻』の場合

狼の時間 1968 イングマール・ベルイマン
狼の時間 1968 イングマール・ベルイマン

狼さん、時間ですよ

リブ・ウルマンという、歳を召したノルウェー人の女優がいるのだが、
実は彼女が東京生まれだと知ってその意外さに驚いたものだが、
父親がエンジニアの仕事の関係で、来日していたのだという。
そんな彼女は、女性初のユニセフ親善大使に任命されており、
平和の使者として、何年か前に、
「瀬戸内国際芸術祭」の一環で再びこの故郷日本の地を踏んだのであった。

その彼女が女優としてのキャリアでもっとも重要な監督ベルイマンとは
公私にわたるパートナーであり
もっとも深くお互いを理解し合った関係だというのは
ベルイマンのフィルモグラフィ、作品をみても明かである。
リブ自らもメガホンをとり、演出家としてのキャリアも重ねる才女で、
こちらもベルイマンに負けじおとらぬ芸術家なのだが
ベルイマンの作品でみていたときは
必ずしも美貌を誇る女優でもないし、
その存在感は確かにベルイマンに不可欠な女の要素を
体現しているわりに、いまひとつ地味な人という印象が
否めなかったのは事実である。
しかし、一本一本、彼女の主演作品をみるにつけ、
彼女の重要性は、他の女優とは比べものにならないぐらい
大きいことが次第にわかってくる。

リブ・ウルマンとベルイマンの最高傑作は、
デビュー作でいきなり失語症という難しい役を演じた
難解を極める一本『仮面/ペルソナ』か、
あのバーグマン遺作でその娘役としての熱演が思い返される。
主役以上に存在感を示した『秋のソナタ』とで迷うところだが、
それについては、以前触れた。
他にも『鏡の中の女』や『恥』『蛇の卵』など
軒並みの名作が10本を数える。

今回はあえて、第二作の『狼の時刻』を取り上げてみようと思う。
たまたま、見ていたDVDの特典のインタビューが
実に興味深かったのである。
今、もうかなり歳を召された感じなのだが
その輝き、人間としての美しさが滲み出した姿をみて
ふいに感動すら覚えてしまったほどである。
自分の母親を超えた年齢の女性だというのに
輝きに満ちている表情をみていると
こんな風に歳をとれる人間は
きっと選ばれし人間の特権のようにさえ思えてくる。
人間の生き様の代償は歳を重ねるに従って
顕著になっていくんだってことか。
ましてや、あのベルイマンの伴侶ともなれば、なおさらである。

『狼の時刻』という映画はこれまで日本では長らく未公開だった作品で、
(いちどテレビで放映されたらしいが)
ある意味、ベルイマンらしい代表作の一本に
数えてもいいぐらいの傑作だというのに
不遇に眠っているのはあまりにもったいない。
マックス・フォン・シドー演じる
画家の主人公ユーハンの妻アルマを演じるのが若き日のリブ・ウルマンで、
ちょうどこの作品を撮影している時期はベルイマンとの蜜月期でもあり、
まさに二人にとっては創造的充実期にも当たる。
また、この作品はベルイマン自身の内的自画像だといわれているが、
そのせいか作品はことのほか一筋縄ではいかぬ
重厚な空気がたちこめている。
ベルイマンの分身、マックス・フォン・シドーも若く、素晴らしい。
冒頭のリブのモノローグショットをみて
妻の目を通し、夫の妄想に現実感をもたせているという意味で
タルコフスキー「ストーカー」での妻が夫について
涙ながらに語るシーンを思い出した。

「狼の時刻」とは古代ローマ人が信じた
「深夜と暁の間の、悪魔が解き放たれる」時間帯のことで
日本でいうところの丑三つ時のことである。
この映画の中で解き放たれる悪魔は
すべてユーハンのみる幻影なのだが
今時のホラーとは一線を画すトリックや演出の妙で表現され
そのシーンのひとつひとつが実に興味深い。

ひとつひとつを説明するのは野暮だが、
他のだれにも似ていないユニークな作風が
どの場面からも伺い知る事が出来る。
ベルイマンはやはりベルイマンである。
なかでも岩場で絵を描こうと出向いて、
たまたま釣りを始めたユーハンの背後に、
ふいに現れた少年を衝動的に撲殺し海に投棄するシーン、
少年の屍体が海水に浮かぶシーンは強烈だった。
あるいは城に住む怪奇な人間たちがみせる悪夢。
ユーハンの幻影が、城の住人たちを様々な姿に変貌させる。
顔を剥いで眼球をワイングラスに入れる老女、
壁を駆け上がり宙づりになる男、
あるいは明らかにベラ・ルゴシの吸血鬼を意識した烏の化身の男など…
まるで悪魔の館と化した城の空間で
女装をほどこされたユーハンが悪夢をみせられる。

ここでは「神の沈黙」三部作にみられるような
宗教的モティーフはなりを潜め、
「恥」「情熱」を入れて自画像三部作の完結する
内的で幻想的モティーフが色濃く漂いはじめ、
様々な象徴とともに刻印されている。
ベルイマンとホラー作家、
その影響力を考えれば、遠からず近からずといったところか。
いかに実験的、野心的作家であったかが
この一本からでさえ伺い知れる。

インタヴューでの年老いたリブ・ウルマンの表情がまぶしかったのは、
ある意味、ベルイマンの映画の中のヒロインが
いつも厳しい境遇に生きた役ばかりだったからかもしれない。
その上で、縁の下の力持ち、
表立って目立ちはしないものの、あの名匠を支えてきた事実は
やはりただ事ではないのだと思う。
とりわけ、その表情の深さは、べウイマンの映画には不可欠な
ある種の真理が滲み出している気がしてならない。
それは持って生まれた人間の尊厳と
つまりは、これは人間を超えた内なる何者かとの対話であり
べルイマン自身は、その信仰に懐疑的立場を貫いた監督だが、
リブ・ウルマンに宿るその吸い込まれるような眼差しを見せられると、
どうにも避けては通れない、
孤高ながらも崇高なる光を見る思いがするのである。

Wolf in the Breast : COCTEAU TWINS

歌詞を追ってもなかなかその先にはたどりつけない、深淵なる幽玄的世界が広がるコクトーツインズの6枚目のスタジオアルバム「Heaven or Las Vegas」からの一曲。かつてほどの難解さからは随分柔らかいイメージも散見する、比較的聞きやすいアルバムで人気も高いのだが、やはり歌詞は詩的な宇宙といった響である。母性と永遠のはざまに恐ろしくも美しい感情の迷宮が歌われる・・・そんな感じなんだろうか? その意味ではベルイマン映画にどこかで通底している神秘を共有できるかもしれない。

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