悪夢か発露か、ポエジー薫るYOU MAY DREAM
「前衛(アヴァンギャルド)」というキーワードから
満を持して引っ張り出してきた『アンダルシアの犬』について、
今から約1世紀近くも前のこのあられもない映画を見たあなたは、
居ても立っても居られず、その感想をグダグダの解説でもって
おっ始めようというところじゃないだろうか?
しかし、そんな事をしたところで、
おそらく何にも伝わりはしませんよ。
むしろ、誤解を招くだけですから、悪いことは言いません、
そこは素直に、悪夢を見た、とでも言って流しておきなさい。
言ってみれば、結論はそういうことでしかないのである。
そうはいっても、スペインが産んだ鬼才同士のコラボレーションが
ただ事で済まされるはずはない。
若き日のサルバドール・ダリとルイス・ブニュエルが組んで
1928年パリを舞台に撮られた、
これぞシュルレアリスムの古典映画決定版。
ひとえに傑作だの、金字塔だのと囃し立てるのはたやすいが
一体何がどう傑作なのかを明確にするには、困難を極める。
何よりも、あれから1世紀もの時間の重みもある。
とりあえず、ここでは理屈など通用しない、するはずもないのだ。
強いて言えば、この発想の自由さ、大胆さ。
この時代において、ここまで奔放に
夢、幻想、無意識等、詩的イマージュを駆使し
シュルレアリスムをその名の通り、ビジュアル化した点で
驚愕し、感銘を与えるのはごく自然な流れであろう。
映画といっていいのか、実験映像といっていいのか。
ポエジーの洗礼はかくも強烈なる一撃を見舞ったのは間違いない。
初めて目にした当時の群衆の、唖然たる思いが目に浮かぶようだ。
兎にも角にも全てがショッキングすぎて
意味がわからないだの、理解ができないのだの、
やれ不道徳だ、反社会的だのと
そんなことでいちいち騒ぎ立ててることは
この悪夢を前に、シュルレアリストたちの思う壺だったろう。
よって、何か新しい時代の幕開けが
堂々ここに宣言されたことは間違い無いはずである。
剃刀の刃で真っ二つに裂かれる眼球。
手に群がる蟻の意味は? ピアノにロバの死骸? 切断された手?
男は女の乳房を揉みしだき、壁には蛾が・・・
ブニュエルといえば“フェティシズム”映画、とさえ言われる通り
このアナーキーで脈略のない映画の中に
そうしたフェティシズムの萌芽を随所に見て取ることもできるだろう。
が、事の次第はたわいもない会話から始まった。
ブニュエルとダリは、ある日ある時、
レストランで食事をしながら、夢の話で盛り上がったという。
まずはブニュエルが先陣を切る。
かみそりが眼球を切り裂くようにして、
細くたなびく雲が月を横切って半月になる夢を語れば
一方のダリは、蟻が群がっている手のひらの夢を見たと応酬する。
お互い、この夢合戦に興奮したというが、
映画撮影所に出入りし、曲りなりもすでに映画製作に関わっていたブニュエルが
「映画を一緒に作ろう!」と鶴の一声。
それが事の始まりだったという。
シュルレアリスムとは、夢であり、無意識であり、幻想であり
時にフロイドなどを引っ張り出してきて解釈することは
ある意味、高尚なお遊びといっていい。
無論、遊びにはカネがかかる。
この恐れを知らぬダリとブニュエルコンビは
当時のパリでシュルレアリストの活動のパトロンであった
ノワイエ公爵の半ば道楽的享楽の一つといっていいのだが、
続く『黄金時代』においては、右翼の弾圧を受け、
以後約五十年間もの間、幻の作品として
公開禁止さえ余儀無くされるほどの危険因子扱いを受けた。
その後もブニュエルは無神論者、あるいは
アンチキリストの反ファシズムの旗手として
指名手配を受けるまでに迫害されているのだ。
こうした遊び以上の死に至る遊戯性こそが
ブニュエルをして真髄を発揮し
のちの映画道に箔を付けたと言っても過言では無いだろう。
メキシコ時代には大衆娯楽『昇天峠』から文芸大作『嵐が丘』、
不条理映画の決定版『皆殺しの天使』に至るまで、
数々の傑作映画を超然と製作し続け、
「二人一役」の演出の『欲望のあいまいな対象』、
その遺作までその精神を貫き
映画史に燦然と名を残すことになる。
だから、間違ってもブニュエルを
シュルレアリスムの映画作家とのみ断定してはならない。
そうしたフィルモグラフィーを丁寧に追えば誰だってわかることだ。
一方のサルバドール・ダリはどうか?
映画に関しては、実質これが最初にして最後ではあるが、
1945年にはアルフレッド・ヒッチコックの『白い恐怖』で
奇抜なセットやイメージにも手を貸している。
また、ホドロフスキーは未完の『DUNE』の中で
銀河帝国の皇帝にダリを考えていたぐらいである。
その個性は、他の追随を許さぬほどの話題性を誇り
それは絵画史、美術史において、
網膜的、かつ偏執狂的なイメージで
20世紀美術史に強烈な印象を与え続けたのは言うまでもない。
そのダリとて、その陰にガラと言うとんでもない悪女たるミューズが
糸を引いていたことを思うと、
あたかもその傀儡だと言えなくもなく、
果たして、どこまでがダリの本質だったのかは疑わしい。
どちらかと言えばトリックスター。
最大のパフォーマーであり、その奇行癖ばかりが先走って、
どこまでその評価を信じていいものか判断しかねる画家でもある。
ダリにしてみれば、ガラこそは創造の源泉であり
ガラの死後は「自分の人生の舵を失った」と落胆し
引きこもって事実上の引退を余儀なくされたほどである。
とは言え、当時の血気盛んなシュルレアリスム運動の渦中に
若い二人が出会って産み落とされた『アンダルシアの犬』こそは
前衛と称されるあらゆる表現
とりわけビジュアルアートの先鞭を担う
重要な作品という位置付けには変わりがなく、
今見ると、まさに無政府主義的錯乱の中に
きらり喚起される映像は
自動手記的な祝祭と狂気に奉られた壮大な実験場として
それにふさわしいポエジーの発露が鑑賞できる。
公開時にはシュルレアリストたちが狂喜乱舞する最中、
ブニュエル自身が終始スクリーンの背後で
事実上のサウンドトラックとして
ワグナーの『トリスタンとイゾルデ』を蓄音機で鳴らしていたと言う。
今なら、多くのミュージシャンたちが
その映像に似つかわしい自由奔放な音を
瞬時に伴奏することなど簡単にできてしまうだろう。
その早すぎたイメージの喚起力を前に
この科学万能の現代で、改めて、
貴重なイマジネーションの源泉として君臨する
この前衛映画の嚆矢たるこの『アンダルシアの犬』を、
二人の天才の記念すべき邂逅を、ポエジーの祝福とともに
今一度再評価しておきたい。
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