勝新太郎『座頭市』をめぐって
勝新太郎が1989年に撮った『座頭市』。 文字通りのラスト座頭市であり、 73年、自身の勝プロで『新座頭市物語 笠間の血祭り』を撮って以来 十六年ぶりに完全復活を果たし、 勝新が最後にメガフォンをとった作品としてシリーズ最終作であると同時に、 のちに訪れる破滅と影を予告する、 奇妙に澄んだ悲劇性をも帯び、いろんな意味で呪われた映画だ。
映画・俳優勝新太郎が1989年に撮った『座頭市』。 文字通りのラスト座頭市であり、 73年、自身の勝プロで『新座頭市物語 笠間の血祭り』を撮って以来 十六年ぶりに完全復活を果たし、 勝新が最後にメガフォンをとった作品としてシリーズ最終作であると同時に、 のちに訪れる破滅と影を予告する、 奇妙に澄んだ悲劇性をも帯び、いろんな意味で呪われた映画だ。
アート・デザイン・写真たしかに、冬は家から出たくなくなるし、 おのずと行動範囲が狭まったりもするが、 逆に、その分、好奇心がどこからともなくわいてきて いてもたってもいられない感慨にも襲われる。 来るべき春への準備とともに、 自分のなかに、なにか大切な思いを育む季節でもあるのだと思う。
映画・俳優かくして、勝新の贅の極みが尽くされた『新座頭市物語 折れた杖』は 傑作、かどうかは別にして、 マニアにはたまらない作風となって語りつがれている。 こんな作り手も現れないだろうし、またそれを許す配給会社もないこの時勢、 実に、貴重で、実に勝新らしい一本として、 ファンならずとも、ひとりでも多くの映画ファンに知って欲しい作品である。
映画・俳優この勝新&田村高廣の天下の名コンビ、 大宮貴三郎と有田上等兵が繰り広げる 戦地でのドタバタコメディーは実に痛快極まりない活劇天国。 なんだか胸がすっとするだけでなく、大いに笑えますし、 ハラハラドキドキ、興奮いたしやした。 いやあ、至福の戦争映画、というと誤解されるところだが、 そういう縛りを抜きで見るべき映画なんだと思います。
映画・俳優大映が誇る、大ヒットプログラムピクチャーの決定版、 勝新三部作のひとつ『悪名』シリーズ全15作を この数ヶ月かけて見直ししていたのであるが、 原作/今東光の河内ど根性節を、 ちゃきちゃきの江戸っ子・勝新が我が物顔で演じきっても、 いっこうに不自然さがない。 ややもすれば非関西圏の俳優による関西弁の違和感が耳につくのが相場だが、 このカツシンな朝吉においては、 みじんも感じさせないのは、役者馬鹿を通りこえて、 やはり天才と言わしめる所以といったところ。
映画・俳優少なくとも、好きになった映画の、 そのたまらない空間の中に俳優に恋をする、まさにそんな感覚に過ぎない。 言うなれば、その映画が傑作であれ、駄作であれ、 俳優だけで観れてしまう映画というものもまままある。 その俳優が写っているだけで、何かを話したり、何か気になる仕草をしたりすることで 我々観客の心を奪ってしまうほどの存在。 ここでは、そうした比較に基づいて書き始めようなどという大それた考えは一切ない。 ただその映画が好きだという理由を あえて俳優目線に落とし込んで考えてみたい、それだけのことなのだ。
アート・デザイン・写真そんなバルチュスの絵のなかで、 ほくは、ズバリこの『地中海の猫』絵が大好きだ。 パリのシーフードレストランのために描かれた ちょっと変だけど、可愛い猫人間のタブロー。 ここには、危険さも、伝統の縛りもなく、 かといって、幻想絵画のマジックというほどのものもない。 ミツを愛した少年バルチュスがそこにいて、 勝新の座頭市に嬉々として見入るお茶目なバルチュスがいる、 そんな気がして、大好きなのである。