[門戸無用]MUSIQ VOL.4
そんな月をみながら聴くのもまたオツな音楽たちをとりあげてみよう。 名月をとってくれろ泣く子かな、という一茶の名句を書き換えて、 「名盤をとってかけろと笑む子かな」 いやはや、そんな怪童に出くわしたいものだ。
そんな月をみながら聴くのもまたオツな音楽たちをとりあげてみよう。 名月をとってくれろ泣く子かな、という一茶の名句を書き換えて、 「名盤をとってかけろと笑む子かな」 いやはや、そんな怪童に出くわしたいものだ。
それはそれ、これはこれ。 日々労働に勤しむものに幸いあれ! まあ、音楽というご馳走、ご褒美がある人間は幸せだ。 なぜなら、不平不満に彩られる前に 素敵な旋律、楽しいリズムによって いっときの夢心地になれる。 さあ、身体をシェイク! 脳みそシャッフル。 感性と衣装をまとって心ゆくまで踊りあかそう!
いやあこのところずっと映画ばかりみていたもので ちょっと肩が凝りまして、っていうのはでまかせで、 いくらでも映画に浸かっていたい気分ではありますが、 映画を観て、記事をアウトプットするのはそれなりに労力がいるものです、はい。 そこでやはり息抜きに音楽は必須。 そんな時には好きな音楽を流しつつ、頭をほぐす、リラックスする、 合わせてティータイムで一服したい気分なのであります。 音楽のいいところは、言葉が不要なところ。 ただそこで鳴っているだけで幸せな気分に浸れるわけで・・・ 秋は味覚に、そして芸術に心を駆り立ててくれるシーズンなので、 そこはもうマテリアルには困りません。
1953年に『消しゴム』でデビューして以来 『覗く人』『嫉妬』など次々と文学的問題作を発表してきた作家ではあるが、 幸い、ロブ=グリエという人は生涯9本の映画を撮っており、 アラン・レネの『去年マリエンバートで』の脚本をも手がけているぐらいだから 映画というジャンルにも並並ならぬ意欲を示してきた作家と言える。 実はその作品の一つ『快楽の漸進的横滑り』について 何か書けるかというところから 長々と前振りを書いてきたのである。
寄り添うをとすればするほど交わりはしない不毛な関係だが それでも母と娘であることは避けることのできない現実である。 娘は娘として、母は母として、 互いの空白を埋めることができるのか? ラストシーン、娘は母を許すことができたのか? 何もかも失いつつある現実の前で、 過去を清算して、娘に寄り添えるのか? 観客は各々感性にヒリヒリと問題を突きつけられるのだが、 『秋のソナタ』はそんな生易しいヒューマンドラマではない。 人間の根源、深層にまで及ぶ芸術家ベべルイマンの魂が 隅々にまで昇華された映画である。 スヴェン・ニクヴィストの冷徹なるカメラワークが冴え渡る。
今、手元にある一冊の写真集を眺めている。 森村泰昌による『全女優』というタイトルの それこそ、究極の女装写真集である。 ドヌーブ、ヘップバーン、モンロー、ガルボ ・・・ そんじょそこらにいる佳人とは比べようのないオーラを放つ美の化身達。 大胆にそんな美のアイコン達になりすましてしまう氏の技は もはや芸術を超えた忍術の域である。 よって、当然趣味の世界という偏狭な枠組みのみで語るつもりはない。 また、芸術という高みにわざわざ同行する意思もない。 ここに、わざわざ美を見出すかどうかはさておき、 眺めていると不思議な高揚感が湧いてくる。 自分ができないことを、目の前のアーティストが一人、 可能な限りのアプローチで個々の女優に近づこうとする行為。 その行為は実に圧巻であり、神々しい。 審美を超えた、何物かであり 言葉より先に、網膜がひたすら圧倒される。 なんだろうか、このエネルギーは。
定番のドンゴロスバックに、 白と赤のグラフィックなタイトルバックで始まる、 変わらぬ安定の小津調と思いきや この『小早川家の秋』はホーム松竹ではなく アウェイの東宝作品である。 東宝のプロデューサー藤本真澄ら、たっての希望により 招聘された客人映画として 通常の小津作品には見ることのない、 ちょっとだけ異質な空気感を孕んでいる。
あくまでイメージに過ぎなかった「バベルの塔」を しっかりこの眼で拝むことが出来たのは 実にファンタスティックな出来事だったと言える。 それにしても一枚の絵がこれほどまでに壮大なロマンを持ち得ることに 改めて感動を覚えずにはいられない。 とりわけこの東京芸大プロジェクトによる 300%の復元版の風格は凄まじいものだった。 (高さ340cm立体版「バベルの塔」もあるのだ!) ボイマンス美術館所有の原寸「ブリューゲル版」とでは 印象がまるで違うのだ。 ブリューゲル版は鑑賞用という前に、 板に描かれた油絵を何百年もの間後生大事に それこそ腫れ物に触るように、神経をとがらせて保管されてきた代物だろうし、 サイズもさほど大きくなく1mにも満たない、 いうなれば室内展示用のものだ。
武満さんの凄さは、その精神の自由さ、 であると同時に、僕にとっては 美術やとりわけ映画への造詣の深さが半端じゃない人 という側面が大きい。 それは若くして出会った運命の人 詩人瀧口修造直系の影響をもろにこうむっているところからくる。
ダニエル・シュミットのドキュメンタリー映画『トスカの接吻』について書いてみよう。 初めて見た時の感動は忘れないのだけれど、 年齢を重ねてみる感慨はまた違うものだ。 同時にいろんなものが見えてくる。 人間は歳をとっても本質的に変わらないものだっていう、そんな見本がここにある。 いいんだわ、老人たちの顔がね、素晴らしいの。