第七の封印 1957 イングマール・ベルイマン映画・俳優

マックス・フォン・シドースタイル『第七の封印』の場合

死神に一度憑かれてしまえば抗う方法などないのだ。 けれども、少々の延命なら交渉次第。 そこが物語として面白いところだ。 そんな話がベルイマンの『第七の封印』である。 中世は北欧、海岸に佇む死神、 そして十字軍遠征から戻ってきた騎士アントニウスと従者ヨンス。 待ち受けていたのは黒死病、いわばペストが蔓延する現実社会と それを傍に見つめる死がある。

『グロリア』 1980 ジョン・カサベテス映画・俳優

ジーナ・ローランズスタイル『グロリア』の場合

カサヴェテスの『グロリア』っちゅうんを ひさびさに観直してみたろ、ちゅうことでね。 うむ、やぱりジーナ・ローランズいうんはかっちょええ女やなあ。 これぞ、姐御のなかの姐御、 毅然とワルに立ち向かうアメリカ版ゴッド姐ちゃんやん。 ま、元がワルの姐御なんですけど、 あるとき、親友の夫がマフィアの情報垂れ流したとかで、 一家丸ごと惨殺されるきっつい運命で、 この子をどうかよろしく、ってなふりで、 ちいこい坊やフィルくんを抱え込むことになりよるねん。

Falstaff 1966 Orson Welles映画・俳優

オーソン・ウェルズスタイル『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』の場合

酒に女に耽溺する太っちょの不世出の大ボラ吹き。 狡猾かつ豪快な男、 それまで散々放蕩の限りを尽くしてきた 老いたる騎士を自ら演じている。 まさに、シェイクスピア劇の名物脇役は この人しかいないという感じの、はまり役である。 しかも愛嬌たっぷり、実に可愛いのだ。

ELLE ポール・バーホーベン2016映画・俳優

イザベル・ユペールスタイル『エル』の場合

それにしても、奔放すぎる、 ちょっと変という声も理解できないわけではない。 ミシェルのような女性の行動を理解するのは簡単ではない。 また仮にこうした女性がいたとしても、 日常を生きてゆくのは別の意味で 大変なことなんじゃないかと思わせるほど、 常識からかけ離れてはいる。 まさに最強の鉄の女像がここにある。

映画・俳優

ジュリエッタ・マシーナスタイル『カビリアの夜』の場合

バカな子ほど可愛いと言うが、 それは女にも当てはまる。そんな話をしよう。 所持金欲しさに、のっけから恋人だと思い込んでいた男に裏切られ、 いきなり川に突き落とされる散々なカビリアが 子供達に助けてもらった恩すらも返さず、 とにかくどうして自分はこんなに不幸なのかとプンスカプン。 その人生を目一杯呪いながら、 親友や神や聖母にまで悪態をつく始末。 言うなれば哀れな女であり、 このイタイ女の物語がこのフェリーニの『カビリアの夜』の骨子である。

西部邁 1939ー2018文学・作家・本

西部邁を偲んで

今日で一月が終わる。 たしか、数日前、この東京にも雪がちらついたが、 結局は大したことにはならなかった。 が数年まえの大雪に見舞われたあの日のことをふと思い出す。 やはりこの寒い時期、一月だった。 手元のメモが残っている。 2018年1月21日、あの思想家西部邁氏が 底冷えしたであろう多摩川に身を投げたのだ。 早いもので三年の月日が流れてしまった。

Winnie Harlowサブカルチャー

ウィニー・ハーロウについて

肌の色だけで憎しみや悲しみ、論争や事件を生む時代。 「私たち、何も違わないわ。ただの肌よ」 本名シャンテル・ブラウン・ヤンというカナダ出身の 世界で最も美しい「まだら肌」のモデルの言葉が ふと目に留まる。 ファッション界、モデル界を語れるほど、 その分野には明るくはないが、 このイットモデル、ウィニー・ハーロウについて、 いいなと思った。 素敵だと思った。

『十九歳の地図』1979 柳町光男文学・作家・本

中上健次『十九歳の地図』をめぐって

一方、それは柳町光男によって映画化されているが こちらのほうは原作のもつ青年のやるせなさ、 虚無感がうまく描かれているように思う。 主人公の本間雄二もいいけれど、 蟹江敬三が実にいい味をだしていた。 「かさぶたのマリア」が泣けてくる。 ダイレクトシネマのような手持ちカメラが、 中上文学のエッセンスをつかんでいると思う。 きれいに収まりきった澄まし顔の映像よりもすがすがしかった。

Scott Walker 1943 - 2019音楽

スコット・ウォーカーを偲んで

ノエル・スコット・エンゲルこと スコット・ウォーカーが亡くなってはや二年近く、 忘れれらた、というわけでは決してないだろうが 時の移ろいの前に、人はなすすべはない。 そこで、この巨人の軌跡を、自分なりに追っておきたい。 4ADレーベルの訃報によって、 彼が妻帯者であり、孫までいることを知って驚いたものである。