『À bout de souffle』1959 ジャン=リュック・ゴダール映画・俳優

ジーン・セバーグスタイル『勝手にしやがれ』の場合

一番最初に映画を見だしたころ 不意にもゴダールの『勝手にしやがれ』に出会ってしまい、 いきなりガツンとやられてしまったのだった。 まだ映画のイロハも、人生のなんたるかも理解していない、 青二才、孤独で生意気な高校生のときだっただけに なおのこと、心に深く刺さったのものである。

『欲望の翼』1992 王家衛映画・俳優

レスリー・チャンスタイル『欲望の翼』の場合

そんな白のランニング姿がお似合いの 香港スターレスリー演じるヨディが たった1分でいいから時計を見ろと マギー・チャン演じるスーを口説くシーンから始まる。 なんとも小粋な始まり方である。 キャッチコピーにも使用された 「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。 この1分を忘れない。君とは“1分の友達”だ」 そうして二人の恋が始まってゆく。 これが王家衛ロマンティッシズムなのだ。

L'Avventura (1960) Michelangelo Antonioni映画・俳優

モニカ・ヴィッティスタイル『情事』の場合

主演のモニカ・ヴィッティも想像以上に素晴らしい。 我が目に狂い無し。 さすがはアントニオーニのミューズだっただけのことはある。 レネの『二十四時間の情事』の雰囲気を漂わせながら 同じスタッフを兼ねているのが、 サシャ・ヴィエルニーのカメラワーク、 ジョバンニ・フスコのスコア。 どちらも職人気質ゆえの見事さ。 いわゆる傑作と言われるだけの作品に仕上がっている。

暗殺の森 1970 ベルナルド・ベルトルッチ映画・俳優

ジャン=ルイ・トランティニャンスタイル『暗殺の森』の場合

原作はモラヴィアの『孤独な青年』だが、 映画も小説も、原題からすれば『順応主義者』と訳されるべきところを ニュアンスに誤差が生じている。 冷静にとらえ直した際には、明らかになるわけだが 本編は『順応主義者たる孤独な青年が、森の中の暗殺に立ち会う』話であり、 ファシズムの終焉とともに、少年期のトラウマによって苦しみ行き着いた、 ファシスト足らんとするその人生の幻想が、無化されてしまうのだ。 つまりは心理的ファシズムからの解放を意味する幕切れである。

NINOTCHIKA 1939 ERNST LUBICH映画・俳優

グレタ・ガルボスタイル『ニノチカ』の場合

元祖ツンデレ女優?と言うべきか、 伝説のハリウッド女優であるあのグレタ・ガルボが笑ったのである。 「私は一人でいたい。ただ一人でいたいだけ」という 『グランド・ホテル』での名台詞に要約されるように 生涯人間嫌いで通ったこの伝説の女優が、 労働階級者たちが集うレストランで、 メルヴィン・ダグラス演じる色男、 ダルグー伯爵の涙ぐましいまでに気を惹こうとくりひろげる小噺を前に それまでまったく冷淡だったガルボが、 いわば相手の思わぬずっこけぶりに、労働者たちにまざって 堰を切ったかのように大いに笑い転げるシーンが なんととも感動的で大好きなシーンだ。

La Vie de bohème 1992 Aki Kaurismäki映画・俳優

マッティ・ペロンパースタイル『ラヴィ・ドゥ・ボエーム』の場合

この映画におけるマッティ・ペロンパーの哀愁こそは カウリスマキ自身のそれと重なるはずだから・・・。 たとえ貧しかろうが、境遇が酷かろうが、 恋人に振り回されようが、決して自暴自棄にならず、 じっと耐え忍びながらも、己れを信じること、 それが唯一の希望なのだ。 ルネ・クレールやジャック・ベッケル 、 それにジャン・ルノワールといった良き時代、 当時の古きフランス映画を意識した銀幕の画面作りに マッティの残像が静かに余韻を残す、しみじみとした良質の映画である。

天使の入江 1963  ジャック・ドゥミ映画・俳優

ジャンヌ・モロースタイル『天使の入江』の場合

日本では長らく未公開作品だった ジャック・ドゥミによる『天使の入江』を観た。 噂に違わず幻の傑作である。 オープニングやタイトルからは、どんな話なのか想像がつきにくい。 地中海に面する「天使の入江」と名付けられた海岸通り沿い、 ニースの通称「英国人の散歩道」を優雅に歩いているのは ブロンドヘアーのジャンヌ・モロー。 アイリスインし正面から捉え、 そこからドゥミ&ヴァルダ夫妻の作品で馴染みの ジャン・ラビエによる一気の高速移動撮影に ミシェル・ルグランのドラマチックなピアノ曲がかぶさってくる。 うーん、実に素敵なオープニングだ。

『ラッキー』2017 ジョン・キャロル・リンチ映画・俳優

ハリー・ディーン・スタントンスタイル『ラッキー』の場合

ジョン・キャロル・リンチ監督の初監督作品『ラッキー』は まさに掘り出し物だった。 劇場で観終わった後に、久々に純粋な映画体験として 幸福な気持ちに包まれた映画だった。 監督のデヴュー作が主役ハリー・ディーン・スタントンの遺作とが 重なってしまったという運命的なオマケがついているわけだが、 そんなことより、隣の誰彼構わず、良い映画だから観てみてよ、 と思わず吹聴せずにはいられない愛すべき映画だ。