青い青い海 1935 ボリス・バルネット映画・俳優

ボリス・バルネット『青い青い海』をめぐって

『青い青い海』では大嵐のカスピ海で難破した船に搭乗していた 大の仲良しである二人の若者ユフスとアリョーシャが主人公なのだが、 たどり着いた島で、綺麗な若い娘マーシャに恋をし 言うなれば恋敵になってしまう話を書いた。 そこからがまさにバルネットの本領発揮の喜劇が カスピ海の大時化の海を舞台に、 実に爽やかに、溌剌かつダイナミックに展開されてゆく。

INDIA SONG 1975 Marguerite Duras映画・俳優

マルグリット・デュラス『インディア・ソング』をめぐって

デュラス恐るべし。 とはいうものの、 実際の今、外は鳥のさえずりと、 普遍の夜明けを前に、このインディア・ソングは 真夜中、こうして、魅入られたように、 人知れず、時をえらんでみるべくして 撮られているように思え、 仮に目の前にガンジスが広がっていたならば、 そのまま、きっと現実に背を向け、入水するがごとく、 そのなかへ消え失せてしまうのではないか、とふと思ったりする

狂った果実 1956 中平康映画・俳優

中平康『狂った果実』をめぐって

それは監督中平康の力といっていいかもしれない。 市川崑と双璧のモダンでスタイリッシュな映画作家だが、 いまいちその扱いはぞんざいで、 どちらかというと過小評価の感の否めない作家である。 しかし、この『狂った果実』がなににもまして 世界の映画作家たちを狂気させた問題作であることは やはり、時代が変わっても事実として受け止めねばならないのだと思う。 いや、時代が大きく変わった今だからこそ、 見るべきものを改めてここに見出すことが可能なのではないだろうか。

SWIMMING POOL音楽

スイスイスーダラなスイミングプール

日本には似合わない風景のひとつ、プール付きの豪邸。 庭先に、ビニールの臨時プール、せいぜいその程度か。 サバービアほど日本に似つかわしくない言葉もない。 まあ、気候にも大きく左右されるんでしょうが、 ホックニーの絵のようなプールなら、眩しい陽光が必須。 とは言っても、夏のプールはそれ以上に人でごったがえす。 優雅さは、空間性ありき、というべきか。 ただし、室内プールなら事情も違う。

セミ音楽

哀愁蝉ナール

そもそも、あの羽化の神秘は必見もので。 長い年月地下生活者で、ようやく日の目をあびてもわずか数週間、 うまく羽化できれば、これ幸いの儀式。 で、背中を割って出てきて、宙返り発進、 神秘の純白の羽根は、地上という俗に属するための洗礼のような感じで 徐々に変色していくんですよね。 あれを見ると日中、数週間の大合唱ぐらい、大目に見てあげたい気になります。

MONDE音楽

チルアウト、モンドなアウラ

その名もモンドミュージック。 モンドとはイタリア語で“世界”を意味する言葉だが 数奇で独特な、というニュアンスを含みながら モンドミュージックはイージーリスニングをより洗練させ どこかビザールで、どこかキュッチュで それこそエキゾチズムを刺激するような空気を持った音楽のことで ワールドミュージックともまた響きが違う。

チルアウト音楽

チルアウト、邪気朽ちる

アンビエントが必ずしもチルアウトかというと そういうものでもないし、 ロックやポップミュージック、 あるいはクラシックやジャズの中にでも 十二分にチルな要素のあるものもある。 そこから拡張してラウンジと呼んでもいいし なんならモンドミュージックと一括りにしてもいいのだが 問題はそんなところにはない。 心地いいということに理屈はいらないわけだ。 そこが音楽の素晴らしさであり、暑さから逃れうる 一つの音楽体験と呼んでいる所以なのだ。