フランシス・ベーコンに佇んで
そもそも、ベーコンには子供の頃から 同性愛の傾向を抑えきれず、 それが元で家を追い出されて以来、 家具の設計からインテリアデザインに従事し、 グルメやギャンブルに溺れる享楽に悶々とした日々の中に 独自に絵画に目覚めていったという、 いわば愛を求めつづけた文字通りの放蕩息子なのであった。
そもそも、ベーコンには子供の頃から 同性愛の傾向を抑えきれず、 それが元で家を追い出されて以来、 家具の設計からインテリアデザインに従事し、 グルメやギャンブルに溺れる享楽に悶々とした日々の中に 独自に絵画に目覚めていったという、 いわば愛を求めつづけた文字通りの放蕩息子なのであった。
そんな画家フジタは おかっぱに丸メガネ、ちょび髭にピアスがトレードマークで 当時の日本人としてみても かなりエクセントリックなイメージを伺わせていたが モンパルナス界隈、エコール・ド・パリで ピカソ、モジリアーニ、コクトーなど 様々な国籍の芸術家達と日夜交友を深めながら いち早く西洋画壇で人気を博した人である。
そんなバルチュスの絵のなかで、 ほくは、ズバリこの『地中海の猫』絵が大好きだ。 パリのシーフードレストランのために描かれた ちょっと変だけど、可愛い猫人間のタブロー。 ここには、危険さも、伝統の縛りもなく、 かといって、幻想絵画のマジックというほどのものもない。 ミツを愛した少年バルチュスがそこにいて、 勝新の座頭市に嬉々として見入るお茶目なバルチュスがいる、 そんな気がして、大好きなのである。
いくら文明が進化しようが、 この世に人間不在の世界など考えられはしない。 無人島や惑星をいくら想起したところで何になるのか、 ボスの想像力の前に対抗できる知能は、 この先どんな先進的な技術を持ってしても、 太刀打ちできるものなど現れないだろう。 所詮、そんなものは無意味だからだ。
魚や鳥、果物や植物を構成して 肖像画を描いてしまうその想像力に舌を巻かざるを得ないのだ。 なんと刺激的で、魅惑的な絵画なのだろう。 ダリを始め、エルンストやマグリット あるいはチェコのシュワンクマイエルなど、 そのエッセンスは当然のごとく、 20世紀の美術に多大な影響を与えており シュルレアリスムの父とさえ呼ばれるところだが そのグロテクスなアンチンボルドの寄せ絵には、 どこか静謐さと品性が絶えず宿っており 少なからず、その人となりを伝えているように思われる。
西風の神ゼフィロスは春風の息吹きで 貝殻の上にそびえ立つ女神像を海岸へと押し上げ、 時と時節を司る女神ホーラは、 衣装を持って、ビーナスを包み込まんとしている。 周りでは花が舞い、波が押し寄せている。 この静と動の緊張が、この一枚の絵画を 比類なき美に高めているのだということに 今更ながらに気づいたのである。
そこには何か奇抜なものがあるわけでもなく、 瓶やじょうご、水差し、壷といった器物を中心とした ナトゥーラモルタ(イタリア語で静物画という意味を持つ)を 平面に並べて描くというコンポジションが主で 目を惹く仕掛けのようなものはただの一枚もない。 なのに「20世紀最高の画家」と言われる由縁はなんだろう? そういう思いからどんどんとモランディの絵に魅せられていく。 確かになにかが心にひっかかってくる絵なのだ。
スペイン最高の画家のひとりと称される ムリーリョという画家をご存知だろうか? 絵が好きな人なら、美術史に明るい人なら そんな野暮なことを聞くなといわれてしまいそうだが その代表作「蚤をとる少年」を ここの流れでいきなり好きだといっても、 唐突だと思われるかもしれない。
僕は絵の可能性、一枚の絵の魅力に取り憑かれた人間というだけだ。 絵描きという存在の復権を願って、ここに美術史の中から なんの脈略もなく、心に留まった画家を拾い集め 個人的な思入れを書いてみよう。 あえて、絵というものに終始固執した画家たちについて取り上げてみよう。 僕にとってはそうした絵描きは憧れであり、同志であり、夢先案内人だ。
今、手元にある一冊の写真集を眺めている。 森村泰昌による『全女優』というタイトルの それこそ、究極の女装写真集である。 ドヌーブ、ヘップバーン、モンロー、ガルボ ・・・ そんじょそこらにいる佳人とは比べようのないオーラを放つ美の化身達。 大胆にそんな美のアイコン達になりすましてしまう氏の技は もはや芸術を超えた忍術の域である。 よって、当然趣味の世界という偏狭な枠組みのみで語るつもりはない。 また、芸術という高みにわざわざ同行する意思もない。 ここに、わざわざ美を見出すかどうかはさておき、 眺めていると不思議な高揚感が湧いてくる。 自分ができないことを、目の前のアーティストが一人、 可能な限りのアプローチで個々の女優に近づこうとする行為。 その行為は実に圧巻であり、神々しい。 審美を超えた、何物かであり 言葉より先に、網膜がひたすら圧倒される。 なんだろうか、このエネルギーは。