ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.13
そんな小難しいことはさておき、日活ロマンポルノは わずか70分程度の尺の中に、一定のお色気を含むと言う規定以外は 実に自由で、奔放な映画作りの情熱に突き動かされた、 真の映画狂たちが集う実験の場でもあったのである。 その熱気は男と女の睦みごと以上に熱く、狂わしいものだ。
特集そんな小難しいことはさておき、日活ロマンポルノは わずか70分程度の尺の中に、一定のお色気を含むと言う規定以外は 実に自由で、奔放な映画作りの情熱に突き動かされた、 真の映画狂たちが集う実験の場でもあったのである。 その熱気は男と女の睦みごと以上に熱く、狂わしいものだ。
映画・俳優これがあの神代辰巳の世界であり、 たまたま日活ロマンポルノというだけのことで、 仮にポルノという称号のみで遠ざけられているとしたら それはあまりに哀しい現実だ。 切なすぎるではないか。 映画という名の情熱。 男と女の情熱。 かつてそれら思いを互いに求めあった結晶の産物。 映画好きなら見て損はない、赫の他人の睦みあい。 うーん、豊かな時代があったものだ。
音楽春本番が来たら、改めて、春コレを書きたいのですが、 これは三月限定の、プレ春コレ盤セレクションであります。 自分としては、もう少し、冬を楽しみたいところがあります。 冬なんて大嫌いだって? まあまあ、その気持ちはわかりますが、 何事も、辛抱が肝心です。 その向こうに、素晴らしき開放感があるのですから。
映画・俳優アイスランドの三人の少女の映像から始まる冒頭。 それを「幸福の映像」と呼んでみるわけだが、 どうも他の映像にうまく馴染めそうもないと悟って、 マルケルはそこに黒い画面を挿入する。 そして、こう続ける。 「幸福がかいまみれなかったとしても、黒だけは見えるだろう」 この冒頭のカットをみて、僕は確信する、 少なくとも(表層にはびこる)嘘や欺瞞に出くわすことはないのだと。 まさに僕はこの詩的な感受性に胸踊らされてきたのである。
映画・俳優しかし、この『1000年刻みの日時計』の特筆すべき素晴らしさは、 隠された真実(歴史)を丹念に、そして誠実に 時間をかけてあぶり出したその熱意にあるのだと思う。 方法論が、ドキュメンタリーであるか、フィクションであるかは この映画の本質ではないのだ。
映画・俳優ただ、かつて、我々日本人には、世界に誇れる映画作家がいた。 小津安二郎が描いた東京、ならびに美しい成果様式を持った 日本人の眼差しの意味を、この遠い異国の人間に教えられるのだ。 それはある意味、正しい自国への認識へのヒントであり、 貴重な眼差しなのである。
アート・デザイン・写真10年に一度しか撮れないのか、撮らないのか? 『みつばちのささやき』から10年後に『エル・スール』。 そのまた計ったように10年をかけ、 エリセが満をじして温めていた構想が テーマがかぶるということで、企画を断念せざるを得なかったのは 呪われた作家ゆえなのか? 幸い、そんな思慮深い作家が 気持あたらに手を伸ばしたもう一人の神秘があった。 スペイン美術を代表する画家アントニオ・ロペスである。
映画・俳優サンドリーヌが11人兄弟の7番目で、 しかも、精神を患う妹を抱えているという事実を、 この映画を機に、初めて知ることになるのだが、 やはり、この女優に、常々何か一本芯のある強さを感じてきたものとして その理由の一つに、なるほど、たどり着くことになる。 早熟にならざるを得なかった環境があり、 改めて思わずにいられないのだと。
映画・俳優この世でもっとも神聖、かつ記念すべきドキュメントが 出産劇であることに誰も文句などないところだろう。 最初にして最後、この一度限りの出来事がなければ そもそも生そのものがありえず、よって死もへったくれもない。 だが、そんな重大なセレモニーを記憶しづけることは 男がもっとも介入できない困難な領域にあるといっていい。 なぜなら、出産において、男は絶えず傍観者であり、 究極の他者であるからだ。
映画・俳優この映画は、この無邪気な精霊のように歩き回った老婆 小見山久美子さんに捧げられている。 この映画が完成したあと、あたかも使命を果たし終わったかのように 2015年に魂の故郷へと帰っていったのだという。 この映画を実際にみて、彼女の目には、どう映ったのだろうか? きっと案内しきれなかった場所をあれやこれやと思い浮かべて 次なる案内を楽しみにしていたのだろうか・・・ 本意ではない形で、切り離されてしまった我が息子への愛情の代価を この映画の中で、充足できたであろうか? 静かに寄せて返す波の音が、そんな彼女への鎮魂歌のようにも聞こえてくるのだった。