デヴィッド・リンチ『イレーザーヘッド』をめぐって

イレイザーヘッド 1976 デヴィッド・リンチ
イレイザーヘッド 1976 デヴィッド・リンチ

消し去れぬ思いに導かれて

“In Heaven Everything is fine
You got your good thing
And I’ve got mine

天国なら、すべてがうまくいく
あなたにもわたしにも、いいことが訪れる

デヴィッド・リンチの記念すべき処女作、
この妄想によって出来上がったようなシュールな映画『イレイザーヘッド』を
こちらも勝手な妄想によってぐだぐだと考察してみよう。
が、そんなとき、ふと思い返すのが
芸人松本人志がはじめてメガフォンをとるというので
当時、それなりに話題には上った『大日本人』という映画のことである。
何を唐突に、と思われるかもしれない。
主役たる松本演じる佐藤という男が、
いざ大日本人なるものへと変身したときの髪型が
どこかこの『イレーザーヘッド』の主人公ヘンリーに似ており、
松本がまさかリンチの「イレーザーヘッド」に感化され撮ったというのか?
まさかのデヴィッド・リンチへのオマージュだったのか?
一瞬、そう思ったことがある、ただそれだけの話である。

無論、それは単なる思い込み、妄想に過ぎなかったのはいうまでもない。
そのあたり、深く追求したこともない。
内容をみれば『イレーザーヘッド』とはなんの関係もないのは明らかで
もし『大日本人』の予算と企画を使って
かのリンチが撮ったなら、一体どんなものが出来上がったのだろうか?
という飛躍した興味が多少わいたものの、
芸人の余興に対する興味そのものは全くもてなかった。
たしかに『大日本人』は、当時から芳しくなく評価に甘んじ、
今日まで、見るに耐えない映画という烙印を押され
この作品をあたかも腫れ物を触るようにないものとして扱ってきたが、
かといって、ぼくはここでその映画の“死体蹴り”をやりたいわけではない。
リンチの長編実験映画、カルト映画の異名をとる、
あくまで『イレーザーヘッド』についての考察の枕として、
少々意味ありげに持ち出したにすぎないのだ。
(どこかで松本人志には日本のリンチになってほしいなどという願望が、
当時無意識下にあったのかもしれないが・・・)

やはり、シュールな笑いとシュールな映画は全く別物である。
『イレーザーヘッド』が、とりわけお茶の間で通用する類いの笑いとは違い
同列に扱えないことぐらい誰にだってわかるだろう。
リンチ色の色濃い処女作は、いまも燦然と輝く実験的映画であり、
キューブリックやジョージ・ルーカスを熱狂させた、
まさにカルトムービーの名に似つかわしい作品である。
リンチの父親が画家で、リンチ自身もあるとき、
オーストリアの画家ココシュカの元、美術学校にも通った経歴を持ち、
絵や映像にもどっぷり没頭していた時期がある人だから、
嗜好において、映像がアートになっていっても驚きはないが、
やはり、映画とアートは似て非なるもの、というか
別の次元で考えなきゃならないと考えさせられてしまうのだ。

内容の解釈は一筋縄ではいかないし
リンチ自身も自作についてあれこれ語らない人だから、
噂や想像が一人歩きするのはしょうがない。
デビュー作で、しかも製作・監督・脚本・編集・美術・特殊効果
ほぼすべてをひとりでこなした処女作品に何を見ればいいのだろうか?
そんな思いをタバコのけむりのように頭にくゆらせながら、
リンチのドキュメンタリー映画『デヴィッド・リンチ:アートライフ』をも観た。
創作の秘密とやらが垣間見れるかと思ったのだが、
そんな期待はもろく崩れ、何処かへ消えた。
六十を超え、4度目の結婚をし、その小さな娘を愛でるリンチ
このドキュメンタリーでは、彼の絵画作品を通し、
その資質を再考するに至ったが
所詮リンチはリンチであり、今もなお謎の存在だ。
だが、ひとつはっきりとわかったのは
デヴィッド・リンチはまぎれもない稀有なアーティストだということだ。
絵が好きで、その資質が大きく影響し
その延長上に映像があり、ついに映画監督なった経緯は前提としてある。
しかし、それはまぎれもなくアートそのものだった。
決して、趣味の領域でなされているものではない、という意味だ。
いくつかの作品においては、フランシス・ベーコンの影響を感じるものの
誰の真似でもない、リンチ独自の世界観がにじむ不気味な絵画たち、
その才能にあたらめて感服してしまった。

だからこそ、生まれ落ちた『イレーザーヘッド』は
そんなアーティスティックなクリエーターリンチの渾身の思いが
宝箱のように詰まっているのは当然だと、改めて思ったのだ。
そこで、この難解な映画に関して、
想像力の瞬発性とやらを筆頭に掲げてみようと思った。
リンチが思いついた論理なきイメージの断章に、
彼が当時子供を持ったということや結婚生活に対する不安感、
あるいは、性的な意味での無意識な欲望を感じ取ったとておかしくはない。
が、わざわざリンチ自身の言葉を期待しなくても、
このシュールさに、絶対的な意味を期待しても所詮無駄なのだ。
後に見るリンチワールドから類推するしかないが、
ここでも、人間だけが抱えるねじれた精神の発露を見るという意味で、
これは彼のアートワーク同様、リンチ自身の内的な宇宙であり、
それぞれの情景やオブジェ、そしてひとつひとつのショットに、
それが投影されているようには感じた。

絵を眺めるように、映画を読む。
挟まれる原爆の写真、精子のような動きの物体。
穴の開いたベッド、そして何よりも気味悪がられた魚のような、
小動物の皮を剥いだような赤ちゃん。
そして精子を踏み潰すぶつぶつおたふくのラジエーター女子。
で、なんといってもイレーザーヘッドの主人公ヘンリー。
どれもが異様な雰囲気を醸して見るものに不安を掻き立ててくる。
映画としての感性よりも、リンチの想像力への衝動の大きさが
映画をある種の方向性へと導く強力な磁力となっているがわかる。
絶えず響いてくるインダストリアルなノイズの効果も手伝って、
あまりにも悪夢であり、衝撃的だ。

正直に告白するなら、この『イレーザーヘッド』から
なんらかの映画的な帰結を導き出せないまま、今に至っているのだ。
先に書いたように、リンチ自身の不安や見えない欲望、
そして暴力や性に対する葛藤のようなものを導きはすれど、
そのどれもがこの映画の見方を完全に決定づけるには至らない。
当時、すでに学生時代からの恋人ペギーと結婚生活を送り
第一子の娘ジェニファーが誕生していたが、
望まざる結婚からの妊娠、そして先天性異常への恐怖と不安。
そうした私生活からの無意識がテーマに掲げられているともいわれるが、
要するに、この作品は人を不安に駆り立て、
そしてさまざまな想像力の補填を促してくるだけの
野心的な実験作品であること以外、なにももたらしはしない。
それゆえに、この世界から抜け出せない思いがさらに増幅するのだ。

何故にイレーザーヘッド(消しゴム頭)なのか?
子供の頃、誰もが無邪気に周りの仲間にあだ名をつけ
理由なくそうよんでいたように、
これもまたそういう類のエピソードの一環なのかもしれない。
その意味で、冒頭で書いたように、あの松本の『大日本人』のキャラクターが
このイレーザーヘッドのヘンリーのヘアスタイルに似ている、と感じる想いは
あながち的外れなものではないのかもしれないと思った。
どこにも意味や理屈、答えなど、あってもないようなものだから。

『デヴィッド・リンチ:アートライフ』では、
このころを回想し、幸せな映画だと言い切った。
「悪夢のような街フィラデルフィアの暮らし」から
奨学金をもらい、ビバリーヒルズの厩舎での生活へと移り住み、
この『イレーザーヘッド』を4年もかけて撮り得た幸福感。
この映画の最中に、彼は父親に映画をやめるように説得されたといい
あげくに最初の妻ペギーとも映画の中のように離婚に至っている。
そうした内情がどこまで反映されているのか、
そんなことはどうでもいい。
アーティストの頭のなかを覗くなどという行為は
やはり、こちらもまた、同じように創造力でもって対応する他ないのである。
映画の中からそのとっかかりを見出すのは至難のわざだ。
この『イレーザーヘッド』の創造性こそは
果てしない宇宙へと直結する混沌の美意識の集合体なのだと。
それぞまさしくアートの本質そのものなのだ理解する以外、
ぼくには解釈がおぼつかない。
ゆえに、この先も内なるリンチ熱は決して冷めることはないだろう。

2025年1月16日、デヴィッド・リンチは死因こそ発表されていないが、長年の喫煙も絡んで肺気腫の影響で死に至ったとされる。リンチといえばテレビドラマシリーズ『ツイン・ピークス』がもっとも知れ渡った作品であるのだが、個人的にはやはりこの『イレーザーヘッド』の衝撃度、その得体の知れないシュールさをもって、リンチを知った身として、その追悼の思いを残しておきたい。

Nine Inch Nails:Eraser

リンチの『イレーザーヘッド』に漂う重く陰鬱な空気感には、どこか耳障りで、居心地の悪いインダストリアルな音響的な音が相応しい。といってもその辺のノイズをぶち込めばいいわけじゃない。そこがリンチ芸術のもつ難解な美意識の真髄だと思う。要するに、陰鬱なまでの閉塞感を伴いつつ、不気味な感情の入り混じった、あくまでもパーソナルな芸術形態なのだ。その点、ナイン・インチ・ネイルズの2nd『The Downward Spiralから、その名も「ERASER」に漂う矛盾や混沌さを感じれば、同じくリンチの世界と相通づるものがあるように思われる。実際トレント・レズナーが『ロスト・ハイウェイ』のサントラを担当しているように、その世界観には共有するものがあるのだろう。まさに、『イレーザーヘッド』の世界そのままなの混沌さである。

Nine Inch Nails – Came Back Haunted

こちらは2009年の活動休止後、4年のブランクのあと2013年ににリリースされたNIN通算8枚目のアルバム『Hesitation Marks』からのエレクトロニカ色の濃いナンバー「Came Back Haunted」。正真正銘リンチが監督を務めたMVとして話題になった。これを見る限り、『イレーザーヘッド』の世界観を思い返さないわけにはいかない。