「あ」の人を見よ
その昔、ぼくにも人並みに祖母がいた。
とっくに他界しているし、同居していたわけじゃないから
あくまでも血のつながりというだけのことだけど
髪結いの職人さんだったから手先命の人だった。
その意味では、手作業人間の血はどこかで受け継がれているのかもしれない、
なんて思うことがある。
そんな祖母のことをふと思いだしたのは
こんな素敵なおばあちゃんが身近にいればなあ
なんて、勝手に想像してひとりごちていたからである。
その人とは宮脇綾子といって、美術畑というよりは
工芸作家、というのか、アップリケ作品で名をはせた人で
しかも、身近な題材を作品に移し替えた作風が
さりげなくも、本当に魅力的な世界をつくりだしており
アートとかゲイジュツだとかデザインだとか
かたぐるしいことは抜きにして、目から鱗の素敵な“布絵”を作っていた。
そういえば、彫刻家で宮脇愛子という人もいて
実に紛らわしいけれど、この二人は一見真逆のアーティストに見えるはずだ。
だが、よくよく眺めていると不思議な接点も見えてくる。
愛子さんの方はダダイストのマン・レイなんかともお友達で
そうした前衛的傾向の強い芸術家だが
こちらの綾子さんは、そのマン・レイの持つ自由な精神というか
どちらかといえば、飾らない精神性を美術と言うジャンルに持ち込み
日常と交差する境界線に生きた人のように思える。
おまけに、愛子さんが建築家磯崎新の奥方だったとすれば
洋画家宮脇晴という人が伴侶だった綾子さんには
その息子さんで宮脇檀という有名な建築家がいて
この二人、なんだかどこかでつながっているんじゃないだろうか、
などと思わせてくれる。
さて、前フリはこのぐらいにしておこう。
東京ステーションギャラリーでの
『生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った』展を観てきたのだが、
予想以上に見応えのある素敵な展覧会だった。
東京ステーションギャラリーならではの渋いチョイスといえる。
むき出しの煉瓦がいかにも手作業の工芸にフィットする。
それを加味して、タイムリーな展覧会だった。
アップリケというと、子どものときに、
お母さんが子供服に動物や花なんかを縫い付けたりするものだから
どこか可愛いイメージがあるのだが、
宮脇綾子という人の場合は、母親目線というよりは主婦目線。
野菜や魚といった日常の食材や自然からモティーフを得てフォルムを決定し
趣のある着物地なんかを使って彩ってゆく作家である。
本人の言葉を引用すれば、観察者の視点を素直に反映する。
まずはそこからだ。
とにかく、その視点の自由さに感心させられる。
「世の中に廃物なんか一つもない」という言葉にあるように、
業者から引き取ったり古布や、友人知人からもらった中古の生地。
プリント地、ビーズや刺繍糸をはじめ
なかにはレース地を使ったタケノコ、
あるいは、使用後の珈琲フィルターのするめいかだとか
ストーブの芯を使っためざしだとか
使えるもの、アンテナにかかるあらゆるものを用いている。
こうした何でも使うという精神は
ダダイストのマン・レイやクルト・シュビッタースを彷彿とさせる。
それにしても、圧巻は一万ほどのモティーフを
ミニマルに繰り返す「縞魚文様集」や「木綿縞乾柿型集」、
そして19年に及ぶ70冊をも数えるスケッチ集だ。
そうした所業を40を超えた年齢から
主婦業とへ移行してこつこつ積み重ねてきたのだという。
その豊かな時間がにじみ出した趣きが素晴らしいのである。
なにより、観察力と発想力によって生み出された
色彩や柄の豊かさを存分に活かした
その造形に対する確かな布地のチョイス。
その審美眼の確かさには驚かされるばかりである。
冒頭で、祖母の話をしたのは、
素材や布地に、今、我々がややもすれば忘れてしまった
日本人の生活臭が漂うからであり、
それでいて、鮮やかなモダニズムの変遷を軽やかにくぐり抜けながら
普遍的な美をや造形を垣間見せる布絵に
ノスタルジーをかんじつつも、
時代を問わぬ美意識の洗礼を浴びたからなのである。
そういえば、布のコラージュで思い出すのは
マンディアルグの妻でもあったボナ・マンディアルグの作品だ。
宮脇綾子の作品は、そうした狂気や官能、人間の奥に潜む
なにやら得体の知れないものへ降り立つような作品とはちがって
日常、だれもしもが普通に接しながら
その対象や質感につ無自覚であることから解放される、
一種のカタルシスをともなうような洗練された美意識を見出すことになる。
それはデザインであれ、装飾であれ、インテリアであれ、
ものを見る目への新たなる発露として、
モダンアートを彷彿とさせる色彩とフォルムを伴った
ひとつの軽やかな啓発をうながしながら
長い年月をかけて引き継がれてきた伝統の重みに支えられた
アルティザンとしての誇りのような気高さをもまとっているのだ。
作品に刻まれた綾子の「あ」という署名。
それこそは、日常のあらたなる発見に際して発することになる
感嘆の「あっ」でもあったのだ。
Hal Willner:Whoops, I’m An Indian
アップリケのアートに対抗して、音のパッチワーク、すなわちコラージュミュージックのなかから、なにか選曲をしようと思いついた。いろいろ思い浮かぶが、アルチザン感覚を持ち合わせる、ということなら、フィラデルフィア出身の音楽プロデューサーで、独自のキュレーター感覚を持ち合わせ、異ジャンルをクロスオーバーさせた数々の企画で、トリビュート・アルバムの先駆者として名を残したハル・ウイルナー。自身が唯一残したオリジナルソロアルバム『Whoops, I’m An Indian』からのタイトル曲。少し実験的で、映画音悪っぽい感覚を受け取るが、1930年代〜の78回転盤サンプル音源を大胆にミックスした才能豊かなコラージュ作品は、ハルらしい玄人好みな音が詰まった面白いアルバムだ。残念ながら、ハルは2020年4月にCOVID‑19関連の症状で急逝。ミュージシャンたちからも、絶大な信頼を受けていただけに惜しい人を亡くしたものだ。トリビュートアルバムの常連、トム・ウェイツは、彼のことを“忘れ去られた文化の宝島を探す考古学者”と称賛するほど、その蘊蓄、感性に特別なアンテナを持っていた人だ。
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