ミヒャエル・ハネケ『愛、アムール』をめぐって

『Amour』2012 Michael Haneke
『Amour』2012 Michael Haneke

男と女の老賢ロール

『白いリボン』『Amour』と
続けざまにパルムドールを受賞した実力者にもかかわらず、
それまであまり評判のよろしくなかった、というと語弊があるが、
賛否両論の激しかったオーストリアの映画作家ミヒャエル・ハネケによる
『Amour (原題:愛、アムール)』には
そのような前振りなど、何の意味も持たないほど、
久々に、しびれのような感銘を受けてしまった。

老音楽家夫婦のジョルジュとアンヌ二人の
アパートでの介護をめぐるストーリーで
老いた二人の終活劇、そういってしまえば簡単なのだが、
事はそう単純ではない。
ましてや奇才ハネケである。

オープニングの音楽ホールでのショット以外
すべてがアパートのなかの室内劇なのだが
元音楽家ということもあっての、最低限度のピアノスコア以外に、
余計な音楽を一切使わないない演出で
どこまでも音がこの映画の重要な要素として
様々な心理を暗示していることに気づかされる。

とりわけ、水をめぐる音によって、
この閉鎖的な室内劇に起きうる老夫婦にとっての最大の関心事
つまりは生死をめぐる攻防が痛いほど伝わってくる。

例えば、最初に妻の異変に気づくシーン、
夫は慌てて水を出しぱなしにするが、
妻が水を止めることで、物語が展開してゆく。
流れゆくものを自らの手で終わらせる、というのは
つまり、妻の自殺願望を暗示しているのだろう。

あるいは、夫が悪夢に晒されて、目覚めるが、その時の夢は、
不審者に不意に襲われたとき、
足元がなぜか洪水になっているというもので、
つまり、夫としての介護に対する限界感が、
水位となって足元から迫り来るのだ。

そして、水を飲まない妻に、夫は半ば強引に水を飲ませるが、
それを吐き出してしまう妻を思わず叩いてしまうシーン。
水は、いわゆる命綱だから、その命綱を拒否されたことで、
普段なら、決して手を上げない優しい夫が、
暴力に訴えるまでに追い込まれているという、
そうした、物語の節々の導線としての水。
つまりは生命を象徴する物資がそこに流れているのである。

その他、鳩が二度とばかり、物語を遮断するのだが、
いわば、平和の象徴たる鳩も、
一度目には、素直に窓から飛び立ったが、
二度目になると、執拗に室内を駆け巡り、
夫は、それをうまく逃せずに悪戦苦闘する。
ようやくとらえた安堵で
鳩を妻の身代わりとして優しく愛撫する。
紛れもなく、妻の状態が悪化するなかの、
どうにもならない感情を、鳩と共有するかのような演出である。
そして、最期へと連なる遺書めいたメモは
そのことを記すための布石なのである。

ここでは細かなストーリーを追うつもりはないが、
とにかく、全編、息をのむ、
ある種のサスペンス的な空気感さえ醸し出している。
とりわけオープニングに提示される“ことの終焉”が
演出上の最大の導線となっているという事実が徐々にあらわになってゆく。
だから、途中で現れるシーンには多分にジョルジュの幻影が挿入されており、
時間軸やストーリーを混乱させながら、
最後の一線を観衆のイマジネーションに委ねる、
といった演出で、エンドロールが静かに流れてゆく。
この余韻にしびれのような感銘を受けたのだ。

カメラの視線が、あたかもドキュメンタリー映画の巨匠、
フレデリック・ワイズマンの視線のように、
どこまでも冷徹に、二人をみつめている。
この息の詰まる密室劇で
夫ジョルジュを演じるのがジャン・ルイ=トランティニャン
妻アンヌを演じるのがエマニュエル・リヴァ
ともに日本にはなじみのある名うてのベテラン俳優である。
 ベテランといっても八十近くの老夫婦を
これほどまでに自然に、かつ息の合った波長で演じられると、
いつのまにかその現場に居合わせる疑似家族のような
そんな印象さえ抱いてしまう。

ジャン・ルイ=トランティニャンは、
クロード・ルルーシュの『男と女』でやもめのレーサー役を演じ、
エマニュエル・リヴァはというと原作マルグリット・デュラス、
アラン・レネがメガフォンを撮った『ヒロシマ、モナムール(二十四時間の情事)』で
それぞれ叶わぬ恋を演じたのは、まさに半世紀前のことだった。
いみじくもこの僚友が、その後のいま、
誰の身にも起こりえる事象としての老夫婦の形態を演じていることに、
驚きを禁じえない。

しかし、実際の驚きは、いずれ自分に訪れうるかもしない、
あるいは、どこにでも起こりうる話、という意味での親近感よりは、
もはや、人生の終曲でみせた、この俳優たちの生き様の重さ、深みの方にである。

トランティニアンは実生活で二人の娘を喪失している。
二度目の妻ナディーヌとの間に出来た長女は乳児期早々に病死し、
次女のマリー・トランティニャンに至っては恋人の暴行で急逝という
痛ましい過去を引きずりながらのカムバックであり、
アカデミー主演女優賞を史上最年長ノミネートのエマニュエル・リヴァにしても、
コンスタントにスクリーンをにぎわすような女優ではなく、
どちらかというと忘れられた存在のごとく、地味な活動を歩んできた。

その二人が、この映画で共演し、
生々しくも切なる息の合った演技をみせている。
まるで実際のパートナーであるかのような、
この切実な空気感に驚いてしまう。
エマニュエル・リヴァに至っては、まさに体当たりといわんばかりに
介護老人としての醜態をさらし
このあと2017年に他界するのだが、
まるで渾身のフィナーレを意識していたかのような迫真の演技をみせている。
ハネケ組のひとりといってもいい、イザベル・ユペールが娘役として華を添えているが
この映画はあくまで、老優二人の独断場であるといっていい。

これは単なる老人夫婦と高齢の両親をもつ家族の介護苦労話でもなければ
表題のごとく“愛”の物語だと、ひとこことで片付けてしまう話でもない。
人間の尊厳と、その長い人生の重みを
たかだか2時間そこらで構成してしまうために
あらゆる華飾と誇大な演技を排除しながら、
その一挙手一投足に注目すべき、美しき老俳優たちの
奇跡のドキュメンタリーでもあるのだ。

My Cherie Amour:Stevie Wonder

ラララ、ラ・ラ・ラ〜。口ずさむだけで胸が高鳴ってくるスティービーの軽妙な名曲。ビートルズの「ミッシェル」のパクリとの噂もあるけど、そんなことはどうでもいい。愛おしい相手を思う気持ちは、みな同じだ。

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