アンリ・ルソーという画家

Henri Rousseau
『La Rêve』Henri Rousseau

愛すべき天然記念画家はジャングルで夢を見る

水島新司の名作野球漫画『ドカベン』で、
山田太郎通称ドカベン率いる優勝候補の明訓高校相手に、
夏の甲子園大会、鳥取代表大砂丘学院は
その名の通り、郷里鳥取砂丘で鍛えた自慢の快足を
我が家の庭とばかり自在に繰ってかきまわす戦法であっといわせる。
あるいは、静岡代表BT(ブルートレイン)学園においては、
日頃からの夜間の列車業務の鍛錬の賜物から
薄暮からナイターになると、俄然活気づくといった按配で
あわや、という場面に持ち込んだという話が、何故だか記憶に残っている。
他愛もない、漫画ならではの発想といえばそれまでだが、
いわゆる地の利というのか、当意即妙とでもいうのか、
ある特定の環境において、普段以上の力を発揮する、
いわば、水を得た魚のようなシチュエーションというものがある。
そう、このいきいきする瞬間をいかにして設けるか、
それが作品そのものの輝きにも通ずるというわけだ。

話は変わって、フランスのラヴァル出身の画家アンリ・ルソーの話をしよう。
晩年の「夢」と題された傑作のことを思い出した。
ジャングルの中に、ポーランド王妃の名前であるヤドヴィカ
(ルソーがかつて恋していた女性らしい)という女性が
裸体で横たわっている不思議で幻想的な絵である。
ルソーの十八番といえば、なんといってもこのジャングルである。
密林こそがルソーが求めた楽園だったのだろう。
市中の景観や、人物画と並んで、このジャングルの絵は
遠近感や立体感といった視覚上現実を忘れることで、
自在に夢と戯れることのできるルソーの庭たる空間なのだ。
とりわけ、植物、葉っぱなどの造形には並々ならぬこだわりをみせ
そのエキゾチックなムードは、幻想的であり
のちのシュルレアリスムの予兆とよんでもさしつかえないほどに、
独創的な作風をすでに懐胎していたのである。

とはいえ、ルソーという画家は、「素朴派」などと定義され
「税関史(ドゥアニエ)ルソー」と呼ばれていたように
税関勤めの傍の日曜画家で、今日的な言葉で言うと
“元祖ヘタウマ”として知られている画家である。
ルーブル美術館に足繁く通い、独学で絵を探求し続けた人である。
無審査で参加費を払えば誰でも出品できた「アンデパンダン展」に
コンスタントに出品することで画壇デビューを果たすが、
まともな評価は受けられずじまいで、生涯貧乏暮らしが続く。
個人的には、こうした反アカデミズムの旗手には
実に親近感があるところだが、
その思いがにじみ出した、ルソーがこだわった絵そのものの神秘、躍動感
その不思議な魅力の前に虜になったクチである。
なにしろ、あのピカソが、この先人ルソーを絶賛してやまなかったのは有名な話で、
「ルソーを称える夕べ」など、率先し場を設けては交流をもったのだった。
なにをして、あの天才ピカソまでを興奮させたのか?
絵に対する純粋な思い、その眼差しが宿ったテクニックを超えたもの・・・
それこそはルソーの本質、魅力である。
その軌跡を嗅ぎ分け、古物商で見つけた「女性の肖像」を
ピカソはわずか5フランで、偶然手に入れると、
生涯、大事に袂に持ち続けていたほどである。

しかし、ルソーの絵の価値は
ピカソを始め、同じラヴァル出身の詩人ジャリとの交流で知り合った、
詩人のアポリネールらによって絶賛された以外に、
なかなか大衆受けまでには至らなかった。
その絵のタッチは色彩感覚にこそ秀でてはいたが
独学ゆえに、遠近感のない平面素人風情で
サロンに顔を出す批評家たちからは
「六歳児の絵」と揶揄されていたほどである。
おまけに、天然気質の数々の伝説的なエピソードも残している。

はじめに法律事務所で端金を着服し禁錮刑に服すはめになったり
晩年にも詐欺事件に巻き込まれたりといったことは
少々の虚言癖、妄想癖にも関係している、
言ってみれば身から出たサビかもしれなかったが
それでも仲間内からは愛すべき存在として、人気があった。
ルソーに特別悪気があったかなかったか、
アポリネールの当時恋仲にあったマリー・ローランサンとの肖像画
『詩人に霊感を与えるミューズ』では
事前にサイズ等を念頭に、これら理解者のために描き贈った代物だが、
実物以上にふくよかな大女として描きこまれ
バランス感覚に欠如したタッチを目の当たりにして、
ローランサン自身は随分ご立腹だったという。
おまけに、この作品を再度描きなおしているにもかかわらず、
ルソーはそんなことには一切御構い無しで、
人物よりも花の方が気になったのだというから開いた口が塞がらない。
とはいえ、彼らがこの天然画家を心から愛していたことに
変わりはなかった。
それはルソーの墓碑に記された
「僕たちの持ち物は無税で天国の門を通して下さい
あなたに筆と絵具とカンバスを届けます」というアポリネールの賛辞に現れている。

様々な逸話は、美術史のなかでも、目を惹く魅力的な人間像を映し出す。
兵役に就いた当時、「ナポレオン3世とメキシコ遠征に参加した」と言っているが、
ルソー自身、祖国を離れた形跡などどこにもない。
こうしたルソーの妄想は、パリの植物園や図鑑から取集したイメージの集積なのだ。
その証拠に、ルソーはジャングルの絵の中にライオンや馬を登場させたり、
例の、妖しい異国情緒たっぷりの独自の幻想的植物群を創造しえたのである。

こうしてみると、ルソーという画家が
いかに権威や当時の潮流から離れたところに位置し
純然たる欲求から絵そのものに取り組んでいたかが
浮かび上がってくるわけだが、
本人はどこか、自分自身を伝統的、権威ある画家の風情を
信じてやまなかった節がある。
それこそが天然画家ルソーのルソーたる所以であるが、
人生に起こる様々な不幸にも屈せず、
そうした天然気質の思い込みで、
屈託なき画風と性格で、その生涯を閉じたこの画家は
いまなお時代を超えて、人々に愛され続ける理由は
ただ、少々嘘つきで、見栄っ張りで、女好き、
その実、頑固にも自分の画風を曲げずに突き進んだその純粋さに由来するのかもしれない。
とどのつまりは人間ルソー、その人間味あふれる性質が
絵を通した人物像として、関心をくすぐったに違いないのである。

BRIAN ENO : Back In Judy’s Jungle

ルソーが元祖「ヘタウマ」画家としたら、こちらイーノは元祖「ヘタウマ」音楽家と言えるのかもしれない。イーノはもともと美術畑の人だったし、ミュージシャンという枠には収まり切れないタイプのアーティストだから、「ヘタウマ」というのはある意味、褒め言葉であり、イーノが70年代に出したボーカルアルバムの中でもポップな独自の実験的なロックをやっている。その中で妖しげなエキゾチシズムを放っているこの三拍子の「Back In Judy’s Jungle」。どこかルソーの絵につながるものがある。

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