Who is FOU FOU?
いまでこそ、世界をまたにかけ活躍する日本人アーティストなど
珍しくもなんともなく、誇らしい限りだが
二十世紀初頭となると、せいぜい早川雪舟か
これから書く藤田嗣治ぐらいしか思い浮かばない。
そんな画家フジタは
おかっぱに丸メガネ、ちょび髭にピアスがトレードマークで
当時の日本人としてみても
かなりエクセントリックなイメージを伺わせていたが
モンパルナス界隈、エコール・ド・パリで
ピカソ、モディリアーニ、コクトーなど
様々な国籍の芸術家達と日夜交友を深めながら
いち早く西洋画壇で人気を博した人である。
晩年には洗礼まで浴び、フランスに帰化したのだから、
当然、レオナール・フジタというのが
正式の呼び名であろう。
が、署名ではレオナルド・フヂタだったり
その名も「つぐはる」であったり「つぐじ」であったり、
また表記も「Foujita」または「Fujita」として
多分に“揺れ”のあった人で、
モンパルナス界隈では“FouFou(フランス語でお調子者)”などと
呼ばれ愛されていたぐらいだから
その気質にも当然揺れはあった人なのだろう。
要するに、フジタというひとは、
日本人に珍しく精神的に自由な人であったと思う。
その暮らしぶりも、アーティストというよりは
自らをアルチザンと呼ぶにふさわしいほど
裁縫や日曜大工から小物作りに至るまで
手仕事なども器用にこなす才人であった。
そのモダンさ、粋さ加減がフジタの魅力となって
時代を超えた感性をいまだにくすぐり続けてくる秘密なのだ。
乳白色の肌で有名なあの著名な画風。
そこには手先の器用さが画質にもあらわれ、
一時は情勢に乗じて見事な戦争画も多数残しており
不名誉なる“戦争協力者”として汚名を着せられ
日和見主義的な画家だと捉えられることもあったが、
それはちょっと違う。
結局は国内にその居場所を追われるように
フランスへもどっていったのだが、けして迎合者ではなかった。
息苦しかったのだろう。
この事実をはき違えてはフジタというひとりの個性的な画家を
理解するには至らない。
このあたりのことを小栗康平による映画『Foujita』を見た人が
どう解釈したのかはわからないが
自分は残念ながら、この映画には
まったく肩入れできなかったし
自分が思うフジタの良さがまったく描かれていない気がして
映画を語る気力すら失せてしまったことを告白しなければならない。
映像は美しく、気配だけはただならぬものを感じさせる
罪な映画であったが、
オダギリジョー扮するフジタの表層は
確かにフジタに酷似していたとはいえ
中身は到底生身のフジタの精神性からは程遠いものに思えた。
ここでその映画そのものを酷評しようとは思わないが
もともと偏愛性にみちたフジタの映画だからといって
無理くりにとりあげ、持ち上げるような映画ではないように思えた。
それよりも、昨年観た『没後50年 藤田嗣治展』での感動の方を
純粋に偏愛性として語ってみたいと思う。
フジタの絵をじっくり鑑賞する至福に預かって思うことだが、
フジタの絵の魅力を考えてみると、
誰の目にも飛び込んでくる確かな線
確かな画力はいうまでもない。
その上に成り立っていたのは、実は茶目っ気というか
情感の部分である。
フジタといえば、何と言っても猫と女である。
この二つはまさにトレードマークといって良いだろう。
数々の女と浮名を流した経歴、
懐にだいた写真も数多く見られる猫好きな一面が
人間フジタへの偏愛性を掻き立てずにはいられない。
その昔、我が手元には
『猫と女とモンパルナス 藤田嗣治』
という画集というか、写真集を所有していたが
事あるごとに眺めていたのを思い出す。
詩人コクトーと二人でのショットにまで猫がいて
猫好きふたりの微笑ましい友好的なワンショットを眺めては
ほっこりしたものだった。
コクトーは確かに同性愛主義者だったが
多くの女を愛したフジタは
そうした意味での偏見もなく、感受性のみで
当時の芸術猛者たちと対等に付き合いを持っていたことがうかがい知れる。
この偏見なき精神性こそが日本という閉鎖的な社会より
フランスや海外で馴染んだ所以かもしれない。
ちなみに、自分が個人的に長年頭に描いていたフジタのイメージは、
元YMOの教授こと坂本龍一である。
もし仮に教授がちょうど戦メリあたり、脂の乗り切っていた頃に、
ダウンタウンとのコントなどをやっている合間にでも
フジタの映画を、それこそ大島渚あたりが撮っていたなら
主役に抜擢されでもしていたなら、
もうちょっと面白いフジタの映画が出来上がったんじゃなかろうか。
なんてことを思うのだが、いかがだろうか?
そこにいてくれるだけでフジタなのであり、
あのフジタに別段上手い演技力など不要なのだ。
Merry Christmas Mr. Lawrence:Ryuichi Sakamoto
教授本人がどこまで意識していたのかはしらないが、歳をとればとるほどフジタに似てきた気がするのは自分だけでないだろう。ピアノ一台で音楽に向き合う教授、筆一本でタブローに臨むフジタ。残された作品は雄弁である。才能あった二人は、共にその一点では芸術家というか、まさに職人のように混じりけなく向き合う透明性があったのように思える。サカモトフジタが観たかった思いが募る。
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