グラン・トリノの父権ロールは東林をひた走る
天は二物を与えず、とはいうものの
すでに二物も三物も与えてしまったこの男、
『夕陽のガンマン』『ダーティハリー』といった代表作での勇姿
『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』といったアカデミーでの勲章
あるいは、製作から音楽に至るまで、数々の名誉を担い
名匠にして名優、実に多様に映画史を飾ってきたクリント・イーストウッド。
まもなく最新作「Cry Macho」が公開されようというなか、
自らの長身193cmをこえようかという勢いで
御年90歳を迎えてもなお監督として、また俳優として精力的に活動を続ける、
もはや殿堂入りのクリント・イーストウッドについて語らぬ手はなく
そのなかで、この作品で実質的な俳優引退宣言を行った『グラン・トリノ』を
今改めてじっくりと鑑賞したが、あまりにも素晴らしすぎた。
争いや憎しみは何も産まない。
が、素晴らしい物語を編むための題材には
こうした無秩序性は必要な要素だということか。
頑なに他人を排除する老人ウォルトには、
朝鮮戦争でのトラウマが彼の人生を重く支配している。
だから、身内にさえ心を開くことなく生きてきた。
妻を失ってそのことが、より大きくのしかかる。
そんな折に、隣に引っ越してきたモン族の家族との交流が、
彼の心を開いて行く。
その交流の中で、時代や場所、思いなどを詰め込んだ
愛車グラン・トリノが、ひとつの象徴として描かれている。
八十を超え、人生の終局を迎えた老人が、
米食い虫だなんだと、あれだけ蔑視していた、
見知らぬアジアからの異民族の少年を
最後は友達だと言い放ち、
そのために命をかけて守ろうとする姿に、
アメリカという国の父性、
ひいては威厳のような気迫を感じた。
女の子一人ものに出来ないタオに、
男の威厳とはなんぞやということを教え込むシーンに
思わずにやけてしまう。
イタリア系の仲間の床屋さんで、
男の会話を手ほどきしたあて、
自らのコネで、建設現場に職を斡旋する辺りはとてもいい。
そして、その友達のために
いざチンピラ達へ報復へと向かうシーンは紛れもなく、
ダーティーハリーや夕陽のガンマンで、
アメリカの象徴的な英雄としてスクリーンを彩ってきた風格。
まさにイーストウッドのカッコいいオーラがみなぎる映画である。
けれども、この映画のテーマは
実を言うと正義などと言う安っぽい、
と言うと語弊があるけれど、
そんな大義名分はさておき、
孤高に生きていてきた退役軍人としての心の傷、
人生の痛みや重みが
人種も年代も違う人間への真の友情として描かれ
奮い立って自身の天寿を全うしたこの老アメリカンの生き様に、
心打たれるのであった。
以上が映画の骨子ではある。
ただ、それだけのことだと言ってしまえば
それだけなんだけど、イーストウッドって幾つなの?
そう確認してしまうほど、年齢を感じさせない。
いまだに現役で、しかもこんな凄い映画を撮り続けているんだから、
いやはや、全くすごいお爺ちゃんだねえ・・・
爺ちゃんなんて言うと失礼なんだけれど、
何と言っても年季のオーラ、凄みが半端なくにじみ出ている。
ウォルトが内ポケットから銃を取り出そうとするだけで
観客が湧いたって言うのもうなづけるというもの。
歳を重ねてもつつがなく暮らせる幸せ、
健康で、それで意味のある老境を迎えられるのも才能。
でもイーストウッドほどの人物になると
それこそそれ以上の何かが彼を突き動かしていると考えてしまうのだ。
万人の神と映画の神、両方に愛される男からの
勇気と希望をありがたくいただいた気になる映画であった。
Gran Torino (Original Theme Song From The Motion Picture) (Film Version) · Clint Eastwood/Jamie Cullum
映画のみならず、音楽にも造形深く才能あるイーストウッドの本領だ。この映画でエンディングを飾る曲はイーストウッド自身とイギリスの若手ジャズシンガー、ジェイミー・カラムとのコラボだ。イーストウッドがピアノで弾いたメロディを下敷きに、息子であるカイル・イーストウッドが曲を仕上げた静かなバラード。枯れたイーストウッドの渋い声にに始まり、途中でそれに変わるようにジェイミー・カラムの歌がじんわり染み込んでくる。その模様は劇中のタオとウォルトのような関係性で、実に味わい深い曲に仕上がっている。
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