ビリー・ワイルダー『アパートの鍵貸します』をめぐって

アパートの鍵貸します 1960 ビリー・ワイルダー

恋を実らせるカギは出世か、真心か、さあどっち?

好きなクリスマス映画を10本あげてみな、
ってなことをとっさに言われたとして、
『スモーク』に『戦メリ』に、あとなんだっけか?
なんて言っているぐらいだから、
そもそもがどうしようもないんだけれど、
で、よく考えてみれば、
こいつもクリスマス映画って言えるのかな、
そう思って浮かんだのが『アパートの鍵貸します』。
ビリー・ワイルダーの傑作コメディで、
まあ、時期的には年末映画と呼んだほうがいいのかもしれないけれども、
それはあくまでも時期的な話というだけで、
内容はスクリューボール・コメディの流れをくんだ
ソフィスティケーティッドコメディ、というのかな、
この辺りの分類はさして意味はないと思うけれども
ひねりの効いたしゃれた恋愛映画ということになっている。

うだつの上がらないサラリーマンが主人公、
というと、実はそうでもなくって、むしろやるじゃん、
いやはや、トントン拍子の出世劇は実にお見事。
あれよあれよと総務補佐、
いわばNO2のポジションにまで上り詰めて、
なんだ、うまくやりやがってこの〜、なんて思うような
そんな抜け目のない独り身のサラリーマン、バドを
ジャック・レモンが演じている。
けれどもちゃんとオチがあるから、そこはご愛嬌。
人がいいんだね、彼は。
この辺りは、どこか日本人的気質にぴったりくる。
共感するのもうなづける。

要するに彼は自分のアパートの一室を、
時には野宿までして上司たちのご都合部屋に貸し出して、
その甲斐あって、そのことが出世の足がかりになって、
つまり、双方ウインウインってな関係なんだけれど、
話としてはそれだけじゃ面白くもなんともない。
そのうち、なんだか悲哀に満ちた展開になってきて、
その辺りは実にたくみな展開が用意されている。
なんたってそこが見所、そこからがワイルダーらしさ全開。

まずは、相手のエレベーターガール、
フランことシャーリー・マクレーンのキュートさにやられてしまう。
会社では見事にツンデレ気取っているけれども、
実はちゃんと落ちがある。
このレディのお相手がいただけない。
実に、いけ好かないのだ。
総務長としての権力を振りかざして好き勝手やって、
周りの人間たちを振り回していることに
つゆも気づかない無神経男。
しかも身勝手な不倫をどこか勲章のように思っている男。
権力意外に何か魅力あるのって感じだけど、
そこがデカいのかなあ、なんて世の常を思い知らされるが、
そんな男に惚れる女も女。

お人好し、バドときたらそんなことはつゆ知らず、
その二人に部屋を貸してしまうってことに。
密かに好意を持っているが、まさかね。
わかるよ、わかる。
しかし、女心ってやつは、一筋縄ではいかぬものだ。
あんな男の言いなりってか。
ひょんなこと、つまりは、割れたコンパクトミラーという小道具で
全てを理解してしまったバドの心には暗雲が。

そうやってるうちにアパートでとんでもないことが。
いやはや、展開が教科書みたいにお見事だ。
脚本の巧みさに感心しながら、
どうなるのか、そうきて、そうなるのか、
なるよな、ってなことだけど、
いわゆる野暮な展開などではない。
さすがは天才ルビッチの弟子だけのことはある。
天才は天才をきっちり継承しているんだだねえ。

まあ、話の筋を追うだけでも楽しいのだが、
やっぱり、会話の妙、セットの見事さ、
演技力そのもの、この辺りに目がいくね。
ワイルダーの映画が成功しているのは
間違いなく、あのオープンセットがあったからだろう。
意外といえば意外かもしれないが、
ワイルダーの映画は脚本通り、忠実に撮られており、
それこそ、アドリブなんて以ての外。
ちなみに、あの大オフィスの圧巻のセットこそが
アレクサンドル・トローネルの仕事だ。
フランスの美術監督で、かのマルセル・カルネの名作
『天井桟敷の人々』のオープンセットを手がけている名人。
で、そんなヨーロッパ人がハリウッドに呼ばれて
ウイリアム・ワイラーやハワード・ホークスといった
ハリウッドの名匠たちにも贔屓にされているほどだから
堂々、アカデミー賞で美術賞を獲得するのもわけはない。

先の割れたコンパクトミラーもそうだけど、
小道具の使い方なんかが実に上手な監督だ。
ラケットでスパゲッティの茹で切りしてみたり
バーで意気消沈しているバドに色目を使う女が
ストローの袋でアピールしたり。
まあ、あのエレベーター自体が
出世劇の暗喩になっているわけだけれども、
実に痒いところに手が届く演出はお見事。
アパートで自殺未遂のフラン嬢を気遣って、
わざわざカミソリの刃を抜いておくシーンだとか、
パーンというシャンペーンの栓抜きの音を
銃声のように思わせたりと、
やはり名匠の名匠たる所以が
いたるところに散りばめられているってわけだ。

かつてはこうした洒脱な感性に影響された
日本のテレビドラマはたくさんあったと思うんだな。
日本のジャックレモンと言われた
石立鉄男が出ていたドラマなんかがそうなんだけど、
本当にいい時代だったなって改めて思う次第であります。

Love’s In Need Of Love Today · Stevie Wonder

スティーヴィー・ワンダーの傑作『Songs In The Key Of Life』の一曲目、「Love’s In Need Of LoveToday」という曲があります。邦訳だと「ある愛の伝説」なんてついてるけど、その意味は「いま、愛が愛を必要としているとは、ちょっとおやっと思う歌詞ですが、ニュースがそう伝えているということは、これは、ある男と女の間に生じる単位の愛をこえた、人類普遍の愛についての警告と申しましょうか、そういうレベルの愛についての歌なんですよね。この世に憎しみが蔓延するのはなぜでしょう? 愛というものがないから。そう、われわれはもっと愛というものを大事にしなければなりません。なんのことだかわからなくなってきたけど、愛を語るにもいろいろな形、指向性があるということなんだな。

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