小津安二郎

お早よう 1959 小津安二郎映画・俳優

小津安二郎『お早よう』をめぐって

ここから本題、まず『お早よう』の冒頭では、 いきなり、このシーンから始まるのだ。 もっとも、演者は子供たちである。 学校からの帰り道の土手で、子供達が おでこを押すと、ブッだの、プーだの、 “おならマシーン”になった学童たちが得意げになるというシーンが なんともおかしいのである。 小津流のギャグである。 このギャク、途中で「軽石飲んでるか?」というセリフからも、 あきらかに野田高梧と小津安二郎のコンビが 先の上方落語から着想を得ているのは間違いないだろう。 なんとも洒脱である。

東京物語 1953 小津安二郎映画・俳優

小津安二郎『東京物語』をめぐって

何に対してなのか、わからない感情。 それはおそらく孤独を味わったことのあるものへの 共感なのかもしれない。 あるいは、物語に入れ込むことによるまなざしの同化であろうか、 失われたもの、失われつつあるものへの孤独な眼差し。 ひとりで生きてゆくことの厳格なたたずみに伏した涙を そこでそっと胸にしまいなおす行為の美しさ。 ぼくは久しぶりに味わった新たな『東京物語』の哀愁の前に 自分が失ってきたものの幻影を重ねているのだろうか?

浮草 1959 小津安二郎映画・俳優

小津安二郎『浮草』をめぐって

ウキクサ、その響き通りの水中の浮遊植物は 俳句では、夏の季語として知られるように、 春にぷっかりと現れ、秋にはさらりと消え、 その後水底でもごもごと越冬するといわれている。 昔から、浮草稼業とはよくいったもので、 よりどころなく、一つの場所に落ち着かない職業にたとえられるが、 そんなタイトルの映画がある。 小津安二郎、1959年の『浮草』である。

小早川家の秋 1961 小津安二郎 東宝映画・俳優

小津安二郎『小早川家の秋』をめぐって

定番のドンゴロスバックに、 白と赤のグラフィックなタイトルバックで始まる、 変わらぬ安定の小津調と思いきや この『小早川家の秋』はホーム松竹ではなく アウェイの東宝作品である。 東宝のプロデューサー藤本真澄ら、たっての希望により 招聘された客人映画として 通常の小津作品には見ることのない、 ちょっとだけ異質な空気感を孕んでいる。