ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.18 臨時号
我々にできるのは、大人しく世論に伺いを立てながら マスクをして人混みをさけることではないのだ。 自らはひたすら免疫を高め、人間らしい生活を取り戻すことなのだ。 そのために、音楽やアートがあるのだ。
我々にできるのは、大人しく世論に伺いを立てながら マスクをして人混みをさけることではないのだ。 自らはひたすら免疫を高め、人間らしい生活を取り戻すことなのだ。 そのために、音楽やアートがあるのだ。
さあ、今日というすばらしい一日を生きよう。 昨日という素晴らしい日より、さらに素晴らしい今日。 そして今日よりもっと素晴らしい明日を求めて。 それが人としての営みだ。
そう、あたかもクラムボンが笑うように。 オドラデクを見かけるように。 ぼくはそれが初夏の実体だと思うんです。 初夏というのは、そういうものだと ぼくは確信しているのです、だから身が軽いのです。 軽くなってどこに飛んでゆくか判らない、そんな気分なのであります。
透明さを通じて不透明さを知る。いまこそ風の言葉に優しい眼差しを 今年もまたあの忌まわしい瞬間がやってきてそして風のように過ぎ去っていった。今から10年前、3月11日午後14時46分の記憶。この覚えのない痛みを、どこからと...
こうしてメリエスから始まり、ラモリスが昇華させたこうした感性が あのトリュフォーの処女作『大人はわかってくれない』にも受け継がれていったのだろう。 子供騙しの商業ファンタジーに対する答えがここにある。 ポエジーの奇跡がもたらした映画に改めて乾杯! そしてViva Lamorisse!
アイリス・アプフェルという人がいる。 ご存じだろうか? 1921生まれというから 今年めでたく百歳を迎える老女である。 がしかし、なんとも若い。 気持ちがいつまでもみずみずしいウルトラおばあちゃんである。
こういう親子ドラマというのが、実は好きだったりする。 お祖父ちゃん役のチャンバラトリオ、南方英二もいい味を出している。 昭和であれば、こういうドラマがいくつもあったし それをテレビを通じてふんだんに見て育ってきたのである。 最近じゃなかなかみられなくなっているというのもあるが、 これはこれで、しっかり笑いとペーソスが噛み合った情的ドラマである。 はっきりいってB級もB級ではあるが、そこは単なるB級には終わらない、 らも節というものが、随所に流れているのだ。
ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌは この主演によって女性解放運動の旗手として、 多くの女性からの共感を呼び、映画自体もヒットを記録。 まさに女性解放が叫ばれる映画にふさわしい、 時代の夜明けを象徴していると言っていいだろう。
でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだよ。 もしボッサがなかったら、 ジョアンがいなかったら、 それに出会わず、全く縁のない生活を送っていたなら この人生がどこか味気ないものに感じてしまうかもしれないな、 少なくとも、そんな一瞬があるってことだ。
沈んでゆく太陽が放つ緑の光線が幸運をもたらすという ジュール・ヴェルヌの話をもとに 揺れ動く一人の若い女の子の心理に被せて 構成されている『緑の光線』は男性が見る以上に、 女性が見る方がより理解できうる話なのではないだろうか?