フランソワ・トリュフォー『突然炎のごとく』をめぐって
ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌは この主演によって女性解放運動の旗手として、 多くの女性からの共感を呼び、映画自体もヒットを記録。 まさに女性解放が叫ばれる映画にふさわしい、 時代の夜明けを象徴していると言っていいだろう。
ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌは この主演によって女性解放運動の旗手として、 多くの女性からの共感を呼び、映画自体もヒットを記録。 まさに女性解放が叫ばれる映画にふさわしい、 時代の夜明けを象徴していると言っていいだろう。
でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだよ。 もしボッサがなかったら、 ジョアンがいなかったら、 それに出会わず、全く縁のない生活を送っていたなら この人生がどこか味気ないものに感じてしまうかもしれないな、 少なくとも、そんな一瞬があるってことだ。
沈んでゆく太陽が放つ緑の光線が幸運をもたらすという ジュール・ヴェルヌの話をもとに 揺れ動く一人の若い女の子の心理に被せて 構成されている『緑の光線』は男性が見る以上に、 女性が見る方がより理解できうる話なのではないだろうか?
そんなことからも、ボードレールって親しみやすい詩人だったのね、 なんてことにはまずならない。 なるはずもない。 わかっているとも。 ここに詩集が一冊。 シャルル・ボードレール『悪の華』
細野晴臣、というか、はっぴいえんどの名曲「風を集めて」にあるように ぼくはひたすらに風を集める。 そして、大空を駆けたいのです。 何人にも侵害されることのないぼくだけの世界で、 ぼくは風に棲まう自由な魂たちと交感することが歓びなのだ。 そんなわけで、まだ間に合う、風を感じることに特化して ここに特集を組んでみよう。
この麗しき季節の風のなかに、ポエジーを感じるということ、 すなわち、それを体現した音、あるいは音楽を聞き分ける耳をもつことだといいたいだけだ。 あれこれ、小難しいことはさておき、軽くそんな音楽に聞き耳を立てたい。
誰にだってどうしても忘れられない、そして外せない映画というものがある。 といえば、そのなかに『小さな恋のメロディ』をあげぬわけにはいかない。 そう、ちょうど、メロディが金魚を公共の水場に解き放って眺めるシーンのように、 ただただその光景を眺めてみていたいのだ。 蓮華の花咲く野原を、どこまでも手押しトロッコで 地平線に向かって遠のいてゆくあのラストシーン。 そんな二人の姿を、ずっとずっと見ていたかったのだ。 そこは理屈じゃないのである
ベトナム幻想、未だ醒めやらず ベトナム料理は好きで何度か口にしたことはあるけれどベトナムという国へは一度も行ったことはないし、知り合いがいるわけでもないのになぜだか、なんども足を運んでいるような気がしている。あのベトナム...
そうした緊張感を絶えず観る側にさえ強いるほど、 ある意味固有で雄弁なる映画である。 が、以前には見られなかったファンタジックで、 より意識的なフィクション空間がそこにあり、 子供というファクターを通じて 新しい物語に行き着いた監督自身の境地が 垣間見れるような気がした。
当時、小津安二郎を心の師と考えていたヴェンダースにとっては まさにフィリップ・ヴィンターとアリスの関係は 限定的ではあるが運命共同体、 つまりは擬似家族として、旅を通して絆を深めてゆくことになる。