雨の日を耳と目とあらゆる五感で味わうためのプレイリスト後編
雨とシティポップという組み合わせは、 実に、きってはきれぬ関係性を持っているものだな、ということを ただ曲を追っているうちに直感的に感じているだけのことであり、特別の根拠も縛りもない。 自分にとって、都合の良い解釈ではあるが、一つの聴き方として 少なくとも、人が無条件で忌み嫌う雨の呪縛を シティポップの軽妙さで解消しうることは間違いないんじゃないか、なんて思うのだ
雨とシティポップという組み合わせは、 実に、きってはきれぬ関係性を持っているものだな、ということを ただ曲を追っているうちに直感的に感じているだけのことであり、特別の根拠も縛りもない。 自分にとって、都合の良い解釈ではあるが、一つの聴き方として 少なくとも、人が無条件で忌み嫌う雨の呪縛を シティポップの軽妙さで解消しうることは間違いないんじゃないか、なんて思うのだ
僕は昔から雨がそんなに嫌いじゃない。 いや、むしろ、雨が醸す叙情が好きだったりするのだ。 いままでなんでもなかった景観が潤うと、 それだけで、全然違った表情になるのだから、 やはり天はマジック、演出は素晴らしい。 そんな雨に濡れた街並みを歩くだけで、 ジーン・ケリーの『雨に唄えば』じゃないけど、気分は高揚してくる。
そんなわけで、雨のソングリストを編集するのはすこぶるたのしいことだ。 ただし、これは実に間口も広く、キリのない作業だということに改めて気付かされた。 雨は日常。 そして音楽のなかにも、大いに浸透しているキーワードの一つなのだ。
ちなみに、同じ雨に日の音楽といっても 梅雨時期の雨と秋雨、春雨、 それ以外の時期の雨とはニュアンスが違うように思う。 六月の雨は、いわば定番の雨であり 次に控える夏の前座でもある。
そんなレオーの代表作として、 記念すべき第一作『大人は判ってくれない』の 若き日のレオーをまず、とりあげぬわけにはいかない。 なにしろ、たとえ初々しい13歳だろうが、 その後半世紀も経たくたびれた73歳だろうが 結局はレオーはレオーでしかない、 という絶対的神話性がスタートを切った重要なる作品なのだから。
しかしながら、この映画が訴えかけてくるのは 単に脱獄のサスペンスのみならず そこにまつわる人間ドラマにこそ心動かされる映画なのだ。 そこにベッケルのベッケルたるゆえんがある。
西川美和による『すばらしき世界』は 佐木隆三による小説『身分帳』という原案からの映画化である。 そうした失敗者、元ヤクザの男が刑期を終え出所後 この社会でどういきてゆくのか、 周りの人間たちの反応とともに、 そうした世間の冷たい視線を浴びながら 生きてゆこうとする男のあがきその様子が描き出されている。
例えば、スタンリー・キューブリックのカルトムービー 『時計仕掛けのオレンジ』を想起してみよう。 スクリーンにあふれかえるイメージ、アイコンは、 当時からみればいたく未来的であった。 けれども、今見返すと、どことなくレトロモダン風であり こだわりのキッチュな世界が支配している。 単に、懐かしい気分がするのだ。
『ピストルと少年』あるいはこの『少年たち』もまた、 成熟に届かぬ十代の若者たちの周りで起きる、 リアルな憤り、もどかしさを巡って、 ドキュメンタリーのような雰囲気で、 常に逼迫し、何かに追い詰められているそんな臨場感で ナイフの刃のように傷つけ合う激情が晒される。 実にドワイヨンらしい作品と呼べるもので いつもながら、子供たちが実に生き生きしている。 何気ない傑作だと思う。
大島渚の『絞死刑』はこんな風に始まる。 ほとんど誰もみたことのない風景が前の前にある。 (死刑をめぐる)問題作なのは言うまでもないが、 この先いったいどんな深刻なストーリー、 どんな恐ろしい結末が待ち構えているのか? 出だしからして緊張を強いられる映画である。 しかし、これは果たして死刑制度の是非をめぐる映画なのか? という疑問が次第にあらわになってくる。