音楽

『ラムの大通り』 1971 ロベール・アンリコ映画・俳優

ロベール・アンリコ『ラムの大通り』をめぐって

粋な映画とは、このことをいうのだと言わんばかりの作品がある。 ロベール・アンリコ監督による『ラムの大通り』のことだ。 ベティちゃんこと、かのベティ・ブープ(元祖BB?)のモデルの1人 1920年代当時の“セックスシンボル”であった女優 クララ・ボウをイメージしたというのだが、 こちらもそのセックスシンボルの系譜で一世風靡した、 フランスの恋多き女優ブリジット・バルドー(こちらもBB)が リノ・ヴェンチュラを虜にしてしまう銀幕の女優として登場するのだ。

音楽

秋とともに、ミュージック実行委員会  MIDNIGHT編

だんだん昼が短くなってきたと痛感する今日この頃。 まだまだ冬は来てほしくないと思うのだが、 昼間の暖かさから、我に帰るかのように、 朝夕のぐっと冷え込んだ温度に、なぜだがほっとするのはなぜだろう? 昼に聞く虫の音と夜のそれではまったく違うのだ。 どこか、太古の記憶さえ地続きで引っ張り出されそうなほどに 秋の夜は、どこか記憶の奥深くに通底しているように思えてならない。

夜のにじみ音楽

秋とともに、ミュージック実行委員会  NOCTURN編

だんだん昼が短くなってきたと痛感する今日この頃。 まだまだ冬は来てほしくないと思うのだが、 昼間の暖かさから、我に帰るかのように、 朝夕のぐっと冷え込んだ温度に、なぜだがほっとするのはなぜだろう? 昼に聞く虫の音と夜のそれではまったく違うのだ。 どこか、太古の記憶さえ地続きで引っ張り出されそうなほどに 秋の夜は、どこか記憶の奥深くに通底しているように思えてならない。

ファンタスティック・プラネット 1973 ルネ・ラルーアート・デザイン・写真

ルネ・ラルー『ファンタスティック・プラネット』をめぐって

フランス人SF作家ステファン・ウルの原作『オム族がいっぱい』を元に、 ローラン・トポールのシュールレアリスティックな絵を ルネ・ラルーとともに映像化したカルトアニメーションである。 そして全編を覆うアラン・ゴラゲールのプログレ的電子サウンドによって、 なお一層カルト色を強めている。 我が国では宮崎駿などが多大な影響を受けており、 支配/被支配の構造、知識の取得・転用の描写、 他者性・異種存在から解放/共存といったテーマの流れは 『風の谷のナウシカ』にも顕著にとりこまれている。 元祖『進撃の巨人』などというキャッチが踊るが、 どちらかといえば、中世の異端画家ヒエロ二ムス・ボスが描いた 『快楽の園』の世界感にも比較され、そのほうが理解しやすいかもしれない。

《Return to Reason/リターン・トゥ・リーズン》 film by MAY RAY Music by SQÜRLアート・デザイン・写真

マン・レイのサイレント映画をめぐって

かれこれ、一世紀も前の人だが、ぼくはマン・レイのもつ自由さ、 永遠のアマチュアリズム、実験精神と遊び心を併せもった姿勢に 時代を超えて、すごく親近感をもってきた。 そのあたりは、“生粋の駄々っ子”たるマン・レイと賞賛しつつ、 すでに「マン・レイという芸術家」でその想いを綴った。 ここでは、そのマン・レイが残したサイレント映画を取り上げてみることにする。 それらの短編を、あのジム・ジャームッシュが 『RETURN TO REASON/リターン・トゥ・リーズン』として ジャームッシュ作品のプロデューサーでもあるカーター・ローガンとの2人組 音楽ユニット、スクワール(SQÜRL)が音をつけたプロジェクト映画だ。

Dream Guide to the music音楽

架空のサウンドトラック、夢先案内映画音楽特集

架空の映画サウンド・トラックといえば、 ムーンライダースの名盤『CAMERA EGAL STYLO/カメラ=万年筆』が 真っ先に思い浮かぶ。 いかにも映画好きによる、贅沢な趣向が反映されている。 まさにドストライクなラインナップがずらり並んでいる。 そのアルバムを筆頭に、シネフィルたちの夢を載せて、 そのテイストが滲み出る楽曲にスポットライトを当てて、 このコラムの最後を飾ろう。

夏の終わり音楽

夏の終わりのECM特集

ECMを代表するぼくの大好きなミュージシャンたちも歳をとり、 たくさん並ぶECMのランナップのなかにも、知らない名前、 これまでにない傾向の音楽も混じっているが、 あるときは、そのジャケットイメージから、 あるときは、なんの情報もなくまったく不意に、 そして、なにか引っ掛かる思いを辿って聞く一枚一枚。 どれをとっても、基本的にハズレがない。 マンフレット・アイヒャーの求める、気高い音楽が、 宝石のように最高の録音物として収録されている。

音楽

坂本龍一を偲んで

坂本龍一が歩いたフィールドの広さ、 そしてその量、奥行きの前に立ち尽くすと どこから、どう入っていけばいいのか、 正直、考えているうちに時間だけが過ぎてゆく。 それほどまでに膨大で、広い。 冷静に、振り返ってみると、その仕事量のなかで、 教授のアレンジャーとしての才能、そして器、 数々のその輝ける功績、足取りを、追ってみることが まずは坂本龍一という人を理解するに、もっとも近いのかもしれないと思い立つ。 あえて、裏方業ともいうべき地味な編曲者・アレンジャー坂本龍一として その偉大なる軌跡に寄り添ってみる、 その思いを追悼の思いとして、遅ればせながら書いてみたい。