三隅研次『子連れ狼 三途の川の乳母車』をめぐって
ちなみに原作からは「八門遁甲の陣」と「虎落笛」が 換骨奪胎されとりこまれこの一話を形成している。 漫画にはないダイナミズムと映画ならではの ロマンティズムが交差する『子連れ狼 三途の川の乳母車』。 色褪せぬ半世紀前のエンターテイメント、 とはいえ、とにもかくにも痺れる映画なのである。
ちなみに原作からは「八門遁甲の陣」と「虎落笛」が 換骨奪胎されとりこまれこの一話を形成している。 漫画にはないダイナミズムと映画ならではの ロマンティズムが交差する『子連れ狼 三途の川の乳母車』。 色褪せぬ半世紀前のエンターテイメント、 とはいえ、とにもかくにも痺れる映画なのである。
何も起きないから退屈ではない。 むしろ何も起きないからこそ、生まれる空気というものがある。 ぼくたちはそんな日常に生きている。 ジム・ジャームッシュの出世作『ストレンジャーザンパラダイス』はまさにそんな魅力に満ちている映画だ。
内観する存在物としてのボウイ デヴィッド・ボウイ。あの巨大な星が視界から消えてブラックスターとなりて、はや6年の歳月が流れている、この事実の前に、この頃なんとなく無頓着になりつつある。というのも、あのボウイが今仮に生きて...
そうした意識に徹頭徹尾基づいた美を創造するファッションデザイナー、 ベルギー、アントウェルペン出身 ドリス・ヴァン・ノッテンのドキュメンタリー映画 『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』を観て なんと気高く、なんと美しいのだろうか、そう思った。 華やかな業界にありながらも、 地道で地味な佇まいで創造を重ねる深い精神性が宿っているのを感じ取る。 ファッションデザイナーだから、ではなく、その生き樣に共鳴するものがある。
人と人を結んでいる不確かなものを 確かにしていくというのが このドラマの実態だとするならば、 その正体こそが紛れもなくそこにあるのだと 実感するからであり、 『前略おふくろ様』は、 時代と俳優とスタッフによって生み出された 今絶滅危惧種のようなドラマであることはまちがいなく、 その昔、こんないいドラマがあったことを 僕は嬉しく思うし、 自分にも、また自分のおふくろさんにも 輝くような青春があったということを 今一度思い返すのであります。
正直なところ、田宮二郎を俳優として どこまで評価できるかまでは自信はないのだが この『白い巨塔』で見せた、異様な喜怒哀楽やテンションの激しい上下動ぶりをみても、 演技を超えたなにものかに憑かれていたことは間違いない。 しかし、今となっては、文字通り、遺作となったこのドラマでは、 当時、本人がかかえていた深い心の闇が 幸か不幸か、決定的にその役柄にまで影響を与え、 深みを与えていた事実は永遠に語り継がれてゆくものだろう。
だが、『デビルマン』が特別なのは ミキを守ろうとすることで、 人間以上に人間らしい感情を育みながら、 時には、愛すべきキャラクターとして わかりやすく感情を前面に出して振る舞う姿に魅了されるからなのだ。
また最終回で、ベムベラベロは、妖怪騒ぎに辟易した警察によって いうなれば焼き打ちを食らう形で終わるのだが、 死んだのか逃げ切れたのか、 結局その後の動向が謎のまま終わったことを思えば 当初の半分に縮小されたという意図からも 当時から呪われたアニメではあったのだろう。
さて、そんな事は全て前置きで、 脳みそというものには 並々ならぬ興味を抱いているだけの話だが、 それはあくまで、脳が作り出した 偶然の戯れに他ならないといえなくもない。
杉葉子という女優さんがいた。 数年前に亡くなったのを知っている。 何か書こうと考えてみたのだが、 残念ながら、この女優さんはちょっと地味すぎて ヒロインとしてはほとんど印象がない。 原作石坂洋次郎、今井正監督の 『青い山脈』のヒロインというのが もっとも輝かしい経歴ではあるが それについて、書ける記憶がほぼない。 映画について思い入れがない以上、書く意味もない。 けれども、個人的に引っかかっているのは確かである。 というのも、成瀬巳喜男作品での杉葉子をみているからである。