心に薫るサンタクロース咄をば一席
信じる者が一人でもいれば、その物語は真実になる
ポール・オースター
たばこをすわなくなって、いったい何年になるんだろうか?
二十年以上はたつのかな。
きっかけなんかを話したって
気の利いた話なんか、なんにもでてきはしない。
ただなんとなく吸わなくなっただけなんだからさ。
いまじゃ、煙そのものを受け付けない身体になっちまっている。
それが果たして幸せか否か・・・ってなことはさておくとして、
日常の営みにおいては、たばこが果たす役割ってものは、
だらだら御託をならべるつもりはないけど、
これまでドラマ、映画等、つまりは人間をめぐる物語に
重要な小道具としてその役割を担ってきたことは間違い無いんだ。
それゆえに、多かれ少なかれ、
そうしたシーンがおのずと減ってしまっているってのは、
ちょっぴりさみしい気分なんだよ。
たばこを吸うシーンが減ってしまったフィクション空間においては
おおいに物足りなさを感じてしまう、
といった矛盾を抱え込むってのは、いったいなんだろうねえ。
ノスタルジーってやつか?
それとも単に歳をくっただけなのか。
かつて、とわざわざつけくわえなくとも、
いうまでもなく、魅力的な映画やドラマに
不可欠だったもののひとつが
たばこシーンじゃなかったっけか?
紫煙ひろがる空間は、確かに不健康でありつつもあ、
どこか自然で、さりげない情景として絵になるもの。
たしかに、見方次第じゃ大いに文学的にも絡んでくるし
さりとて日常の一部で、
よき時代の空気にとけこんでいたあの煙の行方ってものを
ときどき、追いかけたくなるってわけなんだよ。
それがいま、なにかと過去の様々な作品を見返すたびに
その思いがつのってくるわけなんだ。
その名もずばり『スモーク』って映画は、
ニューヨークでたばこ屋を営むひとりの男をめぐる物語。
ポール・オースターの短編
『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』がまずあって、
そこから映画用にオリジナルでオースターが書き下ろした脚本を
ウェイン・ワンが映像化した珠玉の映画だ。
日本では90年代にミニシアターで上映され、
多くの人々の心をわしづかみにしたっていう、
とってもハートフルなあストーリー。
誰の身にもついてまわりそうな、
それでいてひとつひとつが実に誠実さにあふれ、
つい心にひっかかってしまう話になっている。
たばこ屋を営むあハーヴェイ・カイテル演じる主人公オーギー・レンから
たばこを奪ってしまっては元も子もない話だけれど、
たばこはあくまでも、小道具、脇役でね、
彼のもつ人間の魅力に周りの色々と
訳ありの人間たちが集まってくるってわけなんだ。
要するに、みんなオーギーの話を聞きたがるし、
また話したがるんだなあ。
取り巻く空気に知らず知らずに巻き込まれてゆくってわけ。
そんな行きつけの店がブルックリンにあるわけだ。
なによりも、たばこを吸わなくなった自分のような人間ですら、
しまいにはオーギーショップに顔をだしているような、
あるいは、だしたくなるような、そんな気分になってくるあ。
ひとえに、オーギー・レンの人間味、
といってしまえばそれまでだけど
たかが二時間弱の映画でなにがわかるんだい?
そういわれたら、それならまず一度見てから話そうよ、
ってことになる。
友人のベンジャミンからはじまって
オーギーに関わる人間たちのエピソードがひとつひとつ章になっていて、
最後には、「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」が、
友達で作家ベンジャミンに向けて
オーギーの長い台詞っていうか、モノローグでお披露目される。
作家はそれを取りまとめて新聞に掲載するって寸法だ。
この話には伏線があって、
途中、このオーギーが足掛け十四年にもわたって撮り続けた
約4000もの写真をベンジャミンに見せるシーンがあるんだけど、
僕はこのシーンが実に味わい深くって気に入ってる。
毎日同じ時刻、同じ場所で写真を撮っているだけなんだけど、
それが実に哲学的なんだ。
で、その写真が「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」と
つながっているんだな。
ベンジャミンはその写真を見ているうちに、
ある感動的な事実を知ってしまうんだが、
うーん、ま、そのあたりのことを、ひとつひとつ
洗いざらい言葉でずけずけさらしたくはない気分だ。
映画の流れのなかでそれを知った方がいいに決まってる。
それぞれのハートにこそ尋ねてほしいエピソードばかりだ。
ただひとついえることは、クリスマスツーリーのように
一つの話のうえにいろんなちっちゃな出来事が乗っかかっていて、
つまり、物事が色々と絡みあっているのがわかってくる。
冒頭まず、親友の作家ベンジャミンが
煙の重さをどうやって測るかって話をするんだけど、
そういう他愛もないことで、グイグイ掴まれてゆくんだね。
まあ、ポール・オースターの分身ともいえそうな役どころで、
作家だから示唆に富んでいるのは当然といやあ当然か。
さりげなさが魅力的だ。
そのベンジャミンをあやうく交通事故から救う
黒人の少年ラシードのエピソードからはじまって、
オーギーはそこでとばっちりを受ける格好だが
その実、この少年の訳あり事情が
なんだかんだ言って、この映画の半分ぐらい占める内容にはなっている。
これにベンジャミンが大いに絡んでいて、
その分、話に深みが増してる気がする。
また、かつては恋人関係にあったルビーと
その娘のエピソードなんかでは
オーギーの男っぷりがあがる話にもなっている。
オーギーは別段、写真家でもアーティストでもないんだれど、
写真を撮るって行為そのものが、
そのまま主人公オーギー・レンの深みになって滲んでいる。
まるでその写真が現代アートと言っていいような、
不思議な魅力を放っているが、
そのことの言われがラストシーンで再現される。
その映像だけはまるでたばこの煙の世界のようにモノクロームで
なんとも感動的だ。
オーギーのあの当惑した顔の表情が全てを物語っているんだな。
そこにかぶってくるのがトム・ウェイツ「innocent when you dream」だ。
実はこのオーギー役に当初予定されていたのが
トム・ウェイツだったらしいが、
残念なことに、当時心身症ぎみで、逃亡しちまった。
色々あったってことさ。
そのおわびの気持ちから、この曲を無償で提供するにいたったらしい。
ことの次第はともかく、なんともマッチングした音楽の力を
あらためて感じさせられる、実に感動的なエンディングだねえ。
Innocent when you dream TOM WAITS
It’s such a sad old feeling
the fields are soft and green
it’s memories that I’m stealing
it’s memories that I’m stealing
but you’re innocent when you dream
when you dream
you’re innocent when you dream
when you dream
それはじつにもの悲しくて懐かしい感覚だ
野原は柔らかくて青々と茂っている
そんな思い出を、僕は拝借しているんだよ
でもね、夢を見ている時の君ったら無邪気なんだ
夢見てるときにはね。
夢見てるときには、いつもくったくがないんだよな
夢見てるときにはね。
さて、なんだかとりとめのない記事になってしまったけど
もし、クリスマス、何もすることがなかったら、
あるいは、大好きな家族、恋人、友達
誰でもいいけど、プレゼントに困ったら、
迷わずこの映画を勧めてみることをオススメするよ。
もちろん、一緒に見てもいいし、
なんなら、カフェかどこかで、この話をしたっていい。
そう、ハーヴェイ・カイテルがウィリアム・ハートに向かって話ようにね。
もっとも、あんな風にうまくは語れないだろうけれども。
この話は『ブルー・イン・ザ・フェイス』という
続編というか、姉妹編というかがあるんだが
それをまた別の機会で語ってみよう。
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