セドリック・クラピッシュ『猫が行方不明 』をめぐって

猫が行方不明 1996 セドリック・クラピッシュ
猫が行方不明 1996 セドリック・クラピッシュ

探し物はにゃんですか?・・・

日常に猫がいる環境に身を置く立場としては
そりゃあ画面に猫が出てくるだけでなんだかほっこりしてしまうものだ。
こちら、その上愛猫を見送ってまもない立場からすると、
どうしてもその姿が被ってしまうのだが、
そんな私情を挟まずとも、セドリック・クラピッシュ『猫が行方不明』は
じんわり、ほっこりする映画である。
原題の『Chacun cherche son chat』をそのまま訳せば
「だれもが自分の猫を探してる」ってなことになるけど
その本当の意味が最後まで行くとわかってくる。

時はまだ携帯やスマホが普及していない90年代のパリでの話だ。
11区というと、パリで最もホットなスポットがあるが
下町情緒あふれた場所でもある。
家のなかにまだ回線電話が引かれてあって、
人と人が直に触れ合うコミュニケーション自体当たり前の時代。
久しぶりに見返したのだが、やっぱりいい映画だなって思った。
“猫好き”というテーマからこの映画に行き着く人も多いかと思う。
この映画に出てくるグリグリという黒猫は、
ヒロインであるクロエを演じたギャランス・クラヴェルが
私生活で飼っていた愛猫だそうだ。
だから猫が実際に喉をゴロゴロならす音だって聞こえてくる。
背中に白い斑点が2箇所あることから
GRISGRIS(灰色という意味)と名付けられているから、
日本ならさしずめ、そうだな、クロとかシロとか、
そういう発想のネーミングってことになるのかな?

バカンスに出かけようにもそんな愛猫の世話が気になって
その世話人を探すものの、まず身近なゲイの同居人はいい奴だけど
恋人と喧嘩をして別れたばかり、それどころじゃないよと、
あくまでシェアフレンドとして、そこは非協力的なそぶりをされてしまう。
で、アパートの管理人にお願いするも
そっけなく断られてしまうし、うまくいかない。
なんとか辿り着いた猫好きネットワークの猫ばあちゃんこと
マダム・ルネが預かってくれたはいいが
帰ってきたら、そのグリグリが窓から逃げちゃったということで
そこから猫探し珍道中の物語が始まる。

ただ、この映画は猫がいなくなって探しまわる話というよりは
猫探しを通して、自分が何を探し求めていたかを知る若い女性の話だ。
普段メイクアップアーティストをやっているクロエだが
恋人もいないし、仕事にばかり追われて特に楽しいこともない。
彼氏がいないというよりはできない、といった方が正解かもしれない。
ゲイの男の子と一緒にルームシェアをしているぐらいだから
彼女の男に対する繊細な眼差しのほどはなんとなく伝わってくる。
その点グリグリはまさに彼女の真の相棒なのだ。
うんうん、わかるわかるよ、とばかり
画面越しに頷く猫好き乙女は五万といるんじゃなかろうか?

そんな彼女も本心では恋人が欲しい。
で、ゲイの友達に洋服のアドバスをもらったり、甘えたり、
おしゃれをしてそれなりの場所に出かけたり
そしてなんとか自分から積極的にアプローチをしても
男の身勝手さを見せつけられるばかり。
町でときどきすれ違うドラマー兼画家の男に惹かれ、
一応気はゆるしはするも、その相手が二股の遊び人でこれまた失意へ。
そんなやれやれな彼女の心を救ってくれるのが、
猫探しで協力してくれる温かい人たちの存在なのである。

グリグリの一件で、心労が祟ったマダム・ルネが風邪で倒れて看病に向かうと
不器用なジャメルが命がけでグリグリ探しをしてくれている。
そんな姿を見せられると、
彼女は猫の失踪とは別に抱えていた孤独から解放された気分になる。
結局、グリグリはマダム・ルネの家のオーブンの奥に隠れていたというか、
挟まって動きが取れなかったところを無事発見される。
嬉しくなったクロエは隣人の引っ越しまで手伝っちゃうほどだ。
隣人の男は窓からこっそりクロエを覗き見て絵に描くほど好意をもっている。
そりゃあ、そこまで思われて悪い気はしない。
猫探しの件から、ジャメルからも思わぬ恋心を抱かれてしまうが
ま、ごめんね、タイプじゃないんだなってとこか。

その反動かどうかはわからないが、ウキウキした気分になって、
うれしいんだか、悲しいだか、涙が出そうなほど気持ちが弾けて
パリの街並みを疾走するラストシーンがなんともいい。
このままずっと見ていたい気分になってくるこのエンディング。
その姿からは、まるで『ポンヌフの恋人たち』で
デヴィッド・ボウイの「モダンラブ」に乗ってみせる
あのドゥニ・ラヴァンの疾走感を思い起こさせるが
こちらはもっと健全というか、どこかほっこり幸せな高揚感がある。
きっと君にはこれから素敵な幸せが待っているよクロエ、そんな感じだ。
そこにポーティスヘッドの「Glory Box」が被ってのエンドロール。
なんとも渋い選曲に、ほのかな酩酊感さえ感じる。
相変わらず、クラピッシュって人は音楽センスが抜群だ。

猫はあくまでストーリーの出汁であって
古き良き時代のパリへの郷愁としての人と人の触れ合いをベースに
移り行くパリの街並みを背景に、とてもナチュラルに溶け込むクロエ。
器量だって別に悪くはないけど、どこか地味で控えめな個性。
そんなさりげない魅力を放つギャランス・クラヴェルは
この映画がデヴュー作となったが
父親はロード・クラーヴェルという画家で
妹のガランス・クラーヴェルはビジュアルアーティスト
そんな芸術一家で育った人らしく、
本人も絵を描いているアーティストとして活躍している女優で、
どことなく、大人になったアナ・トレントを彷彿とさせる魅力がある。

一方、猫ばあちゃんとして登場したマダム・ルネはというと
エキストラとして同じくクラピッシュの長編デビュー作
『百貨店大百科』にも出ているが、別に職業俳優でもない素人だ。
彼女の家もそのまま使って撮影するぐらいなじんでいるのは
クラピッシュの人柄がそうさせるのだろう。
きっといい関係なんだろうと思わせるクラピッシュ組の空気がみてとれる。
彼女は私生活でもこうした猫の世話をやっていたような人で
おそらく、そんなところからこの話が膨らんで行ったのかもしれない。

別に傑作というほどでも大作でもないこの『猫が行方不明』は
長編第三作目にしてフランスで大ヒットを記録し、
監督としてクラピッシュが一躍人気を博すことになる。
これをコメディというのか、人情譚というのか、
いずれにせよ、良きフランスのエッセンス漂う、
フランス映画ならではの空気感漂う良作だ。
見て損はない。

Cat Power : Like A Rolling Stone (Live At The Royal Albert Hall)

キャット・パワー ことシャーン・マーシャルのことを知って聞き始めたのは、2006年の『ザ・グレイテスト』からだけど、どちらかといえばアンダーグランドな香りがして、そのハスキーな声とフォーキーなサウンドに魅力を感じたものだ。元々彼女はソニックユースだとかザ・レインコーツなんかと親交をもつミュージシャンだったから、メジャーな感じはまったく受けなかったけど、近年、ボブ・ディランが1966年に行った音楽史上最も伝説的なコンサートの一つ『Cat Power Sings Dylan: The 1966 Royal Albert Hall Concert』をそのまま再現して大いに注目をあびているのを知って嬉しかった。そんな彼女のディランの名曲中の名曲「 Like A Rolling Stone」はクラピッシュ『猫が行方不明 』に流れていても不思議じゃないと思う。ちなみにシャーン・マーシャル自体は犬好きな人で猫嫌いなんだとか。そこがまたなんとも不思議な“キャット・パワー”も魅力だ。