大正ロマン、夢か現か青春か?
鈴木清順、この名前をきいただけで意味もなく
ワクワクニヤニヤする映画好きは、なにも僕だけじゃないはずだ。
没後9年の年月を経て、生誕100年を超えた今、
この監督が活躍した昭和といえば、
遠い昔のことであるからこそ、改めて時代が問い直すのだとすれば、
鈴木清順とは、一体なにものだったのか?
代名詞たる“大正ロマン”とはなんだったのか、という問いである。
それは遠い日の夢花火で片付けられるものではないのだ。
その感性に、まだ時代が完全に追いついたとまでは言いがたいが、
映画史に、その名を刻んでいる事実は
映画史のみならず、我が国の文化的な誇りといっていい。
1923年、大震災の年に呉服屋の長男として生まれた、
この大正生まれのチャキチャキの江戸っ子映画作家は
日本映画史においては、それほどきわめて特別な存在であったことは確かである。
何しろ、そのスタイルは唯一無二、
おまけに人柄も、これまたつかみどころがない独特な人だったといえる。
しばし「映画文法を破壊した」だの「前衛的」といったタームで語られるが、
その説明だけでは本質には届かない。
清順映画は、既存の文法から逸脱し、映画の語法を壊したというより、
映画の視覚的可能性を極端に拡張した結果として、
決してエンターテイメントの本線からは外れることはなかったのだから、
そこは間違ってもゴダールなんかと比較してはならないし
映画とは面白くあればいい、という前提以上に何を望むというのだ?
そんな清順映画の最大の特徴はといえば、
物語の整合性よりも、まず画面の構図や視覚的リズムを優先する点にある。
例えば、『刺青一代』のふすまの色彩感覚であるとか、
下からのガラス越しに仰角で捉えた立ち回りをはじめ
『東京流れ者』においても、登場人物は唐突という表現がふさわしく
真っ白な背景や強烈な色面の空間に置かれたりする演出だ。
あるいは、浪漫3部作において、人の股ぐらからカニが這い出したと思えば
樽の中に沈んだ女の口から鬼灯の実が溢れ出したり
ボートが湖面に垂直に立ったり、といった風に、自在のイメージを駆使する。
そこでは都市のリアルな空間は姿を消し、
ポスターやポップアート作品のような平面構成を示してきた。
まさに、ナラティブを手玉にとる演出で、
常に「次のショットが面白いかどうか」を優先する姿勢こそが
脚本家集団「具流八郎(グループ8)」による共同執筆体制からの基軸だった。
そこでは人物は奥行きのある世界の中で動くのではなく、
色面の上に配置された記号として立ち上がることに重きが置かれてきた。
ここでは映画はもはや「現実の再現」ではなく、
動くグラフィックとして機能しているのがわかるだろう。
この視覚至上主義を支えた重要な存在が、美術の木村威夫である。
ビジュアルの力が、これほどまでに核になっている映画は日本では珍しい。
清順映画の空間は、リアルな場所の再現ではなく、
構図を成立させるための装置として設計されている。
単色の壁、極端な色面、奥行きのないセットなどは、
人物のポーズや動きをグラフィックに際立たせるために必須なのだ。
ここでは映画の美術が背景ではなく、
むしろ画面構造そのものを決定する役割を果たしている。
清順の演出と木村の美術は、
いわば映画をデザインする共同作業だったと言えるだろう。
このような平面的構図は、日本の視覚文化とも深く共鳴している。
浮世絵や屏風絵のように、日本の伝統美術は
元来、遠近法よりも構図の強さを重視する。
人物は斜めに配置され、色面の対比によって画面が成立する。
清順映画の平面性は、単にポップアート的な現代性だけでなく、
こうした日本的な視覚感覚ともみごとに接続しているのだ。
そこに漫画や劇画の影響を加えると、
清順映画が「動くグラフィック」と呼ばれる理由が見えてくるだろう。
彼の画面は映画の空間というより、
一枚のコマとして決まる瞬間を積み重ねてゆく。
しかし、清順の個性はこうした単なる視覚的実験にとどまらない。
その根底には、ある種のノスタルジーとして、必ずどこか大正ロマンの影がある。
風紀を壊しながらも道をはずさぬ男気、
その哀愁を帯びた孤高性、女性へのはじらい、まさに青春そのものである。
こうした要素は、後年の『ツィゴイネルワイゼン』や『陽炎座』、『夢二』では
影を潜め洗練を経て刷新されていくが、
その萌芽はすでに日活時代の作品に十二分に見られた。
例えば、美術を支えた木村との初コンビ作品『悪太郎』をはじめ
続く『悪太郎伝 悪い星の下でも』、そして『けんかえれじい』において、
そのあたりの素養は十二分に刻まれている。
それら、モノクロームの青春ドラマに
清順のもうひとつの顔、主義主張がはっきりとみてとれるだろう。
こうして、曲がりなりにも、日活のプログラムピクチャーの職人として
長年、地味にキャリアを重ねてきたが、
いよいよその感性は、『殺しの烙印』において爆発することになる。
映画の骨格は、殺し屋同士の競争という単純なジャンル構造を持ちながら、
空間や人物の動きは奇妙に抽象化されていく。
登場人物は「ナンバーワン」「ナンバースリー」といったランキングで呼ばれ、
心理的なリアリズムよりも記号性が強調されるこの作品、
さらにメシが炊けるの匂いに執着する殺し屋という奇妙な設定は、
物語の合理性ではなく、イメージの衝突によって映画を前進させる。
ここにはブニュエル的なシュールな夢の論理というよりは、
むしろダダ的な遊びによる意味のずらし、解体の方が強い。
だが、そうした極端な形をとるが故に、
会社から、不当にも解雇をつきつけられしまうのだ。
1968年4月25日、日活社長・堀久作はこう宣う。
「一本6000万円もかかる映画を、鈴木は全部赤字にする。鈴木にはもう二度と日本で映画を撮らせない。監督をやめてソバ屋にでもなった方が良い」
しかし大島渚をはじめとする、映画人たちは黙っていなかった。
「鈴木清順問題共闘会議」を結成し、学生運動の機運に乗じて
この運動は一大騒動となってゆく。
こうして、ほぼ10年という年月を奪われてしまった清順は
この期間、テレビCMやドラマで糊口をしのぎながら
その長い沈黙を経て、1977年『悲愁物語』で復帰後、
自らの映像言語を完全に解放してゆくことになる。
それが大正ロマン三部作である。
ここで重要なのは、清順が権力に押しつぶされず生き延びたことであり、
それを支える根強いファンもいたという事実によって、
いよいよ清順は伝説の域へと入ってゆく。
僕個人は、そうした清順神話からその魅力に入った口であり
リアルタイムで追ってきた思い入れとは違って、
まさに、夢の中にある劇場で、唐突に出会って見てきた錯覚を
この清順映画に抱いている。
『ツィゴイネルワイゼン』では、改めてその荒唐無稽の才能に驚いたものだ。
死者と生者の境界が曖昧で、エロスと死が溶け合った説話の論理が
あたかもジョークのように支配する夢の中の物語は
ぽっと出の新進気鋭作家では決して描き出せない怪しさと品があった。
この三部作では、松田優作や沢田研二という花形スターもが新たに組み入れられ、
まさに、清順ワールドの集大成として、美しくも儚く
迷宮の入り口、すなわち、大正文学のもつ
「死の磁場」を映像空間に移植した感触がしっかりと感じ取れたのだ。
そこから遡って、そのフィルモグラフィの中に入ると、
この大正生まれ、江戸っ子作家の残した作品には
ひとしれず、哀愁を感じることになる。
今東光原作による『悪太郎』、続編の『悪太郎伝 悪い星の下でも』には、
ある意味、夢や幻想というタームの裏返したる大正ロマンの真髄を見る。
ここに流れるのはモダニズムではなく、哀愁を伴うロマンティシズムである。
浪漫3部作で描かれた夢や幻想やビジュアル的実験性よりも
ノスタルジックな劇画の世界観に、心掴まれるものがある。
ここに、『けんかえれじい』とともに、清順ワールドの青春を見る。
つまり清順映画とは、ポップアートの視覚と大正ロマンの感情が
背中合わせで重なり合った映画なのである。
この二層構造こそが、清順映画の最大の個性であるのだ。
この組み合わせこそは、他の映画作家にはほとんど見られない。
例えば、同時代の大島渚が政治や社会を主題にしたのに対し、
清順はあくまで映像の快楽とロマンの気配に向かった作家であった。
いみじくも堀久作社長の言葉
「わけのわからない映画ばかり作られては困る」は、
清順映画の本質そのものであるが
このわけの「わからなさ」というのは、既存の映画文法に乗っ取らず、
それまでの概念では理解の範疇を超えている、という意味だ。
清順は、その「処理不能な余剰」のために追放され、
その余剰こそが後世の映画を豊かにした遺産なのだ。
タランティーノ、ジャームッシュ、ウォン・カーウァイ、デミアン・チャゼルらが
この清順スタイルに魅了され、影響を受けたことを告白している。
だが、この清順の遺産こそは、映画とは「物語を語るメディア」である前に、
「映像が起こせる奇跡の集積」であるという原則の再確認でもある。
20世紀の日本映画が生んだ最大の異端は、
今となっては、同時に最大の冒険者という勲章を預かっているのだ。
ここまでは鈴木清順をという映画作家をどこか、異端の旗手として
まがいなりにも持ち上げてきたのだが、
最後に、なぜ清順は生涯を通じて「大正」に回帰し続けたのか
ここに最終的な清順への思いの帰結をおいておきたい。
こうして見ていくと、鈴木清順の映画は「前衛」でも「実験映画」でもなく、
むしろ娯楽映画の内部に生まれた視覚的モダニズムと呼ぶべきものである。
彼は映画を壊したのではなく、映画の画面を極端に信じていた証だ。
あのリアリスト溝口が、実は鏡花に傾倒していた作家だったように
清順でさえも、一つ間違っていれば、
そうした幻想ものの流れを組む巨匠として迎え入れられたかもしれない。
だが、その結果、物語や空間の整合性が二次的なものになり、
画面そのものが映画の主役となったのである。
清順映画が残す強烈な印象は、まさにその画面の力から生まれている。
かくして、鈴木清順とは、映画をグラフィックな芸術へと押し広げた作家であり、
同時に大正ロマンの亡霊をスクリーンに呼び戻した詩人でもあった。
とはいえ、彼の映画がいまなお新鮮に見えるのは、
そこに視覚のモダニズムとロマンティシズムが
同時に息づいているからに他ならないのである。
僕はそれこそは映画の現代性でもあるのだと信じたい。
だが、清順にとって大正とは
「近代日本が可能性を持っていた最後の時間」という意識だということであり、
つまり、大正デモクラシー、西洋文化の流入、和洋折衷の美意識、
そして個人の恋愛と自由の萌芽、これらがすべて、
1931年の満洲事変以降に圧殺されていく現実にあったということだ。
後期の大正ものが、もはや歴史を超えた、
もはや「霊的次元」として機能していることである。
それゆえに、百閒、鏡花、夢二に共鳴するのは必然であり、
それは自身がすでにその「死者たちの大正」の住人だったからに相違ないのだ。
ここで元の問いに戻れば
「大正ロマンこそが清順の原点か」という問いは
「原点であるが、その性質は根本的に変容した」と
冷静に置き換えられるはずである。
つまり、この大正という時代は、
「その後に来る暴力(戦争・死)によって意味を与えられていた」
そんな絶対の構造をもっていたということなのである。
当初から、その暴力性は外から迫ってくる歴史的事実として描かれ、
次第にその暴力は内に沈み込み、やがて「死」というメタファーとして
映像の組織に組み込まれてゆくのがわかる。
清順自身が「学徒出陣」として実際に死と隣り合わせだった体験をもち、
早期作品では社会批評の棘として機能していたが、
最後は「生と死の境界が最初から溶けている」という世界観へと
結晶化していったというのが、冷静な清順読みではないだろうか?
こうしてみると、『悪太郎』と『けんかえれじい』には
「奪われたものとしての怒り」が込められ、
『ツィゴイネルワイゼン』以降にはその「奪われたものへの悼み」として
同じ大正という舞台によって、昇華されているのだという認識に行き着く。
怒りは身体を持ち、喧嘩という形をとる。
悼みは霧のように広がり、夢と現実の境界を溶す。
清順は、それを生涯をかけて
その二つの感情の間を揺れ続けながら
映画というまやかしの芸術と戯れ続けた稀有な作家だったのかもしれない。
◉ぼくの偏愛的清順5選
- 悪太郎
- けんかえれじい
- ツィゴイネルワイゼン
- 殺しの烙印
- 野獣の青春
ゲルニカ:夢の端々
鈴木清順の“大正ロマン”に響く音を考えると、戸川純、上野耕路、太田螢一による伝説的ユニット、ゲルニカにたどり着いてしまった。単なるレトロな楽曲ではダメなのだ。そこに、「レトロ未来」の萌芽をみれるかどうか、である。前作『改造への躍動』から、約6年の沈黙を破って発表された『新世紀への運河』に続く3rdアルバム『電離層からの眼指し』は、ニューウェイブ的な色物音楽として扱われたデビュー当時よりもさらに重厚で、洗練された「レトロ未来主義」が成熟したアルバムである。ここには前作までのクラシカルテクノサウンドから、クラシック、現代音楽、軍歌、オペレッタの要素がさらに強まり、「フルオーケストラ」の様相の高まりがある。戸川純の歌声にも、初期の「危うさ」に加え、圧倒的な「威厳」と「品」が備わってきているのが分かる。清順作品のサウンドトラックを手がけていたら、という個人的な夢のような思いから、この「夢の端々 」を選曲してみた。












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