毒舌半世紀、愛すべきライドンタイム
パンク、ニューウェブ以降のミュージシャン、
つまり、リアルタイムで聴いてきたミュージシャンの中で、
ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)ほど魅力のある、
同時に波乱万丈で、社会や時代に爪痕を残してきた存在はいないと思う。
人騒がせでありながらも、カリスマ性を誇り
時にピエロのように、時にコメディアンのように振る舞い、
何より皮肉やで、野心家で、それでいて究極のエンターテイナーとして
われわれを楽しませてくれるアーティストはそうはいない。
彼は口先だけではない、ロック界の真のイノベーターだったのだ。
僕が高校生だった頃、
PILの初来日公演が決まり、生ライドンが見れる、見れないで
盛り上がった覚えがあるが、チケットがとれず足を運べてはいない。
が、チケット以前に、当時のジョン・ライドンは
初期PILのキーパーソン、キース・レヴィンまでもが脱退し、
音楽的に、嘘のように魅力の薄い新生PILとして活動していた時期で、
その証しが「PiL日本’83」の中にもはっきり刻印されている。
「ロックは死んだ」といって、立ち上げたバンドに、
シビアに“PILは終わった”というのが、僕の密やかな認識だったのだ。
それでも、カリスマライドン見たさに、ライブに足を運んだ連中からは、
ピストルズの「Anarchy in the U.K.」をやったよという噂を聴き、
それはそれで、どこか羨ましい思いがしたものだ。
そんなライドンだが、今やオールドパンク、オールドロッカーとして
今もなお、ぶれず長くその活動を続けているのは感慨深い。
当時の、痩せて、青白く神経質そうで、眼光鋭かったイメージは消え、
年を重ねたライドン先生は、どこかユビュのようにユーモラスで、
立派なガタイを抱えながらも、相変わらずの毒舌ぶりこそ変わらないが、
それでも、随分と丸く、親しみやすいキャラクターになってなお、
未だその輝きを放ち続けているのをみると嬉しくなってくる。
そんなジョン・ライドンの軌跡を振り返るに、タバート・フィーラーによる
『The Public Image Is Rotten ザ・パブリック・イメージ・イズ・ロットン』なる
ドキュメンタリーを参考にさせてもらった。
この映画は、パンク革命の終焉、1978年あたりからの
ジョン・ライドンの半生をアーカイブ的にうまくまとめられており、
いわゆるドキュメンタリーらしい正統派のドキュメンタリー映画として、
Who is LYDON? What’s PIL?を辿るには興味深い内容だ。
ちなみに、セックス・ピストルズ時代に一人歩きした
ジョニー・ロットンという商品(あえてそういう言い方をさせてもらう)が
いかにビジネス事情を絡み、度重なる裁判を経て
その名前さえも使用できなくなっていたのだということが、
本人の口から苦々しく語られている。
とりわけ、ピストルズ時代の悪評高きマネージャー、
マルコム・マクラーレンへの憎しみは想像以上で、
当時の事情による影響が、PILでの活動に重くのしかかっていたのがよくわかる。
そんなロンドンで派生したパンク・ムーブメントの中心人物を担い、
1978年、セックス・ピストルズが解散コンサートを終えた瞬間、
ジョニー・ロットンは「ロックは死んだ」と宣告するようにバンドを去り、
パンクの焼き直しに甘んじることなく、
新たにPublic Image Ltd.を立ち上げ、まったく異なる軌跡を描き始めた。
新たなドラマはそこから始まっだ。
あの衝撃たるや、今では想像できないぐらいに
ロック界に衝撃が走ったのを記憶している。
通称PILとしての活躍は、紆余曲折を経て現在も継続中。
ファースト、セカンド、サードあたりまでの、
サウンドクオリティと革新性は、今なお、唯一無二な世界を構築している。
その母体、オリジナルメンバージャー・ウォブルとキース・レヴィンが、
それぞれライドンとは仲違いをしてバンドを去ることになりはしたが、
結果的に、PIL=ライドンとして、その活動の手が止まることはなかった。
当時は、度重なるメンバーチェンジやいざこざが、
ライドンの独裁的、かつ身勝手な立ち振る舞いが
あたかも素因のようにも映っていたものだが、
真相はそんな単純なものでもなかったのだと、改めて認識が変わった。
ベース革命というべき、ダブに通じる重低音で
フリーこと、レッチリのマイケル・ピーター・バルザリーも
その音に多大な影響を受けたというジャー・ウォブルは、
ライドンとは既知の仲ということで声をかけられたが
まだベースを引き始め間もなくのことであり、
そのウォブルがメタル・ボックスの録音音源を勝手に流用して、
勝手にアルバムを作ったり、PILの資金を横領するような、
いわば素行の不良な人物だったらしく、
薬物やアルコール依存でもやばい状態で、除名されるに値する問題児だった。
一方の片腕のギターリスト、元クラッシュのキース・レヴィンとは
ちょうどパンクムーブメントの終わりとともに意気投合し合流、
ライドン自身もレヴィンの天才性を讃えるほどの、
初期PILのサウンドストラクチャーの、文字通り屋台骨を支えたが、
元々ドラッグ中毒で、コンスタントに活動すらもできない状態だったという。
そんな二人が支えた初期PILというのは、ポストパンクにおいて
まさにニューウェイブの音そのものの可能性を秘め、
半世紀経ってもその衝撃がさめやらない異彩を放っていた。
とりわけ、缶に入った2nd『METALBOX』は
ニューウェイブ〜オルタナティブロックの金字塔だといえる。
バンド内で二人が当時は反りが合わず、
顔も見合わせないほど距離を置いていたというが、
のちに「METALBOX IN DUB」で再び活動を始めて、
当時の音楽の革新性をみごと証明した格好で、それはそれで興味深い。
そうした裏事情を知って、ある意味、
音楽性の劣化は避けられなかったとは言え、
そのなかで、必死にバンドの立て直しを図ろうとしていたライドンに、
ファンとしてはむしろ同情を禁じ得ない。
そんな新生PILは、相変わらず、諸問題を抱えながら、
度重なるメンバーチェンジを繰り返していたが、
その活動が軌道に乗っていかなかったのは、やはり資金繰りが大きく、
元パンクのカリスマという名目が、必ずしも商品価値をもたらさず、
その資金繰りにも貢献しなかったことを意味している。
そこに、思わぬ救いの手が伸びる。
カントリーライフのバターのキャンペーンでのバターのCMだ。
これに出演することで、PILは体制を持ち直し、
ジンジャー・ベイカーやスティーブ・ヴァイなどの凄腕ミュージシャンを揃え
「RISE」という曲もヒットする。
こうしたPILの奮戦記はそれはそれで、波乱万丈の物語だが
この映画では、ジョニー・ロットン、改め本名ジョン・ライドンの
人間的な魅力にも迫っている。
小さいとき、髄膜炎を患って記憶を失うという体験が
少年ジョンに深い影を落としてからというもの、
そこからパンク革命という時代の寵児にまで崇められるに至るが、
ライドンの道のりは、決して煌びやかなものではなかった。
パブリックが作り出したイメージのなかで、
時代の偶像となった張本人は、
本作『The Public Image Is Rotten』のなかで、
その「腐ったイメージ」を冠にした人生を皮肉まじりにふりかえりながら
演出と実像の狭間で見つめ直す真摯な姿を晒している。
そもそも「Johnny Rotten」という名前は、
黄色く腐った前歯を冷やかされた侮辱的なあだ名だった。
だがライドンはそのレッテルを引き受け、
むしろパンクのアイコンへと昇華させた。
皮肉と怒りを剥き出しにしたその姿は、体制への挑発であると同時に、
観客が求める「反逆者」という演技でもあったのだ。
本作の映像には、当時の狂騒を映すアーカイブが数多く挿入されるが、
そこで目にするロットンの表情は、半ば芝居がかっている。
怒鳴り、嘲笑い、挑発する、そのすべてが“役柄”の一部であり
ロックの虚像を壊すために、彼自身が新しい虚像を演じてみせたのだ。
映画はその過程を丁寧に追い、ライドンが単なる破壊者ではなく、
「新しい音楽を創り出す者」であることを浮かび上がらせてゆく。
インタビューの中で、彼はしばしば自嘲を交えながら語るが、
そこには音楽への誠実さと異常なほどの探究心が滲む。
その仮面の下から現れるのは、驚くほど真剣なクリエイターの顔である。
バンド名はアン・オリヴァー著作 『Public Image』からも着想を得、
ライドン本人は、意図的に「商業化」「ブランド化」を逆手にとって
Limited(株式会社)という法人名をくっつけることで、
ロックの虚像と資本主義のパロディに仕立てようとしたのだ。
また、歌詞においても、社会の出来事や事件をもとに
詩的で文学的なエッセンスを盛り込んでゆく。
こうしたライドンのインテリジェンスは見逃すことはできない。
なかでも、本作を特徴づけるのは、
ライドンのプライベートな姿にも踏み込んでいる点だ。
長年連れ添った妻ノーラを支える家庭人としての姿は、
観客が知る「怒れる若者」とは別人のようである。
介護に心を砕き、時に冗談を飛ばしながら寄り添うその眼差しには、
人間的な優しさが宿っている。
ここにこそ、「ロットン」という演出と「ライドン」という実像の断層が露わになる。
パブリック・イメージは腐っていても、
その奥には揺るぎない愛情を持つ生身の男がいる。
映画はその矛盾を誇張することなく、静かに提示するのだ。
だがライドンは決して「丸くなった」わけではない。
政治や社会に関する発言は今も過激で、しばしば物議を醸す。
彼は自分が作り上げられた偶像に縛られることを嫌いながらも、
同時にそれを利用し、観客の期待を裏切ることを楽しんでいるようでもある。
『The Public Image Is Rotten』でも、
彼はカメラに向かってしたり顔で嘲笑う。
そこにいるのは老いたロック・スターではなく、
今も「現役の反逆者」として舞台に立ち続けるライドンの姿だ。
頑固で不器用で、だが一貫して“自分の道”を選んできた人間の生き様がにじむ。
結局、ジョン・ライドンとは何者か?
『The Public Image Is Rotten』を観た後に残るのは、
単純な答えではない。
腐敗は死ではなく、むしろ更新の契機である。
ロックが死んだと叫んだその瞬間から、
ライドンは“パブリック・イメージ”を逆手にとりながら
人生そのものを再生させ続けてきたのだ。
その二重性のなかにこそ問いがある。
はたして偶像と実像のあいだに揺れる人間を、
あなたはどちらとして受け止めるのだろうか?
結局のところ、ジョン・ライドンとは、
腐った仮面をかぶり続けることで、
自らの実像を守ってきた人間である。
そしてその演出は、彼をロック史の中で“死なない存在”へと変えた。
『The Public Image Is Rotten』には、
その矛盾を暴き出すと同時に、
その矛盾こそがライドンの生命力であることを証し立てる、
貴重な記録や声が随所に映り込んでいる。
そんなライドンも70の声が聞こえてくる年齢にさしかかっているが
芸歴50年、そのエネルギッシュで、毒舌エンターテイナーぶりは健在だ。
だが、その裏では最愛の妻ノラ・フォスターが認知症の闘病の末に亡くなり、
その8ヶ月以内には、彼のマネージャーで最良の友人だった
ジョン・ランボ・スティーブンスも亡くなってしまった。
それでもライドンは死なない。
2009年の再結成以来、共に活動を続けてきた、
ギターのルー・エドモンズ、ドラムスのブルース・スミス
ベースのスコット・ファースといった円熟の老練メンバーを従え、
今なお精力的にツアー活動で元気な姿をみせている。
このメンツで日本公演が実現すれば、
最初で最後、今度こそその実像をこの目で確かめてみたい。
Public Image Ltd (PiL) – Hawaii
ジョン・ライドンには感傷は似合わないし、あえて、メロドラマチックに讃えるわけではないが、あえてこの曲を選曲しよう。この曲は長年連れ添った最愛の妻 ノラ・フォスターに捧げられており、ライドンらしくない、穏やかで切ないラブソングが歌われている。アルツハイマー病を患っていたノラを、ライドンは献身的に介護を続けていたが、この曲はその愛と別れをめぐる、非常に個人的で特別な意味をもつ作品である。彼のパブリック・イメージが、いかに作られたものであり、ジョン・ライドンは、仮面と実像を使い分けながら、自己を守り、時代に楔を打ち込み続けた人間だったということの証にもなっている。
「Hawaii」は、その最後の仮面を脱ぎ捨て、ただ愛を歌う声として切なく響く。
かつてロックは死んだ、と宣言した男が、最後に手渡してくれたのは「愛こそが生の記憶をつなぎとめる」という静かな真理だったということに、皮肉を超えた感慨がこみあげる。
1970年代半ば、ライドンはノラ・フォスターと出会う。彼女はドイツ出身で、当時のロンドン・パンク・シーンにも顔を出す存在だった。ノラはライドンより年上で、彼女の娘アリアナ・フォスター(のちのアリ・アップ/ザ・スリッツ)は女性パンクの旗手となった。映画の中で、アリの娘の子供を引き取って育てるくだりが語られるが、ライドンは、それによって、若さを取り戻したと語っている。周囲からは奇異な目で見られたが、ライドンとノラは深い絆で結ばれていた。彼は後年こう語る。「ノラは僕の世界のすべてだった。彼女がいなければ、僕は生きていけなかっただろう」と。ノラはライドンの気まぐれも怒りもすべて受け止め、家庭という居場所を与えた。ステージで“ロットン”を演じる一方で、家に帰れば“ジョン”として笑い合える。その二重生活を支えたのが、ノラという存在だったのである。
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