スティーブ・ライヒ《18人の音楽家のための音楽》をめぐって

コリン・カリー・グループ ライヒ《18人の音楽家のための音楽》
コリン・カリー・グループ ライヒ《18人の音楽家のための音楽》

音に差す光のオルガスム

あるとき、耳にしたECM版の《18人の音楽家のための音楽》が、
いつしか僕の生活の風景になっていた。
それは音楽というよりも、光のようだった。
あるいは波動に近いかもしれない。
音が静かに立ち上がり、
構造がひとつの生命のように身体を伴い鼓動し始める。
そしてその内側に、自分自身の時間を宿すようになる。
これはまさに真の音楽体験であった。

同時に、僕にとってこの作品は、ある種の避難所だった。
世界が終わりそうな日にも、
あるいは、なにも始まらないままに暮れていく午後にも、
この音楽さえあれば、きっと僕はやり過ごせるだろう。
仮に、無人島に取り残されたとて、これが流れていれば、
僕は海の見えない方角に向かって、そっとうなずいていられるだろう。
そう、音楽の中にかすかに光が差し込んでくる、
その気配だけで、十分なのだ。

《18人の音楽家のための音楽》は、
ミニマル・ミュージックのひとつの頂点であると言っていい。
が、それ以上に、これは「音楽とは何か」という問いに対して、
ある非常に静かな、しかし強固な回答を与えてくれている作品でもある。
それは、音楽を「動き」でなく「状態」として捉える感覚によって再現される。
リズムやメロディではなく、「時間そのもののゆらぎ」に耳を澄ますという態度。
この作品の本質には、ふたつの出自が交錯している。
ひとつは、12世紀から13世紀にかけてノートルダム大聖堂を中心に発展した、
いわゆるノートルダム楽派のオルガヌム、ペロタンの音楽である。
もうひとつは、ジョン・コルトレーンによる《Africa/Brass》に代表される、
コード進行を持たない即興演奏の世界。

ペロタンの音楽、たとえば、現存する数少ない4声体オルガヌム「Viderunt omnes」は、
音の重なりにおいて時間を「建築」している。
ひとつの音が長く伸ばされ、その上に異なる旋律が積み上がっていく。
この積層感、音がまるで天井を支える柱のように立ち上がってゆくさまは、
まさに《18人〜》における音の構造に通じている。
そこではマリンバ、ピアノ、クラリネット、声、弦……
それぞれの音が、一定のパルスにしたがって、
絶えず変化しながらも全体を揺るぎなく支えている。
まるで石造りの聖堂に差し込む光の帯のように、
音たちが交差し、光と影を織りなしていく。

一方で、コルトレーンの《Africa/Brass》がライヒにもたらしたのは、
「変わらないこと」の中に潜む自由である。
ひとつのコードにとどまりながら、内側から音を揺らす。
そこに即興の精神が宿る。
ライヒはその方法を、即興ではなく厳格な構成によって実現した。
たとえば“フェイズ”という手法。
マリンバやピアノが同じパターンをわずかにずらしながら演奏することで、
結果として生まれるズレと交錯。
それは即興に似て非なる、制御されたズレである。
だが、聴く者の耳には、まるで音楽そのものが
自律的に“選択”しながら生きているように感じられる。
まさに生物である。

そうした構造美の中にあって、僕がもっとも心を動かされるのは、
やはり声の存在である。
歌詞も意味も持たない、ただの音としての声。
それはまるで、構造体の中に「人間」の存在が
ふいに差し込んだかのような驚きがある。
パルスと秩序に満ちた音の波の中に、ふわりと入ってくる声の柔らかさ。
それは、機械でもコンピューターでもない、
あらかじめプログラムされた単なる録音の再生ではない、
「誰かが発している音楽なのだ」という、
根源的な事実を思い出させてくれる。
構造と秩序と反復の海に、ひとしずく落ちる感情の影。

そして、バスクラリネット。
その低音は、まるで地中に響く記憶のようだ。
高音たちが空に舞う中で、彼だけは音楽を「大地」につなぎとめてくれる。
その存在があるからこそ、僕はブイのように
この音楽の中で安心して浮かんでいられる。

先日、生でこの音楽を体験できた。
会場は、同じく、ライヒ自身によるお墨付きの
「視覚的にもサウンド的も素晴らしい」といわしめた場所である。
生まれて初めて、クラシックホール「オペラシティ」での
音楽演奏会鑑賞体験というわけだったが、
演奏は、これまた、ライヒ公認、
「現役打楽器奏者の中で最も優れた演奏家のひとり」
そう評価されたコリン・カリー率いる18人のメンバー。
申し分のない条件だった。
コリン・カーリー・グループによる演奏による
波動の音浴の気持ち良さを言葉にするのは、あまりに野暮というものだが、
掛け値なしにエレガントなまでに、天上的世界があった。
それは、これまでずっとひとりでヘッドホンの中に築いてきた音の疑似空間が、
突然現実の空間に引き出されたかのような、夢のようなひとときでもあった。

目の前で奏でられる音たち。
演奏者たちが視線で呼吸を合わせ、
指先から空間へと音を散らしていく様。
僕の中にしかなかった音楽が、
そこにはたしかに“他者のもの”としても存在していた。
それはとても不思議な感覚だった。
まるで、ずっと自分の秘密だった風景を、
誰かと共有できたときのような安堵と、かすかな寂しさと。
音楽の体感的認識はクラシックというよりも、
心地よいアンビエントミュージックであり、
その持続するパルス音は脳内を刺激する、
人力ミニマルテクノと呼んでもかまわないものかもかもしれない。
それは、ロックミュージックの文脈にも登場し、
テクノ、エレクトロニカというジャンルに多大な影響を与え、
極上のクラブミュージックにさえ収まる多様性を帯びるのが、
このスティーブ・ライヒの「18人の音楽家のための音楽」の魅力であるはずだ。

今でも僕は、最初に聴いたECM版を愛聴している。
いわずもがな、真っ先に挙がる名盤である。
一音目から、世界がゆっくりと変化し始めるあの感じ。
目を閉じれば、ピアノとマリンバが粒子のように宙を舞い、
清涼感を保ちながら、声が空間の温度を変え、
バスクラリネットが地面に音の影を描いてゆく。
それはまぎれもなく、音楽でできた「光」の運動そのものだ。

きっと世界が終わる日も、僕はこれを聴いていると思う。
耳の奥で、小さな宇宙が回り続ける限り、
僕の心にはまだ、音と光と時間の居場所があるという希望がある。
それだけで、十分だと思える力が
この魔法の反復の音楽にはあるのだ。

Reich: Music for 18 Musicians · Steve Reich Ensemble

1978年、ECM〈NEW SERIES〉の第一期を飾る録音としてリリースされたスティーブ・ライヒの《18人の音楽家のための音楽》。この一枚は、現代音楽と録音芸術の歴史における転換点であり、「音の建築」として聴覚に刻まれた奇跡と呼んでいい。「ライヒのあらゆる実験がこの超絶的な規律と至福の傑作に結実した。… 作曲家の圧倒的な力が、この超人的とも言える洗練された演奏を駆り立てているのが感じられる。完璧に均衡の取れた輝かしい録音の中で、一音一音がきらめいている。」とは、この録音へのBBC Music Magazineの評価だ。ECMレビューでは、この録音が「有史以来に蓄積された手つかずの三次元経験」であるとまで称された。この録音の圧倒的魅力は、何よりもECM録音哲学の「沈黙を含めて録る」姿勢と、ライヒの精密な構造が完璧に重なったことにあるのだと思う。ライヒの作品を前衛ではなく、「時代を超えて響く普遍的な芸術」として提示すること、マンフレート・アイヒャーの卓越した理論からの選択がここにある。録音芸術としての価値を見抜く慧眼が、ミニマル・ミュージックを文化的アイコンとして確立させた名盤中の名盤である。