かくかく然々、危険な物語の綴り方教室
週末にあった出来事を書け、といわれて
あなたはそれをうまく文章化できるだろうか?
フランソワ・オゾンによる映画『危険なプロット』の
国語教師ジェルマンは、生徒にそんな課題を出す。
返ってくる課題が、軒並みしょぼくてまともな点数をやれない。
「土曜、ピザを食べテレビを見た。日曜日、疲れて何もしなかった」
その程度の駄文、というのか
単なるメモ書きのような、ただの事象ぐらいしか書けないのが
昨今世界共通の高校生事情というやつなのか?
どうやら、そんな簡単なことではないらしい。
教師には教師としてのプライドがある。
「オレは文学というものの極意をこいつらに教えるために
教師になったのに」
そう嘆く先生の気持ちはわからないではない。
ただ、なかに、ほう、と一人関心を示したくなる文章が混じっている。
それが主役のクロードが書いたものだった。
クラスメートのラファ家に招かれたことでの出来事が
綴られてあるのだが描写が成熟している。
あきらかに他の生徒とは違いを感じさせるのだ。
教師がはっと思ったのは同級生の母親に対し
「実に独特な中流階級の女の香りがした」などと
文学的なニュアンスをさりげなく入れ込んでくることだ。
話術があっても文才がまま比例するともかぎらないが
文才というのは、究極、持って生まれたものかもしれない。
クロードはもともと数学に長けている頭脳明晰な生徒で
それが国語も磨きたいと好奇心旺盛にやってみたら
元小説家志望の先生の気を、おもいがけずくすぐってしまったのである。
そこから、クロードも面白くなって
続々と「続き」を出してくる。
決まって文の最後に「続く」を入れてもったいぶるあたり、
これはいよいよもって、こいつを育てりゃ面白いかもと、
小説家志望の動機ぐらいは満たされるかもしれんぞ、
そう思ったかどうかは知らないが、
新たなる野心のスイッチが押されたのは間違いない。
以後、過剰にかかわることになるのだ。
ただそこで、数学のテストを盗みコピーを渡すなどは行き過ぎである。
が、それぐらい、入れ込んでしまったというのである。
クロードの書き物もいよいよ筆が進み
読み手を刺激するばかり、
ようするに、のぞき見の快楽が上乗せされてゆく。
先生の要求もコーチっぷりにも熱が入る。
クロードの方はどうやら、ラファの母親エステルへの思慕を募らせ
いよいよ危険な情事さえ匂わせて、
もはや週末の出来事の範疇を超えている。
フランス文学の古典的名作フロベールの『ボヴァリー夫人』を勧める教師にとっては
まさに願ったり叶ったりの展開というわけだ。
『感情教育』ならぬ、“情緒教育”に余念はない。
別にサスペンスというか、そういった類いの緊張ではないのだが
あきらかに、だれもが「続き」を求めてしまう才能がある。
一方、「情事」を目撃したラファが首つり自殺?するシーン。
これはあきらかに妄想で、こうしたシーンが入れ子で挿入されるのだが、
このあたりがオゾンマジック炸裂の展開か。
ここからクライマックスは、というと「情事」の矛先、
つまりは「危険なプロット」の方向性が大いにズラされてゆく。
今度は教師ジェルマンの妻ジャンヌへと向かう。
このあたりの「プロット」展開は見事だな。
こうなると今度はジェルマンが嫉妬にかられるわけだ。
あげくには学校はテスト漏洩問題が明るみに出て職はクビになるし
妻には愛想を尽かされる羽目になってしまうというってな話だが、
原題『Dans la maison』から邦題の『危険なプロット』、
内容から見ればこの邦題の方が的確に要点を突いている。
それにしても主人公のクロードを演じた
エルンスト・ウンハウワーは美少年だ。
それこそ、独特で品のある色香がある。
そう、思わずヴィスコンティの『ベニスに死す』のタッジオこと
ビョルン・アンドレセンを彷彿とさせるが
ここでアッシェンバッハとの関係を重ね合わせるのには無理がある。
明らかに温度差があり、ここに同性愛的な臭いは皆無である。
そこでこの映画の裏の主人公は、なんといっても国語教師ジェルマンである。
演じるのはロメール作品の常連ファブリス・ルキーニ。
個人的に大好きな俳優なのだが
この俳優が醸すなんともいえない雰囲気は健在。
つまりは「臭いように見せかける上手い芝居」が格別なのである。
場を煽ることにかけては常に天才的なのだ。
それはロメール作品でも繰り返しみられた資質だが、
けして主役を張るようなタイプではなく
いつも脇役ではあるものの、実に味のある演技には定評がある。
ひとことでいって、「胡散臭さ」てな事につきるのかもしれないが、
実に話術が巧みで、嫌みがあり、適度に知的であり
それでいて物語の潤滑油にさえなってしまう貴重な俳優である。
代役の効かないバイプレイヤー。
このファブリス・ルキーニなくして『危険なプロット』は成立しない。
いってみれば裏の主役、黒幕はこの男なのだから。
そんな彼の存在感あっての傑作だと思う。
ラストシーンのクロードとジェルマンの公園での創作妄想合戦は見ものだ。
ただし、ラストシーンの意外性ある「あれ」はちょっと過剰ないたずらに見えた。
オゾンならではの遊びだ。
なにはともあれ、とても上質なフランス映画であることは間違いない。
知的でウイットに富んだフランス映画好きには大いにお勧めしたい。
ちなみに、オゾン自身が見初めたという主役のエルンスト・ウンハウワーは
ステファン・マラルメが大好きだというぐらい文学にも精通していて
おまけに本名の由来はあの画家エルンストから来てるんだとか。
一方のファブリス・ルキーニはああみえて
大のジェームス・ブラウン好きだというから
そんな二人の組み合わせゆえに、
想像できない面白さが滲み出すんだな、そう思った次第。
MC Solaar – Obsolète
こちらのクロード、フランス語ラッパーの草分け的存在、マイクを手にした名前にダブルAを持つ男、MCソラーことクロード・ンバリの2ndアルバム『Prose combat 』に収録の一曲目「Obsolète」で始めよう。「廃れゆくもの」へのノスタルジー、かつシニカルなパロルが流暢に展開されるご機嫌なナンバーだ。アルバムタイトルを訳せば「散文闘争」ということになるが、ラップ界のゲンスブールと言われるだけあって、ソラーの特徴は、絶えずその文学的な語彙、言い回しを得意にした幅広い視野、知的で巧みな言語感性であり、とりわけ、30万枚以上を売り上げたプラチナディスクのファースト『Qui sème le vent récolte le tempo』とこの2ndあたりは、トラックメーカーの JIMMY JAYとのコンビで、その完成度はすこぶる高く、英語圏ラップとは一味違う趣きが感じられる。
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