ジャン=ピエール・ジュネ&マルク・キャロ『デリカテッセン』をめぐって

Delicatessen 1991 ジャン=ピエール・ジュネ&マルク・キャロ
Delicatessen 1991 ジャン=ピエール・ジュネ&マルク・キャロ

食料難には愛をもって備えよう

B級かカルトか、そのあたりの定義はおいておくとしても
強烈な個性を放つジャン=ピエール・ジュネという映画作家は、
次作の『ロストチルドレン』やのちの『アメリ』で
その名が知られるようになったと思うのだが
このマルク・キャロが共同監督で名を連ねる『デリカテッセン』の方が
個人的にはツボ作品なのだ。

一般的にはブラックコメディとして、片付けられてしまうだろうが
それだけでは味気ない。
というか、そんな簡単に説明できる類の映画じゃないと思う。
一度見ると忘れられないぐらいの強烈なインパクトを残す作品であり、
ただただ見ていただくしかないのだが、とにかく、見所が満載で
笑いあり、ホラー的要素あり、SFチックで盛り沢山だが、
それでいてどこかノスタルジックかつファンタジックで
一言で言い表せないような不思議な魅力に満ちている。

まずはなんといってもこの映像感性がすごい。
音楽のセンスも抜群だ。
デュラスの「インディアソング」やシュミットの「ヘカテ」などのSTを手がけた
カルロス・ダレッシオの哀愁ある旋律が効果的に使われている。
すべてが独特で、個性的な画づくりにグイグイと魅入られてしまうのだ。
これがCGではなく、人力でなされているあたりに好感がもてる。
おまけに低予算で作られたとは思えないほどの迫力、懲りようである。
ガラクタやゴミをうまく使ったタイトルバックのクレジットひとつとっても
この人のセンス、こだわりがうかがい知れるのだが、
なんといっても、キャラクターたちが濃い。
マルク・キャロの功績は絶大だ。
とりわけ、鼻の大きな精肉屋親父のクラペットに、
少女漫画のような目の大きな娘ジュリー、
そこにプチシャクレなで元ピエロ芸人のルイゾン、
このトライアングルが壮絶なカトゥーンのようなドラマを繰り広げる。

舞台は核戦争後15年を経た荒廃したパリのアパルトマン。
そんな状況下、しかも食糧難の最中、
ということは前提として抑えておかなきゃいけない。
住人たちも皆一筋縄ではいかない猛者ばかり。
しかも地下には菜食主義のレジスタンスたち「地底人」なる、
なんだか別のへんてこりんな集団が棲息している二重構造。
とにかく、設定が絶妙でとても面白いのだ。

一階の精肉屋がこのアパルトマンの管理をも兼ねているのだが
それだけではないというのが徐々にわかってくる。
要は訳ありのアパルトマンなのである。
ネタをばらせば、聞くもおぞましい人肉を供給する肉屋というわけだが、
その元が住人たちというわけだ。
そこへ釣りの求人をみてやってきたのがピエロ芸人のルイゾンで
まんまと生け贄になりそうになる。
このルイゾンを救うのが肉屋の一人娘ジュリー。

彼女は誠実で心優しいルイゾンに恋してしまうのだ。
そして、彼女が救いを求めるのが地底人たちである。
食料が欲しい彼らは肉屋が貯蔵する穀物とのとりひきで
ルイゾンの救出を引き受けるが、ドジって肉屋の情婦をさらってしまう。
テーマがテーマだけに、シリアスと思いきや
いたるところに、ユーモアがちりばめられてあって
そこがこの映画のブラックコメディたるゆえんだが
その良さを上手く引き出すことに成功している。

もっとも好きなシーンをあげてみると、
ベッドのきしみにあわせた住人たちとの音楽のハーモニーや
ジュリーのチェロをみつけて、ルイゾンが自分も楽器ができると
ミュージックソーを持ち出して二人で伴奏するシーンがいい。
このシーンが、ゆくゆくはこの映画の希望的側面を担っており
ラストシーンに昇華されてゆくのだが、
そこにたどり着くにはまだまだ予断を許さない。

狂った肉屋に対して、ジュリーとルイゾンの必死の抵抗。
浴室に水を溜め、その水を使った大がかりな大洪水の反撃はハイライト。
このあたりはもうハチャメチャで
あたかもカトゥーンを見ているようなスピード感である。
で、満を持して漫画のような結末が待ち構えている。
果たしてこの映画に終焉や勝利というものがあるのだろうか?
そこは想像力にゆだねるとして、
ジュリーとルイゾンは屋根の上で再び例の伴奏をする。
空は晴れ、ハーモニーが幸福感を運んでくる。
まるでおとぎ話のような余韻をもって終わるのだ。

これをB級扱いしたらお叱りを受けそうではあるが、
それにしてもなんとも濃い映画であることは間違いない。
一癖も二癖もある人たちばかりのアパルトマンの住人たちにもふれておこう。
へんてこな仕掛けで自殺未遂ばかり繰り替えしているマダム。
部屋は水浸しでカエルに囲まれて、エスカルゴばかり食っている男。
使用済みコンドームをつくろって使い回そうという男に
いたずら盛りだけどどこか天使のように愛くるしいその子供たち。

そんななかで、ルイゾンだけは
相棒リヴィングストンというチンパンジーを失いサーカスを追われ、
無職でとびこみ、純粋な心を失わず、何でも屋に甘んじ健気に生きるが
それでも人を憎まないある種の聖人を演じている。
演じたドミニク・ピノン、これ以後ジュネ作品の常連になるわけだが、
どこかで見たという記憶をたどれば
ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーバ」がデビュー。
サングラスをかけたパンク風で組織の殺し屋を演じていたのを思い出した。
しゃくれた口元が印象的だったが、人格なんてものはなかったが、
この「デリカテッセン」でのピノンは、まるで水を得た魚のように
無類のコメディアンぶりを発揮している。
まさに、ジャン=ピエール・ジュネの申し子といっていい存在だろう。

この映画のエッセンスは深く読み解けば
ダークな社会風刺にも読み取れるが、
それにもまして、良き時代のフランス、
そうドワノーの写真集をぱらぱらめくれば出会えるような風景に
インスパイアされているのがよくわかる。
パリの肉屋であり、地方の炭鉱の坑夫たちであり
サーカスのピエロといった映画でのキャラクターに反映されている。
究極の人間賛歌という点で、そこはつながっているのかもしれない。

DELICATESSEN :Carlos d’Alessio

締めくくり、映画のラストシーンで奏でられる二人のデュオ。これを見るだけで幸せな気分になってくる。ミュージックソーっていいな。カルロス・ダレッシオの無国籍なエキゾチズムにずっと浸っていたいと思う。サントラだけでも聞く価値は十分ある。映画はドキドキハラハラ、全く人さわがせなやりすぎジュネだけど、こういうロマンティシズムっていいなって思う大好きなシーンであり、この映画のハイライトだ。