深作欣二『仁義なき戦い・広島死闘編』をめぐって

「仁義なき戦い・広島死闘編」1973 深作欣二
「仁義なき戦い・広島死闘編」1973 深作欣二

仁義なき、ヒロシマ弁モナムール

ありゃあ昔、ビデオ屋でバイトしとった頃じゃった。
客にはヤクザ映画借りよる層いうんが一定数おっての、
なんでじゃろ? 思っとったんじゃ。
ま、好きなんじゃろなと。
でもわしゃ不思議じゃったんよ。
当時から暴力いうんが好かんで
ヤクザ映画なんちゅうもんは、はなっからバカにしくさっとったわいの。
あんなもん、なにがおもろいんならっ?
人を人とも思わん、腐れ外道の世界見てよろこんどるんじゃからの、
おどれらアホじゃろ?
ま、そげんに思とりましたけのぉ。

とまあ、のっけから広島弁で失礼させてつかーさいや。
それもこれも、ヤクザ映画の金字塔『仁義なる戦い』ゆえの
どうにもこうにも、あの広島弁というやつの磁力にやられた。
マシンガンのごとく発せられる広島弁を駆使して
戦後広島で起きた反社会組織の実抗争を描いた
深作欣二の傑作『仁義なる戦い』シリーズ
多分にもれず、その世界の面白さには
ずっぽしはまってしもうたのは言うまでもない。

冒頭で書いたように、昔から暴力そのものが大嫌いだったし
男同士の汗まみれ血まみれのむさ苦しい任侠世界など見たくもなかった。
実録だといえど、やくざ社会なんて、自分には住む世界が違い過ぎる。
ただしこれはあくまで映画の世界じゃないの。
あるとき、そう自覚した。
なによりもこれは究極のエンターテイメントであり、
今では遠い昔の個性あふれる俳優たちが
アウトローたちの群像劇を半端ない熱意でもって演じている、
その空気感をいっぺんみてみちゃれと。

ちなみに、阪本順治が撮った『新仁義なき戦い』は
残念ながら、元祖とは比較にならない凡庸な作品だったし
北野武による『アウトレイジ』にしたところで
やっぱし別物だなあ、違うよなあと感じた次第。
だから、ヤクザ映画そのものが好きになったことは後にも先にもない。
が、「仁義なる戦い」だけは別格だ。
そもそもがシリーズもので、
それぞれに面白さはあるが、その全貌を語るとなると
かなり骨の折れることになるので、ここではまず、
シリーズ中、もっとも好きで、もっとも感情移入できる第二作
『仁義なる戦い・広島死闘編』について書いていこうと思う。

この作品はなんといっても、俳優の個性が半端なく凄まじい。
まずは北王子欣也演ずる山中庄治と千葉真一演じる大友勝利。
この両極の二大巨頭の存在が圧倒的に支配する回で
「仁義なる戦い」の代名詞たる広能昌三こと菅原文太の存在感は薄く
どちらかといえば狂言師回し的役割を演じているに過ぎない。
当初出番が少ないことで、文太と脚本家笠原和夫との間で一悶着あったというから
いうなれば、「番外編」でも、熱い戦いが繰り広げられたわけだ。

それもそのはずで、山中と大友にしたところで
元は北王子が大友、千葉が山中を演じる構想になっていたというが
ここでもキャスティングをめぐっての葛藤があったという。
北王子は大友役柄を見て、あまりに品がなく
自分がやる役ではないと思ったらしい。
なにしろ、山中という男はどちらかといえば不器用で内省的、
まっすぐで、それでいて熱いものをうちに抱えている野犬のようなキャラだし
大友は逆に外交的、みるからに破天荒で、粗暴かつ享楽的に生き、
言動がはちゃめちゃなイケイケキャラクター。
「言うたらアレら、オ×コの汁でメシ食うとるんど」というのは本作の有名なセリフ。

こういう下品な言葉をあの千葉真一が言い放つ衝撃ときたら。
当時の千葉真一はブロマイドの売り上げがNo.1のアイドルスター。
どうみても、そのスターが口にするセリフじゃないのだが、
心機一転、今までのイメージを一新するには十分な役柄を演じたことで
のちのキャリアに箔をつける転機になったと回想している。
そんなこともあって、とにかく全編にわたって
登場人物たちの言動がすさまじく奔放だが
暴力映画、ヤクザ映画といっても
そうした広島弁での語りが、この生々しい「仁義なる戦い」の
活劇たる面白さを支えているといっても過言ではないのだと思う。
標準語の「仁義」のイメージはとても想像できない。
いってみれば、原爆を投下された広島という土地に息づく
人間たちの生のエネルギーのシンボルとでもいおうか。

俳優たちの顔ぶれも実に豪華だ。
なんといっても全作に出ている、この仁義なる戦いの裏の顔は
山守組の金子信雄だ。
この人のこすくって人間くさい存在感はまず外せない。
かと思えば、ニヒルな成田三樹夫や
これまた癖のある小池朝雄といった中堅どころの味わいも忘れられない。
そしてピラニア軍団の川谷拓三や室谷日出夫、それに山城新伍。
昭和のお茶の間での人気者たちが勢ぞろいしている配役に
懐かしさと親しみがついついこみあげてくる。

そしてもう一つ、他の「仁義なる戦い」にはない魅力としては、
山中と戦争未亡人で、組長の姪靖子を演じた梶芽衣子の存在があるだろう。
息がつまるようなヤクザ同士の抗争になかに
山中という男の人生に芽生えた愛情、
ひとりの女を愛することで
より人間山中を引き立たせることになる存在、それが靖子だ。
結局、この山中が人を殺す動機というのは、相手憎しというよりは
組織への忠誠であり、ひいては特攻に入って自決できなかった自己への憤りであり、
そのやるせなさを、愛情を育まんとする生への肯定感で埋めようとしたのだ。

しかし、ヤクザ社会に綺麗事は通じない。
裏ではみな己の欲望にそって生きており、
そうした間で、純粋というか、まっすぐな男である山中は所詮「道具」なのだ。
名和宏演じる村岡という男は根っからの悪だ。
最後はいいように山中を駒として利用するだけのこと。
裏切られ、行き場のない思いを秘め
ラストの雨中の逃走劇から自決に至る山中のアクションは凄まじい。
16mmの好感度フィルムで撮影され増感処理を施された映像が
じつに生々しく情感を掻き立てる名シーンとして記憶されている。
叶わない愛に、ぼろぼろになった空虚な思いを抱え、
行き場のなくなった山中は銃を食え込み自決する。
相手ではなく、自分自身へと向けるというとっさの自己破壊シーンは、
まさにそれは特攻隊のごとく、本編のクライマックス、
美しきものとして描き出される。

ぼくがやくざ映画や暴力映画に面と向かって向き合えた理由は
結局のところ、目の前で起きる暴力や破壊衝動、
それらは一個人ではどうににならない、
実に大きなもののなかの一部にすぎないということであり
政治ですら、国家権力ですら、あらゆる組織と名のつく団体において
所詮は利権や営利のために、力あるものに牛耳られているだけのことで
すべてはそうした社会の縮図なのだということに気づかされるからである。
悪を憎んで人を憎まず。

日本という国をみても、敗戦国としての運命を余儀なくされ
戦後復興してきたが、どこかで大きな力によってすべての舵取りをされ
それによって社会全体が統治されているという悲しき現実からすると
もはややくざ組織だけが特別な社会ではない、という思いがある。
彼らは「親」ひいては「国家」と呼ばれるもののに服従し
義理や人情という幻想に命を捧げる。
ゆえに抗争そのものを「戦争」と呼ぶのだが
まさにそうした裏社会とて、いまなお世界をにくすぶる戦争を生み出す構図と
なんらかわりないものだ。

いったい誰のために己の大事な命を捧げるのだ?
それはなんのために?
そんなことを問いかけも虚しく特攻隊のように犬死してゆく人間たち。
この世のからくりで、どことなく悲しく、
そしておかしみさえ漂わせる日本社会の、
まさにどうしようもない裏の縮図がここにある。
悲しいがそれゆえにギラギラと欲望が逆巻くのだ。

『仁義なる戦い』には一応モデルがある。
戦後広島で起きた「広島抗争」の当事者美能幸三(広能昌三のモデル)が
服役中に書いた手記に、飯干晃一が書き加えた
「広島やくざ・流血20年の記録 仁義なき戦い」を元に、
脚本家笠原和夫が書き下ろしたのがこのシリーズである。
途中で挿入されるスチールとナレーションがいい。
決してヤクザそのものを美化することなく、実録を売りに
なかば戦後の歴史群像劇として描き出されている。
当時、まだ抗争がくすぶっていた当地広島でロケが敢行されたこともあって
まさに、目に見えぬ緊張感が画面にも漂っている。

それにしても、人がバタバタよく死んでゆく映画だこと。
あっけなく、虫けらのごとく簡単に死んでゆく。
そんなものに、いちいち感情に身をまかせていたら大変だ。
そういわんばかり。
所詮、欲望も争いも何も生み出しはしない、無常の世界へ消えてゆく。
現実に飲み込まれてはいけない。
楽しめ、人生は享楽だ。
そして、強いものだけが生き残る。
それをスクリーンで目をしっかり見開いてしかと見届けるのだ。

いみじくも大友はいった。
「ワシらうまいもん食うての、マブいスケ抱く、そのために生まれてきとんじゃないの」
まさにそうした生と死の側面が各々ギリギリのところでしのぎを削り、
どっちへ転ぶか、明日なき日々を送る群像劇。
行き着く島なくそうしたやりとりが
究極のエンターテイメントとして描き出される。
『仁義なる戦い・広島死闘編』は掛け値なく傑作だ。

Killing Time:Massacre

ヘンリー・カウ解散したギタリストのフレッド・フリスが、ニュー・ヨークに移住し、そこで出会ったマテリアルのリズム隊、ベースのビル・ラズウェルとドラムスのフレッド・マハーと共に80年に結成したグループがマサカー。ロックとフリー・インプロヴィゼーション・ジャズの融合、オルタナ&ポスト・パンク的サウンドは脳に直接響くカオスなハイエナジーに満ち満ちている。そのファーストアルバム「Killing Time」からのタイトルチューン。ソリッドでグイグイくる感じが実にかっこいい。「仁義なき」の特攻隊山中にこれを捧げよう!

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