黒澤明『隠し砦の三悪人』をめぐって 

隠し砦の三悪人 1965 黒澤明
隠し砦の三悪人 1965 黒澤明

究極の隠し悪人探しエンターテイメント

黒澤映画の醍醐味といえば、何と言ってもそのダイナミズム、
そしてヒューマ二ティ溢れる台本の素晴らしさにあるのではないか。
と、概ね誰もが知るそこを
わざわざ得意げに言うことでもないわけだが、
もっとも、その何れもが、少し露骨と言うか直球すぎるがゆえに
ひねくれ映画狂としては、
かつてはいささか叛旗を翻したくなることもあったものである。
黒澤がなんだ!
甘っちょろいヒューマニズムよ!

が、そんなことは今やどうでも良い。
なぜなら、これは映画だからである。
映画において、絶対などあるわけがないのだ。
何も小難しい思想や無理くりにスタイルだけにくくって
斬り捨ててしまうことに何の意味があろう?
その意味で、冷静に見れば、やはり黒澤映画は面白いのだ。
そう素直に頷けば良い。
何よりエンターテイメントとしての臨場感において
これほどまでに世界に誇れる映画作家はいまい。
今こそ、日本人であればこそが
一度はしかと目に焼き付けておくべきものなのだ。

前振りはこの辺にとどめておこう。
こちらも、もうとっくに筋も中身もおぼろげになってしまっている
『隠し砦の三悪人』を見直したところだ。
名作だ、傑作だ、と騒ぐ前に、
確かに、ラストでのいわゆるハッピーエンド、
あるいは、あからさまなヒューマニズムの結末に
正直戸惑いを感じない訳にもいかないのではあるが、
それを差し引いても、やはりよく書けた
戦国期の御伽話であると言うことに目を向けよう。

ジョージ・ルーカスが、この作品に感化されて
『スターウォーズ』を製作したのは有名な話だが、
三悪党のそれぞれの“悪人ぶり”をじっくり観察すれば
これが黒澤の代表作の一つに数えられたとしても
なるほど、全く驚きはないのだ。

黒澤組名コンビ藤原鎌足、千秋実扮する又七と太平が
冒頭とラストシーンを初め、
終始見せる丁々発止をアクセントに、
黒澤王国を体現するまさに顔、三船扮する真壁六郎太の
圧倒的な男らしさが映像のダイナミズムの核となり
黒澤映画には珍しい女手の存在感を醸す
上原美佐扮する雪姫が話の鍵を握って進行する。

この物語の骨子としては、いたって単純で、
戦に破れ落城した秋月家の大将真壁六郎太が
その軍用金を薪に隠し携えて、
その姫と欲に駆られた百姓2名とを巻き込んで
敵国である山名家による途中降りかかる波乱万丈をどうにかこうにか突破し
同盟である早川領へと逃げ延び、そして復権するという話である。

しかし、そこには黒澤流のテーマパークならぬ
様々なエンターテイメントの導線が張られている。
笑わぬ姫でさえ嬉々と踊る火祭りなどはその最たるものだが、
そこは細々した説明を省くとして、
絶えず、的確な判断と勇敢な行動力を駆使して
一行を力強く先導するアニキ六郎太に、
「右といえば左左といえば右」と言うわがままかつ手に負えぬがゆえに
オシとして同行させることになった姫の視座こそが
物語の表のベクトルを提示している。
つまりは、潔さであり、一貫性であり、正義そのものである。

一方で、では悪とはなんなのか?
そこが問題なのである。
しかし、このタイトル通りの悪人は、
実のところ、一人もいないのである。
又七と太平においては、小悪党と言うほどの器ですらないし、
ただの小心もので、少しばかり欲の皮が張ってはいるが
この程度の人間なら、いつの時代もどこにでもいるだろう。
そして、六郎太にしても
悪というよりむしろ、善、とまでは言わないまでも
実に聡明で、人望の熱い統率力でもって
義を為す男として立ち振る舞って見せる。
一国の主人としてはいささか気がよすぎる感がしないでもないが、
全ての戦術は、一つの明確な目的、
すなわち、落城した家への再建そのもののためにあるだけである。

敵大将である兵衛にトドメをささなかったことや
人買いに売られた百姓娘をわざわざ助け、一行に最後まで同乗させ、
自らの命をも辞さず守り通すといった行動は
どう観ても悪人らしからぬものである。
つまり、この男の中に根ざす正義感が
あらゆる行動の原動力、根底にはあるのである。

そして、男よりも男らしいのは雪姫の方である。
何よりも、曲がったことを忌み嫌い、
人間愛への倫理観の絶対がこの姫には備わっており、
それが六郎太との間で、揺るぎなく通底しているのがわかる。
だからこそ、敵に囚われた時も
身じろぎもせず、命乞いもせず
自らの世間知らずぶりから解放されたこの道程を顧みて満足し、
「これで姫は悔いなく死ねる」と
六郎太に感謝の意を覚悟を持って示したのである。

そして、一度は顔に泥を塗られた敵将すらも翻って、
堂々の裏切りを持って敵一行を救う。
全てめでたしめでたし、となる展開で
結局悪人不在のヒューマンドラマは幕を閉じる。
そうした態で終わるこの映画に
わざわざモヤモヤイライラする必要などないのだ、
と言いたいところだが、
悪人がいないのに、なぜタイトルに悪人を謳うのか?
その点は判然とはしない。

六郎太が正義貫かれた男であることは先に書いた。
で、金に目が眩んで幾度も一行への裏切りを辞さずといった
又七と太平にしても、
終始仲違いを繰り返しながらも
最後は褒美の大判一枚を渡され
仲良く村に帰ってゆくなんてことはない普通の百姓であるのも見ればわかる。

では、なぜ彼らが悪人なのか?
その辺り、うがった見方をすれば
黒澤作品の代表である三脚本家が顔を揃えて共同で書き上げた本作の、
この菊島隆三、小国英雄、橋本忍こそが
実は悪人そのものなのかもしれない。

The Jam – That’s Entertainment

若きポール・ウェラーにブルース・フォックストンとリック・バックラーによるスリーピースのTHE JAM、5thアルバム「Sound Affects」収録の青春ナンバー「That’s Entertainment」。キャッチーでポップなさわやかなアコースティックナンバー。これぞエンターテイメント! 

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